カウムディ

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 『過去を追うな    未来を願うな』  拓かれた海と大層な名を付けてくれた母方の実家は寺だった。そのため幼い頃より馴染み深い仏典の言葉は今この時に縋りつく僕に優しい。  市内中心部にある職場の近く、大通りを外れたところにひっそりとあるインド料理店。木目の残る建具を黄色くペイントし随所に鮮やかにモチーフが描かれていた。そこでもう随分となるカノジョとのランチ。そのあいだに幾度か季節は巡り、僕を取り巻く周りにも変化があった。けれどカノジョと過ごすこの偶然に始まったランチタイムは何も変わらない。  シンプルなスーツに長い髪を一纏めにしたカノジョ。インド料理店らしい雑多な雰囲気のなか、カノジョはとても異質。    繊細な指先でタンドーリチキンを掴み、チキンにしゃぶりつく口元を脂でテラつかせていた。 ── 痺れるくらいのこの辛さがいいの。  諦めたような渇いた笑いと独特の音楽。まるでここだけ切り取られ、日常の生活と違う時間が流れているようだった。  「ねぇ!聞いてる?」  目の前にいるふんわりと巻かれた髪が華やかな、でもカノジョと目鼻立ちは良く似ている僕の元彼女は、少し媚びるような抑揚をつけて湿り気のある声で僕を呼ぶ。  彼女は違う空間に意識飛ばす元恋人に苛立ちを隠さず非難した。  運ばれてきた前菜を前にわずかのあいだ話が止まる。ただでさえ居心地の悪い小洒落たレストランに既視感のある会話。  整えられた指先のきれいな所作で肉にナイフを入れながら、彼女らしくさりげなくキーワードを散りばめる。    「久しぶり」という元恋人からのメッセージ連絡は男が使う場合はセックスしたいときで、女が使うときはやり直したいときだとか。時折あるその連絡はまるで元彼女の香水のようで、むせるような圧迫感。  天井高く広々とした空間に点在する周りのテーブルはディナーの語らいで賑わっているなか、僕と元彼女のあいだにはカトラリーと皿の擦れ合う冷たい音が響いていた。 ── ありえないでしょ?ふと顔を上げたら目に飛び込んできたんだもの。それから何年かはカレーが食べられなくなったんだから。  昼間のランチタイムにカノジョから語られた学生時代のインド旅行話にトリップする。ガンジス川沿いのレストランでカレーを食べていたら視線の先に川べりで排泄中の男性がいたらしい。品のない話もカノジョの口から紡がれると途端に微笑ましく感じてしまう。  カノジョに会える明日がもう待ち遠しい……
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