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朝晩に吹き抜ける風が、ようやく秋らしい涼しさを運んできた。
都心から電車で約一時間、かつて交易の中心として栄えた八百寺の街も、駅前の繁華街を抜けてしまえば静かな住宅街が広がっている。
宿場町の名残りをとどめる旧街道を渡り、大型車が通るには少々難儀する路地へ入った場所に、一軒の商店があった。
古びた木製看板に『橘骨董商店』と書かれており、その名の通り店頭から店内まで壺や古道具、置物や使い道のわからない雑多な品で埋め尽くされている。
ほのかに埃っぽいような線香のような匂いのする、不思議な懐かしさを感じさせる店の奥で、若き店主、橘 晴天はノートパソコンに向かってキーボードを打っていた。
最近は店舗に来る客を相手にするよりも、店のサイトやネットのオークションサイトを通して取引する機会が増えている。勿論、晴天は出品する側だ。
仕入れとなると同業者による競りやお得意様、知り合いの伝手を頼ることの方がまだまだ多いのだが、ネットを介した取引は新たな顧客を開拓する良い機会でもあるのだ。
それに、「知り合い」というのも場合によっては面倒ごとに繋がる。
「ここ数日でだいぶ涼しくなったなあ」
今日は来客の予定も無いので気楽なものだ、と晴天が独り言をつぶやきながら腕をぐいと伸ばして肩を解していると、少々建てつけの悪いガラス戸がガタガタと音を鳴らして開いた。
「こんにちは、晴天さん」
現れたのは掛け値なしの美女だった。長い睫毛に縁どられた大きな目、すっと通った鼻梁にふっくらと厚みのある唇。白い肌に、口元の黒子が艶めいた色気を演出している。だが、その恰好はというと、アウトドアブランド製のマウンテンパーカーにトレッキングシューズを履いた登山――それもかなり本格的な――帰りですかと問いたくなる服装で、泥汚れこそ払ってあるが使い込まれたザックを背負った姿は、お洒落目的のアウトドアファッションではないと明らかだ。
「登山口なら二つ先の駅で乗り換えだぞ」
頬杖をつきながら、晴天は呆れ気味に声をかける。|
水上あずみ――、面倒ごとに繋がる「知り合い」というのがまさに彼女のことだった。
「あら、事前に連絡していたのよ。気づいてなかったのかしら」
言われて晴天がスマートフォンを立ち上げると、十分前の時刻で通知が一件入っていた。そういえば昨日から通知音を切っていたことを思い出す。
「いやもっと前もって連絡寄越せよ。これじゃあ居留守も使えないじゃないか」
「仕方ないじゃない。スマホをザックの底の方に入れてしまっていて、電車の中じゃ取り出せなかったのよ」
晴天の皮肉に気づいているのかいないのか、あずみは頬に手を当てて悩ましげにため息をついた。
「とりあえず背中の荷物下ろせ。また商品なぎ倒されたんじゃかなわないからな」
「ありがとう、お言葉に甘えてゆっくりさせてもらうわ」
「そういう意味じゃ、なかったんだけどなあ……」
背負っていたザックを下ろし、あずみは慣れた様子で売り物のはずの椅子を引き寄せ、座面を手で軽く払ってから腰かけた。
「まずは晴天さんからの依頼に関するものよ」
そう言うと、あずみはマウンテンパーカーのポケットからハンカチを取り出し、晴天の前に置いて開いてみせた。
「道祖神を祀っていた祠に置かれていたのだけれど……、どうかしら?」
ハンカチに包まれていたのは錆びついた小さな鈴だ。晴天が左手首に着けている腕輪の飾りと形や大きさが似ている。
晴天は鈴を摘まみ上げると、軽く目を閉じる。が、すぐに目を開いた。
「いや、違うな。これは登山客がリュックに着けてた熊避けの鈴だ。紐が緩んで落ちたのを、気の良さそうなおっさんが拾って祠に置いてたよ」
「相変わらず見事なものね。でも残念、形が似ていたから今度こそ手掛かりになるかと思ったのだけれど……」
あずみは晴天が、触れることで物品が記憶している情報を読み取る能力――いわゆる『サイコメトリー』――を持っていることを知る数少ない人物のひとりである。
「で、今回は俺に何させる気だ?」
「ええと、岐阜から長野にかけての山間部に伝わる『一夜にして村がまるごと姿を消した』って話を調べに行ってきたの。でも、まるごと消えてしまったわけだから、近隣の村に口伝えを記した文献が少し残るだけでわからないことばかりだったのよ。そこで、手がかりになりそうなものを借り受けてきたの。消えた村の住人が使っていたとして寺に奉納されていたもので……、これよ」
一気にまくしたてながらあずみがザックから取り出したのは、両腕を軽く広げたくらいの幅の細い二本の棒の間に、手のひらほどの長さの細い竹串が何本もスリット状に並んでいる物だ。
「あっはい。これは……、筬だな」
「おさ……?」
「ほら、昔話とかで機織りっていうと、横糸を通した後にトントンと押し詰めるところを思い浮かべるだろ? その時に使う部品だよ。使う糸の太さや織り上げたい密度に合わせて筬を使い分けるんだ」
晴天が身振りを交えて説明すると、なるほどとあずみは頷く。
「そうなのね。というわけでお願い」
「何が『というわけで』なのかなぁ」
晴天はため息をつきつつ立ち上がった。
「今日は爺さんが病院だから家には俺しか居ないんだ。店を一旦閉めるから奥の部屋上がっててくれ」
「わかったわ」
勝手知ったるといった風に、あずみは筬を持って店の奥へと入っていった。
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