第2章 秋天の風

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 山崎が、入るぞ、と声を掛けて返事を待たずに雑に襖をあけるのはこれまでどおりで、中には数人の人の気配がある。 「やっと来たか」  そういって顔をこちらに向けたのが丸い顔立ちのいかにも人の良さそうな、修之輔とそう年も変わらない若者で、山崎と親しいのか、くだけた口調で応えてきた。 「年の近いものが入ってくれて嬉しい。互いにうまくやっていこう」  若者は、自分は木村源吾だ、と名乗ったあと、修之輔にも親しげな笑顔を向けた。  部屋は八畳ほどあるのだろうか、その真ん中に澄ました様子で座っている者がる。木村よりもかなり若い。  どことなく雰囲気が華美、というか派手な気がするのは、お仕着せの着物のその帯に、どうやら自分で見繕ったらしい色糸や金糸も織り込んだ物を使っているからだろう。気が進まない、といった風情で、横目でこちらを見て、次に体ごとこちらを向いてしげしげと修之輔の方を眺めたかと思えばいきなり立ち上がった。 「わあ、山崎殿も人が悪い。こんなに綺麗な人が来るなんて一言も云っていなかったではないですか。また今度も木村殿や原殿の様な、むさ苦しい方が入ってこられたらと気が滅入っていたところです」  にこにこと愛想よく笑いながら、三山です、どうぞよろしくお願いします、と頭を下げてきた。木村が胡乱な目で三山のその様子を見ているが、三山はそんな木村を無視して修之輔にあれこれ話しかけてくる。 「秋生殿、とおっしゃるのでしたよね。お名前は。ご出自はどちら。知っているものはこの城中におりますか。どなたかご紹介できればいいのですが」  立て板に水で話しかけられて修之輔が反応に窮していると、横から木村に腕を引かれた。 「それで、こっちがもう一人の菊部屋の住人で、原という者だ」  強引に引っ張られて部屋の奥、とはいっても障子の向こうは濡れ縁で、開けて広がる外の視界の半分は城壁に続く土塀、あと半分は夏の終わりの青空である。行きかう雲を眺めていたらしい男がこちらを向いた。木村よりも年上のようだ。 「よろしく」  そう言ったきり、原はまた空へ目線を戻した。人付き合いを好まぬ人間のようだ。木村はそれでも馴れたもので、よしこれで紹介は終わったぞ、と部屋の入り口を振り向くと、襖の脇に立つ山崎が頷いた。 「じゃあ木村、あとは頼んだ」 「分かった。儂らは今日は昼まで、特に仕事はないんだろう」 「船次第だ。荷揚げがあれば呼ぶ」 「飯時は避けてくれよ」 「それも船次第だな」  眉を上げた木村の顔で応諾としたか、山崎は、何かこの部屋で不都合があれば自分の方に、と修之輔に言い残して部屋を出て行った。  しばらくはこの部屋でこの三人との四人相部屋での生活となる。黒河にいた時、一人での生活が長かったことを思えば、虎道場で少しでも共同生活に慣れていたのは良かったと、修之輔は今さらながらそう思った。 「さてと、まずは城内の案内からか」  木村が腰に手を当ててそういうと、三山が、では参りましょう、と続けた。 「なんだよ、三山。お前、今日は気分がすぐれないから新人の案内は儂に任せたと言ってたじゃないか」 「その気分が変わったんです。行きましょう」  そう云って三山は修之輔の腕を取る。戸惑って木村の方を向くと、引っ張ってはがしてくれた。 「ほら、秋生も困っているじゃないか。やめろよ、さっさと行くぞ」  修之輔が木村の後を付いていくと、三山も後ろを歩いてくる。木村が、なんなんだよお前は、と文句を言いながらまず案内したのは菊の部屋のある平屋の奥だった。  ここだけ廊下の右手に部屋があって、その入り口が木戸になっている。開けると板敷の空間があった。 「ここはあっち側の端が鶴亀松の平屋ともつながっていて、儂らを含めた住み込みの者が共同で使う風呂や手洗いがここにある」  この戸の中が風呂で、ここが手洗いで、と場所を示していく。 「住み込みの者の風呂は交代制で、朝食の前の時間になっている。この時間以外は」  木村がそう言いながら手前の木戸をあけると、脱衣場の向こう、その奥は風呂だが無人でひんやりしている。 「湯を沸かす者がいないからこのとおりだ。水でよければ浴びることができるぞ」  さて次は、と今度は平屋から出て、石段を下り、大手門に向かった。修之輔は同じところを行ったり来たりすることになったが、城内の配置を覚えるには好都合だった。 「儂らの仕事には、舟で着いた荷を城中に運び入れるというのがあってな。これがなかなかの力仕事だ」  羽代城が建つ小さな半島の付け根には港がある。城への物資の運搬の他、城下の商人の荷運びに使われるその港には船番所があって、船荷の検問や港の使用の手続きなどの一切を引き受けている。 「あそこの船番所では城の往来の検問もしているからいつも人手不足で、たとえ城の荷物が港についても到底運び上げる余裕なんぞない、お前らが来い、というわけで儂らが荷役人足に駆り出されるというわけだ」  木村が門番に、新人の案内だから、と断りを入れ、大手門の外、数歩の距離から港を眺めると活気のある声が港の賑いを伝えてきた。 「こっちのほうに船着き場を作ってくれれば、儂らの仕事もだいぶ楽なんだが」  羽代城の足元の海辺は大手門前に小さな岩礁があって、その先は半島の突端に向かう砂浜が繋がっているが港湾の設備がない。海から襲う敵の足掛かりを作らない戦国の世の名残かとも思えたが、この時勢、大手門前に船着き場があれば、木村の言う通り、城内への運び入れも楽だろう。    あまりここでふらふらしていると荷運びを手伝えと言われるから、と退散する木村の後について城内に戻り、今度は二の丸に向かうという。二の丸の門番と木村は顔見知りらしく、互いに手を上げる程度でそのまま通ることができた。 「あの門番の仕事も儂らに回ってくるからな」  木村はそう言いながら二の丸御殿の正面玄関に向かった。この大きな建物のどこかに弘紀がいる、ふと頭に浮かんで思わず修之輔の足が止まる。どこなのだろう。  その様子を見て木村が声を掛けてきた。 「大丈夫だ、儂らはけっこう頻繁に御殿に出入りするから、臆することはない」  勘違いはされているようだが、人の好い木村の言葉に、止めていた足を進めた。  羽代藩の家老以下、役目のある藩士は、城下の武家屋敷に構えた自分の屋敷から通いで勤務する。正面玄関はその藩士たちが出入りするところで、ここの掃除や登城してきた藩士への対応も俺たちの仕事だ、と木村が言う。 「上の方々がお見えだからといちいち平伏していたら仕事にならないから、儂たちはその辺、かなり免除されている」  いちおう線引きはあるから、それはおいおい教える、と言いながら玄関を上がり御殿の中に入る。 「この決め事は弘紀様が藩主になってからのことで、当初は文句を言う古参もいたが、まあ、実際、この方が仕事の効率はいい」  ふいに木村が口にした弘紀の名は、まるで知らない他人の名に聞こえて戸惑った。  玄関を入って正面にむかって右の部屋では、修之輔たちと同じお仕着せの着物を着た数人が預かった刀を並べたり、名簿と照らし合わせたりしている。先ほど部屋にいなかった梅の部屋の者達だろう。忙しそうだから後で挨拶に行こうな、と木村が言った端から、三山が知り合いを見つけたらしく、作業中にもかかわらず近寄って話しかけている。顔は広いようだ。 「あいつは放っておいて先に行くぞ」  正面左手には畳敷きの広い廊下が御殿の奥に向かって伸びているが、次に木村が向かったのはそちらではなく玄関から右に向かう細い板敷の廊下だった。 「別にあっちを使っても良いのだが、お偉い方々に出くわす度に頭下げて挨拶していたらいつまでたっても前に進まない」  牛歩も牛歩、蝸牛の歩みだ、という木村の軽口を聞きながら板敷の廊下を行くと、左手はどうやら表座敷で、右手は書庫や物置、裏方の詰め所が並ぶ。薄暗い空間はいくつかの小部屋に分かれていて全容を知るのは難しそうだ。 「宿直当番になること、ここに詰めることになる」  説明はその時するから、と木村の足はどんどん奥へと向かっていく。 「こっちが城内の賄いを一手に引き受ける台所だ」  木村の後ろから覗くと、湯気がもうもうと、釜の火が焚かれ、野菜が積まれた台が並んでいる様子が見えた。 「儂らの食事はこの台所の隣の座敷で取る」  できたものを直ぐに食べることができる利点があるものの、時と場合によっては台所の手伝いをしろと言われることもあるらしい。通いで出仕する者もここで朝食と昼食を取れるという。 「住み込みの者たちの食事はもちろんタダだが、通いで出仕してここで食事を摂る者は帳面につけて給料天引きになる、だが、あってないような金額だし、昼食時にいちいち自宅に戻らなくていいしで結構人気だな」  とはいっても、朝食と昼食に出されるのは飯と漬物だけで、湯はいつも湧いているから自分で持って行け、湯はあの巨釜に沸いている、茶は自分で淹れろ、そう話す木村の目線をおって懸命に台所を見渡す。 「いっぺんには覚えきれないだろう。こういうのは実際に使ってみたほうが覚える。試しにちょっと早いが昼食をここで食べていくか。いちばんの昼時はかなり混むからな」  座敷の片隅に食器が重ねておかれ、炊かれた米の入った大ぶりの櫃もいくつか置かれている。飯椀に遠慮なく米を盛り付けて漬物を小皿に取る木村の真似をして、修之輔も自分の膳を用意した。修之輔が自分で盛った飯椀の中の米は、今朝、弘紀と共に食べたものと変わりないように見え、食べてみても違いが判らない。 「通いの者には自宅から味噌玉を持ってきて味噌汁をつくる者もいるらしい」  食べながらも説明を続ける木村のその言葉に、なるほどと思う。いろいろな工夫があるものだ。 「夕食は一汁一菜、とはいえその日によって菜が二つ以上つくこともある。藩主様のお食事の準備の都合で、下働きの夕食の内容が変わってきて、つまり儂らは余ったものを食わされるというわけだ。もっとも食いかけというわけではないぞ、材料が余ったとか、そういうことだ」 「それでも藩主様に用意した食材だから、思いもかけず良いものを食べられたりします」  いつのまにかまた合流してきた三山が自分も食べるらしく膳を持って話に入ってきて、木村が、まだいたのかお前、と呆れたように言った。 「秋生に説明しなければならないことがたくさんあるのだからじゃまをするな」  木村はそう三山をあしらいながらも飯を掻き込むという器用なことをする。木村に倣って盛った飯を食べながら、ふと漬物が気になった。瓜漬けなのだが。  箸を止める修之輔の様子に直ぐに気づいて木村が、どうした、と尋ねてきた。 「いや、この漬物だが」 「ああ、それな。ここらの物ではなくて、最近、弘紀様が黒河から持ってきたものだ。この辺でこういった固い瓜はできないから、わざわざ黒河から取り寄せているらしい。この漬物は旨いよな」  弘紀にこの漬物を食べさせたのは確か自分だったと思い出し、懐かしい気持ちになった。確かにここは弘紀の住むところなのだと、漬物一つで実感するのもどこか可笑しな気がして、口の端に浮かぶ微笑を抑えられなかった。 「自分が好きな物やうまいものを食いたければ非番の日に街に行けば良い」  そう木村は言ったものの、住み込みの使用人が町に出られる機会はあまりない。非番の時に、とはいってもそれは半日ぐらいで、夜も決められた門限がある。門限を破ればしばらく部屋で蟄居が言い渡され、その間、仕事は同じ部屋の者達が負担しなければならない。 「この三山が一度、街に買い物に行ったきり門限過ぎても戻ってこなくて、その後の三日間、罰をくらったな」  悪びれずにあははと笑って頭を掻く三山を木村は睨む。 「儂と原の仕事は増えて、そのあいだこいつはのうのうと部屋で昼寝をしやがって」  気楽にも思える城勤めも、やはり規律はしっかりあるようだ。だが、これまでに耳に入れた範囲ではそうそう厳しいものではなく、気を付けていれば十分に守ることができそうだった。  下働きはつらいなあ、と木村がぼやいたが、修之輔にとって馴染みのない土地で衣食住が保証されている今の状況に、これといって文句はない。しかも弘紀がすぐ近くにいる。  ただその弘紀と自由に会う事ができないということ、そしてたまに一人になりたいと思う時はどうすればいいのかと、それが気にかかる事だった。
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