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1.受難の日。
全ては、あの日から始まった。
忘れもしない。
10月21日は、金曜日だった。
その日は2学期の中間テストの最終日で、
放課後、試験のプレッシャーから解放され、
当時の親友とゲームセンターに行く約束を
していたのだが、昇降口のところで
2年先輩の中島に呼び止められた。
中島は自宅の近所に住んでいて、
小学生低学年の頃によく遊んでもらった
記憶があった。
「岸野くん、話したいことがあるんだ。
ちょっといい?」
そう言われ中島の後について歩くと、
中島は迷わず昇降口からすぐの
人の気配のない理科室に入って行く。
「中島さん、話って何ですか」
不信感から中島から少し距離を取り、
それでも落ち着かずにいた僕は、
中島に手招きされ、
恐る恐る理科室の真ん中の席に近づいた。
中島との距離はこの時点でかなり近く、
手を伸ばせば容易に届くくらいだった。
「あのさ」
「はい」
「岸野くんが好きだ」
「ええっ」
「付き合ってる人、いる?」
「い、いないです、けど‥‥」
突然のことに怖くなり、後退りした。
「中島さん、話ってそれだけですか。
この後、予定あるんで」
嫌な予感がしていた。
中島は無表情で、僕を見つめている。
告白って、
こんなに不穏な雰囲気になるのか?
「岸野くん、逃げないでよ」
中島が後ろに下がった僕の手首を掴んだ。
「や、止めてくだ、さいっ」
そしてそのまま引き寄せられた僕は、
次の瞬間、中島に抱きしめられた。
「離してっ、やだっ」
全力で抵抗したものの、中島の力は強い。
僕は中島の腕の中で、吐き気を覚えた。
「岸野くん、好きだ」
また中島は僕にそう言って、
顔を傾けたかと思うと、唇を寄せてきた。
「止めて‥‥」
こんなこと、あり得ない。
あっさり僕の唇は、中島に奪われた。
恐ろしいことに、
中島の舌で容赦なく口の中を犯され、
唾液が顎まで垂れるような激しいキスを
された。
初めてのキスとかそんなことは
どうでもよくて、早く終われと思った。
「岸野?何してん、うわっ」
その時、視界の端に親友が見えた。
明らかに興奮し、口元が笑っている。
僕は最後の力を振り絞って、
中島を突き飛ばした。
「あんたを訴えてやるっ」
乱暴に口元をシャツの袖口で拭き、
そう中島に叫ぶと、
僕は親友を置いて、理科室を走って出た。
自宅に帰り、
母親に近所に住む中島から
セクハラを受けたと報告すると、
母親はオロオロするばかりで、
年長者としての助言はなかった。
ただ学校に相談したら間違いなく、
大々的に皆に知れ渡ることになるが、
覚悟はできてるかと訊かれ、言葉を失った。
それなら泣き寝入りすればいいのかよ?
中島の顔が浮かび、また吐き気を催した。
夜、父親が帰ってきたタイミングで、
母親が父親に相談した。
「葵。嫌なら学校に言って、転校するか?」
「何で、僕が転校なの」
「相手は受験生だし、中島の父親は地元企業の
社長だ。訴えて、逆恨みされたら困る」
「意味わかんないっ」
父親の胸を拳で叩き、僕は泣き崩れた。
更にもっと辛いことが、
休日が明けた月曜日に待ち受けていた。
朝、教室に入ると、
僕を見るクラスメイトの目が
皆、好奇に満ちているのがわかった。
「男とキスするのって、どんな気分?」
「あはは、止めとけって」
「だってさあ」
「岸野、終わったな」
周りに口々に言われ、
教室の端に座っていた親友を睨みつけた。
「お前、何言ったっ」
その親友は悪びれもせず、僕に笑いかけた。
「もう遅いよ。学年中、知ってるから」
「てめえっ」
立ち上がり、親友に殴りかかった僕を、
慌てて数人が取り押さえた。
それから僕は教室を飛び出して、
担任のいる職員室に駆け込んだ。
「中島を、訴えてください」
僕の剣幕に担任を始めとする教師たちも
この一件を知ることとなり、
その日のうちに職員会議にかけたという。
もちろん後日、双方の親が呼び出され、
話し合いの結果、
中島はもう一切僕に近づかないこと、
僕の高校卒業までかかる学費を
中島家が負担することが決まり、
同時に僕の転居が決まった。
祖母が東京の王子に住んでいて、
そこに身を寄せることになったのだ。
間をおかず、
中堅レベルの男子校の編入試験を受け、
無事に合格した僕は、文字通り逃げるように
住み慣れた土地を離れた。
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