3.上書き開始

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3.上書き開始

6月19日。日曜日。 川瀬、佐橋、秋津と予定が合い、 夕方、渋谷で焼肉を食べることになった。 その日は、僕の19歳の誕生日でもあった。 王子駅で待ち合わせした僕と川瀬は、 電車に揺られ、渋谷に向かった。 「佐橋たちは、どこから来るの?」 「佐橋は板橋の自宅通いで、秋津は三鷹で ひとり暮らしだよ」 「僕は、おばあちゃんと2人暮らし。 川瀬は、実家はどこ?」 「N県。遠いよ」 「N県?」 久しぶりに聞いた県名。 まさかの同郷に驚き、言葉を詰まらせた。 「うん」 川瀬も言葉少なに頷き、会話は途切れた。 もし川瀬のような奴があの頃の友達なら。 中島によって突然窮地に陥った自分を、 守ってくれたのだろうか。 今更考えても仕方ないことに思いを馳せた。 「岸野くん」 赤羽駅に着き、 埼京線に乗り換えるそのタイミングで、 再び川瀬が口を開いた。 「僕は、いつでもキミの味方だから」 「え?」 まるで自分の心の声が聞こえ、 それに反応してくれたような言葉に 振り返ると、川瀬は僕をまっすぐ見つめ、 言葉を続けた。 「だから、僕を信じて」 「川瀬?」 川瀬の意図が判らず聞き返してしまったが、 内心はとても嬉しかった。 だから素直になって、微笑みを返した。 「ありがとう。そうする」 いい奴との出逢いを果たせた。 その思いから、また涙が浮かんだ。 「岸野くーん」 渋谷駅のハチ公像前に着くと、 佐橋と秋津が揃って待っていた。 秋津に手を振られて、思わず笑顔になった。 「今日はカテキョのバイトしてから、 ここに来たよ。岸野くんは何してた?」 「音楽聴きながら、部屋の掃除」 「へえ。今度、うちに来て掃除してよ」 秋津に人懐っこく微笑まれ頷くと、 川瀬と佐橋が苦笑いする。 「秋津んち、まだ住み始めて2ヶ月なのに、 ゴミだらけだけど」 「かろうじて、寝るスペースがあるだけで」 「えっ、そうなの?」 「おい、バラすなよ。せっかく新しい友達に 新居を紹介したいのに」 「あはは。じゃあ掃除道具を持って、遊びに 行くよ」 「岸野くん、優しい」 そんな会話をしながら、焼肉屋に向かった。 席に着いてから、 実は今日誕生日なんだと告げると、 「え?ホントに?おめでとう」 と佐橋が拍手をし、 「この中で最初に19歳になったのかな」 と秋津が言うと、 「そう。佐橋が8月2日、僕が9月25日で、 秋津が11月15日だからね」 と川瀬が頷いた。 「意外。岸野くん、魚座っぽいのに」 「秋津、何を根拠に」 「何か、感受性豊かっぽいじゃん」 佐橋と秋津がわちゃわちゃし始めたのを よそに、川瀬が笑いながら、 「誕生日おめでとう。じゃあこの食事代、 いっそ誕プレにしようか?」 と提案してきた。 「えっ、大丈夫だよ」 「遠慮しないで。その分、バイトするから」 「川瀬、バイトって何してるの?」 「王子駅前のコンビニで、夜勤」 「夜勤?」 「こいつ、たまに寝ないで大学来てるよ」 すかさず、佐橋が言葉を挟んできた。 「そうなんだ、凄いね。僕、7時間は 寝ないとダメなタイプだから尊敬するよ」 「やっぱり、かわいすぎる」 僕の言葉にブハッと秋津が吹き出した。 「秋津。岸野くん推し、半端ないよな」 川瀬がそう言うと、 「いや。川瀬には負けるだろ」 と佐橋が言った。 「え?」 佐橋は意味深な微笑みを浮かべ、 僕を見つめる。 「ねえ。もう告白された?」 「告白って?」 佐橋に聞き返すと、 川瀬がおいとツッコミを入れた。 「止めろって」 「いったい何の話?」 「うんうん。俺も何の話か聞きたい」 秋津も身を乗り出して、同調した。 「ちゃんと岸野くんに言えばいいのに。 僕の出身高校は、N県のM高校だって」 「‥‥え?」 それはまさに、 僕が高1の秋まで通っていた高校だった。 「川瀬。嘘でしょ?」 呆然とする僕に、 川瀬は半ば諦めた様子で息を吐いた。 「岸野くんとはクラスが違ったけど、 同じ高校だった」 「そ、そうか」 もしかして、 僕が転校する羽目になった理由も、 川瀬は知っているのか? いや、川瀬だけじゃなく佐橋も? 僕は居た堪れなくなって、俯いた。 「え?岸野くんて、東京の男子校を 卒業したんじゃないの?」 事情を知らない秋津が言葉を挟んできた。 僕が顔を上げると、 「川瀬。全部、話してみたら?」 佐橋に再び促された川瀬が、口を開いた。 「岸野くんの当時の噂を、岸野くんの本意 ではないと思うけど、僕は知ってる。 傷ついて、転校を余儀なくされたことも。 岸野くんの親友だった彼から、直接聞いた。 僕もショックだった。笑って言いふらす彼の 神経を疑った。しばらく立ち直れなくて。 でもキミの苦しみに比べたら、そんなのは かわいいものだよ。東京に行ったキミが、 幸せになってくれたらっていつも願ってた。 僕が親の反対を押し切って東京に出ること、 当時の岸野くんの成績を踏まえて、自分の 大学を決めたことは今、こうして会えた ことを考えると、間違ってなかったよ。 岸野くん、誤解しないで欲しいんだけど、 この件を今まで黙ったままでいたのは、 もう立ち直っているかも知れないキミを また傷つけたくなかったから。 キミの心を守りたい。 キミの側にいられればって思ってたから」 「川瀬」 「何だかよくわからないけど。つまり、 岸野くんが何かに傷ついて、東京に転校 したってこと?その何かは、川瀬も佐橋も 知ってるってこと?」 秋津の問いかけに、佐橋が頷いた。 「岸野くんに対する半端ない気持ちの 正体を川瀬から聞き出して、驚いたよ。 でもやっぱり誤解しないで欲しいんだけど、 聞いたからって面白がるような俺ではない。 川瀬も同じ。自分に降り掛かってきたら、 岸野くんと同じように傷つくことだから。 他人事じゃないよ。だから俺たちは、 岸野くんの絶対的な味方」 「ありがとう。怖いけど、秋津にも話すね」 「うん。オレも岸野くんを裏切らない」 「あのね。高校1年の秋、近所に住む同じ 高校の先輩に理科室に呼び出されて、 無理矢理キスをされたんだ。 それを見た当時の親友にバラされて、 学年中の噂になったのが苦しくて、 家族との話し合いの末に、 東京に転居することになった。 祖母の家に居候して2年半経ったけど、 正直言って完全に立ち直れてはいないんだ。 でも川瀬や佐橋、秋津に出会って、 もう一度人を信じようって思ってる」 「「「うん」」」 3人が頷き、そして川瀬が言った。 「ゆっくり、僕たちの側で癒されて。 何度も言うけど、何があっても、 ずっと岸野くんの味方だからね」 「うん。本当に、ありがとう」 川瀬に微笑みながら、 不意に胸がキュンと音を立てた。
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