5.上書き完了

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5.上書き完了

僕の言葉を聞いた3人の反応は、 さまざまだった。 「マジで?マジで?」 と終始興奮している秋津に、 「もしオレなら前向きに考えちゃうかも」 と満更でもない様子の佐橋に、 「えっ」 と言葉に詰まり、固まった川瀬。 「ねえ、訊いてもいい?」 やがて、佐橋が切り出した。 「うん。何?」 「それって、最近好きになったんだよね? だってオレたちって、知り合ったの最近 じゃん」 「そうだね」 「そいつのどんなところを好きになった?」 「とにかく優しくて、僕を信じてくれる。 そんなところかな」 「そうかあ、何となくそいつがわかった」 「俺も!絶対にわかった」 そう言った秋津が戸惑っている川瀬を見て、 苦笑いした。 「おい。まさか川瀬、わからないとか?」 「わかる訳がない‥‥」 「じゃあ、一斉に指差してみる?」 佐橋の提案に、川瀬以外が同意した。 「では、行きましょう。せーのっ」 佐橋も秋津も、もちろん僕も。 掛け声に合わせて指を差した相手は、 川瀬だった。 「えっ、嘘?僕?!」 当の本人は、信じられないという様子だ。 「自分のことになると、ホント鈍すぎ」 「というか、おめでとう」 佐橋と秋津がそれぞれ笑いながら言うと、 やっと川瀬は腑に落ちたのか笑顔を見せた。 「岸野くん、ホントに?」 「うん。ホントだよ」 見つめ合う僕と川瀬を見て、 佐橋と秋津があー暑いと冷やかしてきた。 「あとは2人で、ごゆっくり」 「いっそ午後の講義、休んじゃえば?笑」 じゃあなと席を立つ佐橋たちを見送り、 僕は再び川瀬に向き合った。 「昨日の夜、川瀬のことを思い出して、 眠れなかった。アプローチしないで、 こんな風に気持ちを伝えちゃったけど。 川瀬は?僕のこと、どう思ってる?」 僕がそう尋ねると、川瀬は僕の手を握り、 大きく頷いた。 「岸野くん。僕たち、付き合おう」 「はい」 ここがたくさんの学生たちで賑わう 学食だということを忘れ、 僕と川瀬は見つめ合い、手を握り続けた。 学内一の美貌で有名な川瀬由貴と、 陰キャぼっちの岸野葵が付き合っている。 その話題は、 その日の午後から学内でもちきりになった。 それでも噂に傷つくことなくいられたのは、 もちろん相手が大好きな川瀬だからに、 他ならない。 クラスは違ったが、高校に入学してから 僕を一途に思ってくれていた川瀬と 大学で出逢い恋に落ちたのは、 運命と言ってもいいと思う。 そして今朝も。 王子駅で待ち合わせした僕たちは、 意思を持って手を繋ぎ、電車に乗った。 大学まで、1時間弱。 鋭い視線を投げてくる人もいたけれど、 僕と川瀬の間を邪魔するものなんて、 あるはずがないという余裕さえあった。 とはいえ、川瀬とキスをすることが 怖くない訳ではなかった。 両思いになって約2週間経った、 金曜日の午後。 お互いその後にバイトもなく、 2人きりで会えることがわかり、 キスをしてみようということになった。 場所は、川瀬のひとり暮らしの部屋。 初めて訪れたが、 キレイ好きな川瀬らしい、 シンプルに数点調度品が置かれた、 とても過ごしやすい場所だった。 「岸野くん。怖くなったら遠慮なく言って」 「わかった」 頷きながら、 川瀬の背中に腕を回し、川瀬を抱きしめた。 しばらく川瀬と抱き合っていると、 胸の鼓動がひとつになっていくのを感じる。 中島に抱きしめられた時とは違う心地よさ。 川瀬に感じて、ゆっくりと目を閉じた。 「岸野くん」 どれくらいの時間が流れたのか。 川瀬に呼びかけられ、再び目を開けると、 僕に優しく微笑む川瀬に見つめられていた。 「川瀬‥‥」 艶やかで小さく、肉厚な川瀬の唇。 目を閉じて薄く唇を開くと、 僕は受け入れの準備を整えた。 最初のキスは、唇を合わせただけ。 そして数回、啄むようなキスをした後、 不意に川瀬が離れた。 「大丈夫そう?続けても」 「うん」 頬に触れられ、顎に指先が移ると、 川瀬の唇が再び僕に重なり、 川瀬の舌がゆっくり口の中に入ってきた。 そして上顎の裏を舌でなぞられ、 深く深く唇が塞がれていく。 気持ちいい‥‥と僅かに息を漏らした僕は、 もっと川瀬と距離を縮めたい、 そんな思いで川瀬にしがみつき、 キスを貪った。 川瀬に舌を吸い上げられたり、 口の中を舌で探られたりしながら、 どれくらいの時間が流れたのか。 うっすら目を開けたら、川瀬と目が合った。 「あっ」 それと同時に唇が離れ、 唾液が糸を引いて、2人の間を落ちた。 濃厚なキスを交わした川瀬と見つめ合い、 微笑んだ。 「岸野くん」 川瀬に強く抱きしめられ、 僕は川瀬の腕の中で小さくなった。 「川瀬、好きだよ」 そう言って川瀬を抱きしめ返すと、 川瀬は嬉しそうにこう言った。 「僕も大好き。一緒に幸せになろうね」 その瞬間、僕の視界は涙でぼやけた。 ああ、もう大丈夫。 辛かった過去は手放していいんだ。 川瀬と一緒なら、きっと幸せになれる。 後から涙が頬を伝うのをそのままに、 やがて声を上げて泣き始めた僕を 川瀬は優しく抱きしめ、髪を撫でてくれた。 「岸野くんには、これからたくさん幸せが 待ってる。そこにいつも、僕がいられたら いいな」 「うん‥‥川瀬、いつも側にいてよ‥‥」 もう既に川瀬によって、 これ以上ないくらいの幸せを感じていた。 心が凍りついたあの日を経て、 今の安穏とした日々を送っている。 感謝しかないし、もう何も怖くない。 川瀬がいてくれさえすれば。 川瀬の愛情が、 僕を強く前向きにしてくれている。 こうして辛かった記憶の上書き(オーバーライト)は、 川瀬由貴という絶対的な存在で完了した。
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