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先輩刑事の経験談
ざあ、ざあ——雨が降る。
一つしかないホームから淀んだ空を見上げる。雲に切れ目は無い。
時刻は午後四時。夕方らしい暗さも感じられぬ分厚い雨雲のお蔭で、おろしたての革靴はすっかり汚れてしまった。
現場帰りである。
普段なら刑事らしく車で移動するのだが、隣で手帳を捲る先輩刑事——環さんの、
「今日は電車な気分~。サラリーマンの気持ちを理解するのも大切なお仕事だと思わない?」
という言葉により、公共交通機関での移動が決定した。
理解不能である。
朝からツイていない。否、これは最早人災である。俺を見送る先輩たちの眼がそう言っていた。
歩き疲れた足を誤魔化すよう二、三回足首を回した瞬間、
「深き悲しみの淵より我、帰還!」
甲高い声がホームに響いた。
反射的に振り向けば、少し離れた所でポーズを決める子供が、母親に窘められている。
成程、先の科白は変身ヒーローの決め台詞だったらしい。しかし——
「悲しみの淵、ですって。最近のヒーローものは大人が観るドラマみたいですもんね」
どんなヒーローなんでしょう、と話を向けると環さんは僅かに肩を竦めて、
「これはつまらない経験談だけど——本当に深い悲しみを知ってる人はね、わざわざ傷口をひけらかしたりしないよ」
自分の中にいる自分が、それこそ変身しちゃうから——。
「——醜い化け物に、さ」
先輩刑事はそう言って、面倒くさそうに欠伸をした。
解からない。
環さんの言葉が、ではなくて。
直ぐ隣で電車を待つ、軽薄な刑事の心の闇が——俺にはまだ理解出来ないのだ。
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