アナザフェイス

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 久しぶりだね、真澄。  最後に話したのはあなたが結婚する前だから……もう二年くらい前になるんだっけ。  式には参列できなくてごめんね。  あの時は、どうしても顔を出す事ができなかったから。  今日はお祝いを言いに来たの。  出産おめでとう。  一人でよく頑張ったね。  こんなに元気で可愛い赤ちゃん……。  幼い頃のあなたにそっくりだよ。  嬉しいなぁ。  こうしてまた、妹のあなたに会えるとは思っていなかったら。  ん、どうしたの?  何を驚いているの、真澄。  久しぶりの再会なんだから、ゆっくり話でもしようよ。あなたの子供も、まだぐっすり眠っているみたいだし。  そうだなぁ、昔の話をしようか。  あなたと私が、こうして離れてしまうまでのことを。    産声をあげたその瞬間から、あなたと私はいつも一緒だった。同じベビー服を着せられて、同じベット、同じベビーカーの中から共に世界を覗いた。  今思えば、絵に描いたように幸せに溢れた家庭だったよね。  物静かなお父さん、華やかなお母さん。  閑静な住宅街にある大きくて立派な家。  東向きの窓から柔らかな陽射しが差し込む暖かなリビングで、あなたと私はすくすくと伸びやかに育った。  あなたはお父さんに似てどちらかといえば物静かな方だったから、部屋で本を読んだり人形遊びをするのが好きだったよね。  私はあなたとは反対に、身体を動かしたり、外に出かけるのが好きだった。  でも、あなたって大人しいわりにものすごく頑固だったから、どんなに私が誘っても絶対に一緒に出かけようとはしなかったね。  結局いつも私が根負けして、あなたの遊びに付き合うことになった。  二人で人形遊びをしていた時のこと、覚えてる?  いつもあなたがお姫様で、私が王子様。  変わらない配役、同じようなストーリー。  あ、別に嫌だった訳じゃないよ。  王子様役は楽しかったし。  けれど、あなたがお姫様役ばかりに固執していた理由は、その時によく考えておくべきだったって今は思っている。  シンデレラ、白雪姫、眠り姫。  絵本に出てくる沢山のプリンセス。  あなたは彼女達に強い憧れを抱いていた。  いつか見目麗しい「王子様」が自分を颯爽と迎えに来るストーリーを夢見ていた。  今思えば、私はあの人形遊びに参加する事で、あなたの人格形成に影響を及ぼしてしまっていたんだね。  三つ子の魂百までっていう諺もあるくらいだから、今度は気をつけるつもりだよ。  ……そんなに怒らないで。  私は別にあなたの生き方を否定している訳じゃないよ。結果的にこうして赤ちゃんも元気に生まれて来ている訳だし。  ねぇ、落ち着いて。  落ち着いて、話をしよう。  今さらまたケンカはしたくない。  ただ、話がしたいだけなの。  ……高校生になった頃、あなたの心の奥底に秘められた欲望は、もう私には抑えきれないほどに強くなっていた。  中高一貫の女子校に通っていたことも、その一つの原因だったかもしれない。  よく知らない対象には、具体的なイメージを持ちづらいじゃない?  幻想を抱きがち、っていうか。  あなたが男性に期待していたのは、その幻想に近いものだったと思う。  両親から大切に育てられた私達は、生活の苦しみや痛みなんて知らないまま、見た目の身体だけが大人に近づいていた。  真澄、あなたは美しかった。  肌は新雪のように真白く澄んでいたし、クルンとしたまつ毛も大きな眼も愛らしかった。お母さんの言い付けで首の後ろまで伸ばしていた長い黒髪も、絹のような艶やさを放ちながら風に靡いていた。  あなたは、宝物だった。  私にとっても、両親にとっても。  だから私は、あなたがろくでもない男たちに対して、簡単に身体と心を許してしまう事に耐えられなかった。  彼らが欲していたのはあなたの美貌や肉体であって、あなた自身じゃない。それは誰の目から見ても明らかだったはずなのに。  私やお母さんの言葉にも耳を貸さず、あなたはいつのまにか、あまり素行の良くない連中と行動を共にするようになっていった。  夢見がちな少女の心を抱いたまま、あなたはどうしようもない男達を相手に次々と恋をして、その都度ボロボロになるまで傷付いた。  薄汚い部屋やタバコ臭い車の中で、あなたが男たちの一方的な行為に媚びた声で応えていた時、私はいつも涙を流していた。  どうして私の大切な真澄が、こんな仕打ちを受けなければならないんだろう。どうして真澄は、この到底愛とは呼べないような冷たい暴力を受け入れてしまうんだろう、って。  きっとあなたには、私の気持ちなんてちっとも分からなかっただろうね。あなたはもうそういう風に育ってしまっていたから。  ……私達の離別が決定的になったのは、あなたに縁談の話が持ちあがった時だった。  お相手はお父さんの働いていた会社の上司の親戚に当たる人。少しだけ歳上だったけれど、申し分ない人格の立派な方だった。  お父さんもお母さんも、あなたのことを心底心配していたの。  合格ラインギリギリで入った大学は単位が足りず中退、ロクな仕事にも就かず、知り合った男の家を転々とするような生活を続けていたあなたでも、しっかりとした家庭さえあれば、落ち着いた生活ができるかもしれない。二人はそう考えたんだと思う。  なのにあなたはその縁談をあっさりと断った。せっかく訪れた軌道修正のチャンスだったのに。 「私の相手は、私が決める」  だったっけ?  ろくな相手も見つけられていないあなたがどの口で言ってるんだろうって、私は思ったよ。  お父さんとお母さんのいる家を飛び出して、あなたはタバコの臭いが染み付いたあのアパートの一室へと戻っていった。  キッチンのシンクに転がっていたコップを引っ掴み、あなたは水道水を喉に流し込んだ。はぁ、はぁと荒い息を漏らしていたあなたは、背中まである髪を乱暴にかき上げた。  両親の言うことをひとつも聞こうとしなかったあなただったけれど、お母さんに言いつけられたその髪型だけはずっと昔と同じままだった。  首筋までを覆った、長い黒髪。  あなたが髪型を変えないのには理由があった。他人に切ってもらう訳にはいかない。短く結ってまとめる訳にもいかない。  だってそこには私がいたから。  あなたの首筋には、私の顔がくっきりと浮かんでいたから。 「どうして縁談を受けないの」  私がそう語りかけると、あなたは大きく声を荒げた。黙れ、黙れ、黙れ、って。  悲しかった。いつの間にか、私達の関係は歪に変化してしまっていた。  幼い頃はあんなに一緒に遊んでいたのに、成長したあなたは、私が話しかけることを強く嫌った。  私はあなたの気持ちを尊重して、他人が近くにいるような時は極力声を出さないように努めていたし、自分のやりたいことや見たいものを我慢して、堕落の一途を辿るあなたの人生に付き合ってきた。  それなのに、あなたは私の心を少しも慮ってくれない。言葉を聞こうともしてくれない。そんな憤りもあったんだろうね。あの時私は、話しかける事をやめなかった。 「本当に馬鹿な子」 「せっかくの機会を棒に振るの?」 「悪いけどあなたの男の趣味って最悪だよ」 「お父さんとお母さんが可哀想」 「こんな臭い部屋に居てよく耐えられるね」 「付き合わされるこっちの身にもなってよ」 「そんな売女みたいな格好して」 「姉として恥ずかしい」  私が話しかけている間、あなたは耳を強くふさいで蹲りながら、小さな声で「黙れ、黙れ……」と繰り返していた。  そんな事をしたって無駄な事は分かっていたでしょうに。  あなたはゆっくりと立ち上がり、フラフラと頭を左右に振りながら、台所の方に近づいていった。  その右手が、鈍色に光る包丁の取っ手に触れた事に私は気が付かなかった。 「そんな風に生きるんなら私と代わってよ。私の方がきっともっと幸福な人生を選べる」  私がそう言った瞬間だった。  あなたは私に包丁の切先を突き立てた。  自分の首筋に浮かび上がる私の顔に。  鮮血が吹き出した。  あなたの、温かな血液だった。 「うわあああああああああ!」  あなたは絶叫しながら包丁を動かした。私を、自分の身体から無理やり引き剥がそうとしたんだろうね。  相当な痛みだったと思う。  あなたはそのショックで気絶して、血溜まりの中に倒れ込んだ。  危ない状態だったのは、切られた私も同様だった。薄れゆく意識の中で、私は部屋に帰ってきた男が倒れたあなたの姿を見て叫び声をあげるのを聞いた。それが記憶に残っている最後の光景かもしれない。  そうして私という存在は、深い闇の中に沈んでいった。それから二度と、あなたの首筋に現れる事は無かった。    ふふふ、懐かしいね。  結局、あの事件がきっかけであなたは今の夫と結婚することになった。だから、結果オーライってことなのかな。  お父さんとお母さんにも認めてもらって、立派な結婚式までして。  ああ、私も出たかったなぁ、結婚式。  けど、しょうがないよね。  あなたの首筋は傷跡でめちゃめちゃになってしまった。私の顔が浮かび上がるような場所は無くなってしまったんだから。  ……私、思うんだ。  確かに、あなたは今こうして幸福を得た。  けれどもっと別の方法も確かにあったんじゃないかって。  あの時、あなたが一命を取り留める事が出来たのは本当に幸運なことだった。死んでしまう可能性は十分にあった。  だからね、今度はきちんと導こうと思う。  間違えないように、迷わないように、しっかり張り付いて道を指し示しながら。  だって、せっかくあなたの赤ちゃんにこうして宿る事ができたんだもの。  これからまたよろしくね、お母さん。
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