850人が本棚に入れています
本棚に追加
殿下の遺稿は私に任せて!
「殿下、ごめんなさい。わたしなんかが殿下の遺稿を手掛けるなんて、殿下のこれまでの作家としての偉業を地に貶めることになるわよね。だけど、これも何かの縁と思わない?わたし、縁ってすごく大切だと思うの。まぁ、元夫との縁だけは例外だけど」
いつの間にか街と湖への分岐点にさしかかっていた。
「なんだって?クミ。きみは、結婚していたのかい?」
アレックスが馬を並べてきた。
彼のその尋ね方があまりにも白々しかったけど、そこは気がつかないふりをした。
アニバルは、わたしのことを作家としか話していないと言っていた。
だけど、話しているのはそれだけじゃない気がする。
まっ、隠すつもりはまったくない。だから、アレックスが知っていてもいいんだけど。
「わたしの黒歴史よ。とにかく、縁ですもの。殿下、縁と思って遠慮なく遺稿を任せてくれていいわよ」
「……。いや、何か違う気が。っていうか、すっきりしないんだけど……」
「いいからいいから。ドンと任せてちょうだい。だったら、ますます改稿中の原稿もプロットも必要だわ」
というわけで、進路は決まった。
「それに、危険を承知でアジトに戻るっていうのも小説の中では当たり前だし」
あるあるよね。
読者は「なんでアジトになんて戻るのよ?」っていうことになるんだけど、盛り上げる為には必要不可欠だから付き合ってね、っていうことになるわけなのよね。
「読者様、ほんとにごめんなさい」
って感じね。
「いや、そんな問題かな?ぼくのわがままだから、強くは言えないけれど」
街の方へと馬を歩ませながら、右肩上のロボに話しかけた。
「ロボ、どう?連中のにおいとか気配はない?」
「キュー」
右肩上で、ミニモフモフがキョロキョロしている。
可愛すぎるわ。全身、癒されていく気がする。
これが魔獣なんですものね。ビッグモフモフとのギャップに、読者がキュンキュンくるのもまたあるあるよね。
「キュキュキュッ」
ロボは、キョロキョロし終えると右肩上でまん丸くなった。
どうやら、危険なことはなさそうね。
街外れにさしかかった時点で、アレックスとわたしは馬からおりた。
彼もわたしも、ひときわ高いところにいると目立ってしまう。
それこそ、美男美女?って感じになるかもしれないし。
って自分で言うなんて、わたしもお茶目だわ。
「ククククー」
ロボが右肩上で奇妙な鳴き声を上げたけど、気にしない気にしない。
馬の手綱をひっぱり、馬車のうしろからついて行く。
街はずれに噴水と花壇のある公園があり、そこをぐるっとまわって真っ白な壁で統一されている居住区に入った。
真っ白な壁が、陽光に照らされ光っているように見える。
この辺りの人たちの生活水準は、国内の他の地域よりも格段に高い。
この辺りは街道の大拠点の一つになっているから、隣国のモリーナ王国だけでなく交易が盛んである。加えて、土壌がいいので農作物がよく育ち、酪農もおこなわれている。さらには、森林や山があるので林業だってそこそこの水準を保っている。
それとは別に、人口が多くて人の出入りが激しいわりには、他の地域よりずっと穏やかで平和なところも魅力的でもある。
アニバルとアレックスが、隣国にあるこの街をわざわざ選んで隠れ住んでいるという気持ちがよくわかる。
白い壁の家々を通りすぎている間にも、幾人もの住人たちとすれ違う。
「こんにちは」
「やあ」
「今日も暑いね」
などなど、気さくに声をかけてくる。
当然、こちらもおなじように返す。
アニバルとアレックスのことを知っている人もいる。そういう人たちとは、二、三言言葉を交わす。
アニバルとアレックスは、小説に出てくる潜伏者や諜報員同様にこの街にすっかり溶け込んでいるのね。
最初のコメントを投稿しよう!