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兵士たちが現れた
「あの端の家だ」
アニバルの太短い指の先には、他の家とまったく同じ造りの家がある。
とりあえず、ここから見るかぎりでは異常はなさそうに見える。
「ロボ、どうかしら?」
右肩上のミニモフモフに尋ねると、先程とは違って落ち着きなく「キューキュー」と鳴いている。
「まずいな」
アニバルがつぶやくと、アレックスの美貌に緊張の色が走った。
その瞬間、アニバルは軽快に馭者台から飛び降りた。それから、荷車の底板を外した。
「わお。準備がいいのね」
「当然だ。いつなんどき、どのような事態に陥るかわからないからな」
そこには、二本の剣が隠されているのである。
彼は、アレックスに一本を放った。それから、すばやく左腰に剣を帯びた。受け取ったアレックスもまた、左腰にそれを帯びる。
「へー、殿下って剣を扱えるのね」
感心してしまった。
てっきり、ペンより重いものは持ったことがないのかと思っていた。
あっ、いまのはあくまでも比喩ね。だって、葡萄酒の瓶は平気で持っているから、ペンより重いものを持ったことがないだなんて、ぜったいにありえない。
アレックスには、剣よりもペンの方がお似合いって感じがするって言いたいのであり。
「当然だ」
なぜかアニバルが応じた。
「アレックスは、おれの弟子だぞ」
「はあ?おれの弟子だって言われても、最弱の師匠の弟子だったら最最弱の腕前ってことでしょう?それって、他人に剣が扱えるってみずから申告するほどのものじゃないわよね?」
いまのは、ド正論よね?
「そんなわけがあるかっ!」
だけど、アニバルはそうはとらなかったみたい。
鼓膜が震えるほどの大声で否定されてしまった。
その瞬間、喚声が起こった。
いいえ。実際はそんな大げさなものではなかったのかもしれない。だけど、静かなこの居住地には、いまのはそれほど大きくきこえた気がした。
そのとき、アニバルとアレックスの隠れ家だという家の裏口がふっ飛んだ。わたしの目には、そんなふうに見えた。そこから、わらわらと人間が出て来た。
同時に、うしろからも喚声が起った。
振り返ると、うしろからも人間がわらわらと駆けて来る。
全員、軍服姿である。
でも、あの軍服はこのアラニス帝国のものではない。アラニス帝国の軍服は、強烈な腹痛に襲われてトイレに駆け込み、体内からすべてのものを出しきったときの物と同じ色をしている。だけど彼らの軍服の色は、濃い青色である。
「あれって、モリーナ王国軍なの?」
「いや、クミ。正規軍ではない」
アレックスとアニバルに尋ねると、アレックスが答えてくれた。
せっかくの午後のひとときをゆったりすごしているこの区画の住人たちは、慌てふためいて屋内に逃げ込んている。
裏側の広場は、あっという間に兵士たちに埋め尽くされてしまった。
「クミ、カルラ。きみたちを巻き込んでしまってすまない」
アレックスがわたしの前に立ち、謝罪してきた。
横を見ると、カルラも馬車を降りている。その前にアニバルが立ちはだかっている。
「ねぇ、殿下。あなたたちの隠れ家から出て来たってことは、あなたの原稿を見られたんじゃない?だとすれば、まだ発表前の作品のアイデアを盗まれるとかっていうのもあるあるでしょう?」
どさくさに紛れ、そんな悪いことをする奴の一人や二人、いてもおかしくないわよね。
そんなことになれば、アレックスが気の毒すぎる。
作家にとって、作品は命を削って作り上げた物。それこそ、母親がわが子をこの世に産み落とすのと同じくらい苦しみぬいて作り上げる。
それを、いとも簡単にアイデアを盗まれるとか、そもそも原稿じたいを盗まれるとかしたら、口惜しすぎるし悲しすぎる。
それこそ、この世の終焉を目の当たりにするほどの気持になってしまう。
すくなくとも、わたしだったら立ち直れない。
盗んだ奴を見つけ出し、血祭りに上げる程度にしか気力がなくなってしまう。
「いや、クミ。いまはもう、そういう問題じゃないんだよ……」
アレックスが何か言ってきたタイミングで、隠れ家から出て来た兵士たちをかきわけ、だれかが現れた。
それに気を取られてしまったから、アレックスの言葉はきこえなかった。
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