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あのボロボロは元夫よ
「おいっ、見つけたぞ」
そのとき、食堂の入り口に数名の男たちが現れた。その中の一人が指さした先に、フード付きのマントを羽織っている男、つまり無銭飲食者がいる。
「しまった」
無銭飲食者は、目に見えて慌てふためきはじめた。
「捕まえろ」
現れた男たちが食堂の中に乱入してきた。
なんてことかしら……。
食事をする客たちをおしのけなぎ倒し、乱入者たちは奥へと殺到する。
いい迷惑よね。
悲鳴と怒号が、食堂内に響き渡る。
「やめろっ!おれに触れるな。このチンピラどもめ」
「おとなしくしろ。ったく、手間をかけさせやがって」
さほど抵抗もせず、っていうか抵抗する間もなく、マントの男は乱入者たちに捕まってしまった。
「行くぞっ」
そして、乱入者たちは「暴れてごめん」とか「お騒がせしました」とか、謝罪の言葉一つなくマントの男を連れだそうとする。
そのとき、マントの男のフードが頭からずれ落ちていることに気がついた。
食堂の入り口へと向かっているその横顔を目の当たりにする。
無精髭に覆われたその顔……。
アレックスには劣るけれど、そこそこの美貌のはず。
なんてことかしら。
会ったことのある顔である。
それは、元夫セシリオ・グレンデス公爵のスケベ系の美貌だった。
いままさに食堂の出入り口からその背が消えようとしたとき、「放せってば!」という叫び声とともに、彼が暴れはじめた。
「こいつっ、おとなしくしろ」
乱入者たちは、いっせいに彼を殴ったり蹴ったりしはじめた。
そして、彼は殴られたか蹴られたかした反動で食堂内にふっ飛んできた。
「お嬢様、あれって……」
カルラがわたしのシャツの袖をひっぱった。
彼女もセシリオとは何度か面識がある。
めちゃくちゃ美人のカルラに手を出されるのがイヤで、どうしてものときにはいつも帽子をかぶってもらっていた。
セシリオに対しては、カルラの顔には傷があるからとごまかした。いえ、もしかしたら痣だと言ったかしら?とにかく、カルラはそのお蔭でセシリオの犠牲にならずにすんだ。
セシリオは、ただのスケコマシじゃない。
史上最低最悪なスケコマシである。
彼がわたしをだしにしてカルラをモノにするくらい、容易に想像出来る。
「どうして、モリーナ王国に?しかも、あんなにボロボロになって……」
そうつぶやいたカルラに視線を向けた。
これが小説だったら、動揺とか混乱するわよね。仮に軽めの反応だとしても、驚くくらいはするわよね。
だけど、いまの彼女は小説のまんまじゃなかった。
めちゃくちゃうれしそうじゃない。
髪の色とおなじ色の瞳は、小説のようにキラキラというよりかは、残酷なものを見るのが怖いくせにちょっと期待している、というようにギラギラしている。
「さあ。どうしてかしらね」
そして、わたしもである。
彼がどうしてここにいるのか、ほぼほぼわかっているのにとぼけてしまった。
「知り合いかい?それにしても、ひどいな」
アレックスは、美貌にあるキリリとした眉をひそめている。
「ええ。知り合いといえば知り合いかしらね。いわゆる過去のお・と・こってところかしら」
「なんだって?クミ、きみはいい人はいないって言ったよね?」
アレックスったら。まるでわたしがあなたを誑かしたみたいにムキになって。
「言ったわよ。だって、ほんとうのことなんですもの。だから、さっき『過去の』ってつけたわよね」
「ということは、あれはまさかグランデス公爵?クミ、きみの元夫の?」
「アニバル、そうよ。だけど、あの様子だと元夫であり元公爵っぽいわね」
「元夫だって?きみは、その若さで結婚していたのか?」
「あら、言わなかったかしら?結婚っていっても、皇族との約束の仕方のない結婚だったの。だから、そこに愛とか情とかはいっさいなかった。小説でもあるあるでしょう?元夫は、控えめにいっても女たらしなの。アレックス。あなたの「白ユリの楽士」のセシリオと……。あああああああっ!」
そこまで言ってから、とんでもないことに気がついてしまった。
っていうか、どうしていままで気がつかなかったのかしら?
てへっ。わたしってば、とんだうっかりさんだわ。
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