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悪は退散す
「大丈夫よ。この大量の金貨は、ちゃんと慈善活動にまわすから。だから、安心して逃げてちょうだい。どうせ、これだけ持っていけないでしょう?ほら、当座の資金にこれを持って行って」
ズボンの前ポケットに手をつっこむと、そこから巾着袋をひっぱりだした。子どものときにカルラと二人、おなじ布地から作った思い出の品で、いつも持ち歩いている大切な物である。
その巾着袋には、なにかあったとき用に金貨二枚と銅貨を五枚入れている。
その愛着ある巾着袋ごと、彼女たちに放ってやろうかと思った。
だけど、わたしにとっては中身より袋の方がずっとずっと価値がある。
だから巾着袋に手を突っ込み、金貨二枚を取り出してビビアナに放った。
「金貨二枚?」
「ええ、これなら数日は大丈夫。どうせ違うアジトにも慈善活動の資金を貯めているんでしょう?そこまでもてばいいじゃない。ほら、役人がやって来るわ。わたしたちが食い止めている間に、はやく行きなさい」
「すまない。恩に着るよ」
「ありがと。あんた、いい人ね」
ビビアナはうまくキャッチした金貨二枚を握りしめ、フリオと顔を見合わせてわたしの善意に感動している。
「じゃあ、行くわ」
「またな」
二人が裏口に駆け寄る。
「元気でね」
「また会おう」
「気をつけてな」
「ケガや病気に気をつけて」
わたし、アレックス、アニバル、そしてカルラ。順番に彼らに別れの言葉を贈った。
そして、二人は裏口から出て行った。
裏庭を駆けて行くフリオの上半身は、汗でキラキラ光っている。そして、ビビアナのブロンドのサラッサラの長い髪は微風に流れていた。
その二人の背が裏庭の向こうに消えたとき、裏口の扉を閉めた。
「なんてこった。クミ、作家をやめて詐欺師になったらどうだ?いや、占い師でもアリだな」
アニバルがわたしの将来の可能性を語ってくれた。
「せっかくだけど、いまはまだ作家で充分よ」
だから、やんわり断った。
「それにしても、金貨の隠し場所がよくわかったね」
「アレックス、あなただって作中でそうしないかしら?緊急時は、たいてい裏口から逃げるでしょう?大切な物は、すぐに運べるよう裏口のある部屋に隠すわよね?」
「たしかに、そうだね」
「あとは、ミニモフモフの鼻が探り当ててくれたというわけ。さすがは魔獣ね」
「キュキュキュキュー」
わたしに褒められてうれしいのね。ミニモフモフは床上で飛び跳ねている。
「これは、慈善活動にまわしてね」
ニッコリ笑ってアレックスにお願いすると、彼はブンブンと音がするほど首を上下させた。
「さすがだよ、クミ。さすがは、ぼくの惚れた……」
「さっ、表はどうなったかしらね」
アレックスが褒めてくれているけれど、そんなことよりつぎは表のことよ。
なぜかすねているアレックスとアニバルに床板を戻してもらい、エントランスに戻った。
「あれは、死んでいるのか?」
「いえ、アニバル様。気絶、でしょうか?それとも眠っているだけでしょうか?胸元がかすかに上下している気がします」
カルラの言う通りね。
エントランスに戻ると、元夫が大理石の床に倒れている。先程は、ビビアナに振り払われ、頭から大理石の床に倒れこんだように見えた。でも、いまは仰向けになっている。
胸元がかすかに動いている。
運のいい人ね。って、そう言えるかしら?
元夫は、生きているなら生きているでアラニス帝国に送り返して断罪なりなんなりしてもらわなければならない。
何をしでかしのか、詳細はわからない。
いずれにしても、ちょっと拘留しておきましょとか、お叱りだけで放免されるというようなことはぜったいにないはず。
毒杯を賜る?斬首される?国外追放?辺境の地で強制労働?
どんな罰にしろ、元夫にとっては死よりも厳しくつらいものになる。
それだったら、だまされ利用され、自分からすべてを奪った女に蹴られたり踏みつけにされて死んでしまった方が、彼的には本望じゃないかしら?
彼のすぐ側まで近づき、ドベーッと転がっている彼を見下ろした。
せっかくの美貌は、見る影もない。
やはり、心から気の毒とかかわいそうとかは思えない。いまとなっては、「ざまぁないわね」とか「自業自得よ」とかも思わない。
はやい話が、作中のどうでもいいキャラクターの人生の末路的なものを読んでいるみたいな気持ちくらいにしかならない。
「ああ、そこにいたのか」
元夫を冷めた目で見下ろしていると、エントランスの扉の向こうにベレー帽の男が現れた。
外はすっかり静かになっている。
フリオの手下対ベレー帽の男たちの勝負は、ベレー帽の男たちの勝利に終わったに違いない。
ベレー帽の男は、左右に私兵を侍らせ、屋敷内に入ってきた。
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