✳︎ episode1「知らないふり」

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✳︎ episode1「知らないふり」

五月、教室。 隣の席の重岡くんが言った。 「水原さんって、なんでここでは喋らないの。」 「えっ…と…」 重岡くんは私と同じ合唱部に所属している。 そんなこと言われても自分でもわからない。 返す言葉が見つからなくて、目があちこちを向いてしまう。 単純に考えれば、私が人見知りだからだと思う。 ほとんど話したことのない人とは上手く話せない。 話しかけられても何て答えたらいいのかわからなくて、「そうだね」と言えばいいようなことでも笑って流すことが多い。 「よく言われない?部活じゃあんなに大声出してるのに。」 「それは…」 「変なの!」 カチンッ 「(こいつ…嫌いだ!)」 中学の奴らと同類だ。 進学校なだけに明らかに手を出してくる奴はいないが、他人の気持ちを考えず無神経な言葉を投げる奴。 せめて知らないふりをしていればいいのに。 もう一人、同じクラスに合唱部の子がいる。 花守李梨花ちゃん。 自己紹介で「特技は卵焼きを作ること」と言えてしまうような純粋で可愛い子。 声もアニメのヒロインのようで、部活で接していて本当にいい子なんだと思った。 いかにも少女漫画の主人公に相応しい女の子だ。 彼女はいい子だから気を遣ってくれているのかもしれない。 クラスではいつも知らないふり。 部活ではよく話すが、クラスでは一言も言葉を交わさず、目も合わせない。 でも私はそれでいいと思っている。 教室にいる時、突然話しかけられてビクついてしまうような私にとって、話しかけられないほうが落ち着く。 入学式の日は誰かに話しかけれもらいたいと思っていたのに、今では「誰も話しかけないで」と思うようになった。 別に一人でいて困ることはないし、休み時間は好きな小説を読んで過ごすほうが自分にとって有意義だ。 唯一困るのは、私の部活中の態度と教室にいる時の態度が全く違うことを聞かれること。 「あ、ごめん!人には色々あるよな。」 「はあ…あはは…」 また笑って流す。 言葉にして言い返せないから悶々とした気持ちが残るんだって、分かっていてもできない。 「(悪いと思うならはじめから聞くなよ!)」 心はこんなにうるさいのに。 いつも何かに怯えている。 「(もう、お願いだから、何も聞かないで。)」 話しかけられても、私は上手く答えられないから。 言葉が見つからないから。 その度に傷つきたくない。 私は本当にダメな人間なんだって思いたくない。 だからお願いします。 知らないふりを、していてください。
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