生の一時

1/1
前へ
/1ページ
次へ
  私の朝は早い。  まだ日が昇る前に目覚め、眠気のない目を擦って視界を取り戻していく。  年を取ったせいなのか、以前のように布団にごろんと転がってのんびりとしていようという気にならない。もしかしたら、視界に映る景色の中に、一秒でも長く溶け込んでいたいと、身体がそう望んでいるのかもしれない。  微笑しながら何を馬鹿なことを、と自分で自分を嘲笑する。今まで勢いだけで生きてきたような男が、変に小難しいことを考えても何も出て来やしないだろうに。  私が身体を起こして立ち上がろうとすると、彼女も横で目を覚まし瞼を擦り始めた。何年も一緒にいたせいか、起きた時の仕草が私と全く一緒だ。私が彼女に似たのか、彼女が私に似たのか。  彼女はゆっくりと身体を起こして、側に置いてあった車椅子に腰かけた。私はまだ何とか自分の足腰で歩行することが可能だが、彼女は器具の力を借りなければ自分の意思で移動することが出来ない。  彼女の使っている車椅子は電動式で、手元にあるボタンを押すと自動で進んだり回転してくれたりしてくれる。なんともありがたいものだ。だがまあ、ボタンを押す判断能力も随分と衰えてしまっているので、車椅子に乗っていても移動はゆるやかになるのだが。  私は彼女が移動する速さに合わせて一緒に寝室を出て行った。台所に向かい、食事の支度。私は一切料理など出来ないので、今もなお、彼女に任せっきりである。  台所の台は、彼女の座高に合わせて作られているので車椅子に乗ったまま料理が出来た。娘がこの家を建てた時にそうしてくれたらしい。  娘夫婦は、一週間に一回この家にやって来る。食料や日用品を大量に買い込んで持って来て、風呂に入れない私たちの身体を拭いて洗ってくれる。  ありがたい、というべきなのだろうか。彼女はいつもにっこりと微笑んではいるが、私からしてみればただ厄介者を追い出して別の場所に住まわせたような気がしてならないが……。  だがまあ。おかげで生きている。今もこうやって、彼女が料理をしている姿を眺め、自然の心地よい音を耳に沁み込ませながら息づいている。  一緒の時を生きていられるなら、それ以上の幸せはないだろう。周囲にどれだけ疎ましく思われようが、どれだけ身体が痛み自由が利かなくなろうが――彼女がいればそれでいい。彼女がいることが、私の生きる糧なのだ。  料理が終わり、ともに食事をする。会話は、特にない。ただお互いに視線を合わせ微笑み、ゆっくりと食べ物を口に運んでいく。  起きて。食べて。そしてそこから肩を並べて空を眺める。天気のいい日は外で、雨の日は家の中から雨粒のあたる窓を覗き込んで空を見る。呆然と眺めていると、いつの間にか昼時になっていて、彼女はまた料理を始める。  そして食べ。また、空を見上げ眺める。そうして次は夕食だ。夕食を食べた後は、胃が落ち着いた頃合いで布団に入る。これが一日の流れである。ここ数年、この流れは変わったことはない。  しかしどうやら今日は違うらしい。彼女は食事を終えると、晴天の外には向かわず、居間へと向かった。  居間にある小さな仏壇。彼女はその仏壇に近づき、こちらをじーと見つめる。  微かに、そしてゆったりと彼女の唇が動く。 「おじいさん」  か細く、ほとんど大気の中に消え去ってしまっているような声。だが、私にははっきりと聞こえた。彼女が私を呼んでいる声が、はっきりと聞こえたのだ。  彼女は私を呼ぶと、静かに目を閉じた。  珍しい。こんな時間に居眠りだなんて。しかも、こんな滅多に入らない部屋の中でなんて。  幸せそうな彼女の顔を見ていると、私も次第に眠気に襲われた。とても久しぶりな気がする。瞼が閉じようとしていることに抗えないこの感覚。ひどく懐かしく、そして心地良い。  私は彼女に近づき、そして眠る彼女の膝の上に乗った。  彼女の朗らかな顔を見上げ、すごく嬉しくなった。  ああ。本当に。私は彼女のために生きていた。彼女の幸せが私の幸せであり、彼女のいる空間が私の天国だった。  私は重たい瞼に最後の抵抗をして、彼女の呼び声に答える。 「にゃあ……」  おばあさん、とそう聞こえただろうか。  きっと、聞こえただろう。  だって私は――。      
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加