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社員旅行の、そのさなか
社員旅行なんて、どうせ適当なビジネスホテルだろ、なんて思っていた自分を殴ってやりたい。こんなことなら財布に諭吉をあと数枚追加すべきだった、と思ったのは社員全員を乗せたバスが、温泉旅館まで運ばれた頃だった。
昨日も残業で、終電ギリギリまでミリ単位の設計で粘っていた分、今日の早起きがこたえているのは営業の奴らも同じだろう。ちら、と盗み見た康太の目元が若干黒くなっていたことからも想像がつく。アイツのラフなシャツ姿なんて久しぶりに見た。
同期の研修のときには、すごい、話せたけど。
――なんで俺と同室になろうなんて言ったんだか。
総務が適当に決めた部屋割りでは、どうやら年功序列でいい部屋が割り当てられ、俺の部屋は同期の康太と、もう一人、営業の佐藤とも一緒になる予定だったのだが、佐藤の娘さんの発表会だかが被ったために、俺と康太の二人部屋、というかたちになったらしい。各所女子社員からはものすごい視線を浴びたが、これは俺のせいではない。断じて。康太は割合、ひとに好かれるタイプだ。見た目もそうだし、対応もいい。うちの課長の木村さんなんか、康太がこっちに来る度声のトーンが上がるくらいだ。
一方の俺は黒髪短髪作業着。下に着るのも数枚セットの白無地インナー一枚ずつ。
アイツは地毛が茶髪で毎日セットをしているという整髪料の香りがとても似合っている男だ。綺麗に糊のきいたスーツとネクタイを見かけるのはせいぜいシフトの入れ替えのときくらいで、俺はひたすら、アイツのもつものに憧れているだけで、なんにも、動いてはいない。
部門が分かれてしまったぶん、康太の噂話だけが聞こえてくるのが、本当に嫌でしかたがない。けれど、アイツは俺のことを手放しに褒めてくる。だから、いろいろなものがちくちく、心に残っている。
そんな男と久しぶりに話せるのは嬉しいが、果たしてそれが本当に嬉しいことだったのか。
豪奢な装飾品まみれのエントランスから、俺達に割り当てられた部屋に異動した。古式ゆかしく、ドアノブに鍵を差し込んで回すタイプのルームキーだったので安心していたが、各部屋に露天がついているという破格の設備に、俺は一瞬靴を脱ぐのをためらってしまった。康太はずんずんと進んでいって、せっかくだから先に風呂入っちまおうぜ、と言ってきた。
寝汗もすごかったし、このあとの発表会のときに酒を注ぎ回るのは必須。少しでも好感度を上げたほうがいいだろうと俺も了承した。
時間もないしもういいだろう、ということで同じタイミングで、ひとまず風呂に入った。
あたたかいお湯に、バキバキに固まった体はほぐされていって。なんだか一人でここにいるような、不思議な気分になった。
「普通に、すごいところに来ちまったな……」
見た目も設備もえげつない。普通自分でなんか行かない異世界。
職場と家の往復を、この年一の行事で癒やせるだろうか。きっと無理だろう。
また久しぶりにスーパー銭湯でもいこうか、なんてことを考えていて、ふ、と誰かの吐息が漏れた音がして、慌てて目を開ける。
「オッサンみたいだな、おまえ」
クスクス、冗談の言い回しで絡んできた男に、呟く。
これはまずい。ここには康太がいるんだった。
「すごいところに来たのは事実だろ」
「そうか」
「フツー、こんなとこ社割でも来ねーっていうか……」
「どうせ給料から諸々取られてんだし、いいんじゃねえのこういうのも」
康太もうんとひとのびして、頭を湯船のへりに預ける。ここの天然温泉は若干にごりがあるらしく、その一番見えて欲しくない部分は良い感じに隠されている。俺のも別に、見せたいわけではない。ただ、もし万が一、なにか例外的なことがあった場合、この二泊三日を無事に過ごすどころか、ここから先の社会人生活にもひびが入りかねない。
そういう意味でも、リラックスしすぎることはいけない。
「つうか、あれだよ。よくおまえこんなに緩んでいられんな。このあとスピーチあるんだろ?」
「そうそう。研究発表ってやつ。まあ社員旅行だからちゃんとそういうイベント入れてくるあたり、ここの社長というか上の人たちはしっかりしてるというか……」
うんとひと伸びした瞬間に見えた、手入れされている脇を見て、思わず自分の体をきゅっと締めた。
ああ、そういうところからこの男はよくできているのだとわかる。自分なんて。考えないようにしていたはずが、このまえも製図に失敗して大目玉を食らったことを思い出した。それのせいで残業続きだというのだから、俺は本当に、と思う。
「営業は飲み会も仕事だってーのはわかるけど。まあ正直、社内でもそれをするのは本当に時代遅れだと思う」
「まあ、それでもおまえは」
褒められているじゃないか。
そう言いかけてやめた。代わりに、と、ちょうどこの部屋割が発表されるまえに話しかけられた女子のことを思い出した。
「いや。あのさ、その飲み会終わったあとって、その」
「ん? ごめん聞こえなかったんだけど」
なんかその後イベントあるんだっけ。
そう言いながら、こっちにすいーっと寄ってきた男の姿をみて、体育座りをさらにきつくした。
手入れのし尽くされたすがた。俺のもさもさぼーぼーとは訳が違う。
「……い、いや。おまえ結構飲まされるもんな、うん」
「たかひとくーん?」
「ん、な、なに」
小学生でも呼ぶような言い方だというのに、耳元で吐息混じりに言われたらそれはもう、深夜帯の空気を感じたって仕方がないだろう。
源泉掛け流し、と銘打っているはずが、なんだか、湯がぬるくなってしまったきがする。
体を引いた俺に、もう一度、今度は普通に正面から、声をかけられた。
「ここの旅館、別邸あるの知ってる?」
「ああ、なんかパンフにそんなこと書いて……」
「こっそり抜け出してさ、そっち行こ。明日は女湯になっちゃうらしいからさ」
「え、あ。そうなのか……」
「うんうん。だってさー、今日すっごい流星群見られるらしいって聞いたしさ、オッサンたちの接待はそこまでしなくてもいいかなって」
それはもう。うれしい。普通に。
だがそれはこの会社のシステムをふいにするということで。
「まあ、おまえが……その、昇進に」
「まーたそういうこと言う! 技術職のホープであるおまえがそんなだから舐められんだよ営業に!」
ざぱんと立ち上がった瞬間にみえてしまったものは置いておいて、俺は完全に康太の空気に飲まれていた。
「おれは隆人と一緒に、いたいの。ね、わかった」
「……う、はい……」
「はいじゃないんだってばもー!」
ぜったい行くからな、ぜったいだからな!
こどもみたいにぷりぷり怒りながら、康太は浴槽からでていった。
俺は安心して体を緩める。今度こそ、湯に浸かっている気分を味わうのだ。
「……星、ねえ」
しばらく空なんて見上げていないことを思い出して、俺は、この先の宴会までをなんとか乗り切ろうと、決めたのだった。
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