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いざ出陣-前哨戦-
宴会の席次はあってないようなものだ。
だから俺は、会社の飲み会なんてものが苦手だ。
安寧の地はなく、どこかへ旅立たなければこれから先半年の未来はない。そういう風に教え込まれたのも、きっと学生の時分に体育会系の諸先輩方が確かに感じてきた空気とか物理的感想なのだろう。
はあ、とうっすらビールで湿ったグラスを手に取る。
BGMはすべて喧噪だ。廊下ではクラシックがかかっていたというのに、まったく、こういう空気は。
俺だってどうせ誰か彼かに酒を注ぎにいかねばならない。だから前菜は軽く胃の中に放り込んだ。当社比三割増で丁寧に整えた髪は三分も持たずに汗にまみれた。
誰彼も、最初に食いっぱぐれると本当に酒しか入らない。俺も最初は加減がわからなくて翌日の仕事を半日ぼーっと過ごしたことだってある。
だが、ここは戦場。俺は行かねばならない。
「あれ、隆人くんもう社長のとこにいくの」
「あ、はい。今かなって」
「うんうん、行ってらっしゃい」
一杯目から顔を赤くしている大先輩に見送られ、瓶ビールを取るため席を立った。瞬間、聞こえてきた声。
「康太くーん」
女子だ。反射的に足を止める。
わかっていた。康太はこういう場で引く手あまたの男だということくらい。
「部長、いま空いたっぽいからチャンス!」
「おう! んじゃ、ヤマちゃん一緒に」
「え、私?」
「うんうん、ほら行くよー」
「ええ、ちょっと!」
こういう、社長までの陣取り合戦に勝てないのも、わかっている。だから、正直、飲み会なんてなくていい。今日もだめだった。だいたい、康太が女子と連れだって社長のところに行ったあと、俺はすごすごとその後を追う。逆になったことは、おそらくない。
俺は次のターンを待つため、順番待ちをやめ、彼らとは逆方向へと向かった。
新人の山内さん、明らかに部長のこと苦手っぽかったけど、いいのか。康太となら行くのか。仕事だもんな。浴衣、普通に似合ってるし、普段お団子できっちりまとめてる子が髪下ろしてるだけ。女の子としてかわいいと思う。普通に。
そう、普通だったら。飲もうとしたところで自分のグラスは空である。しかもこんな立ったまま飲むなんてこと、さすがにできない。ああ、畜生、酔えやしない。
頭の片隅にはさっき聞いた一言が残っているというのに、目の前の状況を見ているとなんだか俺の多大なる妄想だったのか、なんてことも思ってしまう。いや、そういう奴ではない。多分。
そう思いながら、一番後ろの席に居た事務の重鎮、相川さんを見かけて、ビールを手に取るのをやめた。彼女はまだ酔っていない。いや、酒すら飲んでいない。いつも烏龍茶だから、今日も、と思って瓶の烏龍茶を手に取る。冷えるからとかで、できればぬるめのがいいと言っていた気がする。
おかれていたものを吟味した結果、しばらく放置されてひと瓶を発見し、手に取る。瓶の外側が水滴で滴っていたのでそれを拭って、もうひとつひんやりとしているだけのものも取り出し、改めて相川さんの元に歩いた。どうやらしっかりと「食事」を楽しんでいるらしく、そのテーブルの皿の上に残されているものは少ない。このクラスまでいくと社長の元に誰彼かが行くわけでもなく、かといって向こうから来るようなことがあれば以後数週間は悪口合戦になるのだから、本当に世界は分からないものだと思う。
「あ、タカちゃんいらっしゃーい」
「相川さん、おつかれさまです。ええと、飲み物は烏龍茶でいいですか?」
「ああ、ありがとう。さすがわかってるー」
「みんな隆人くんくらいちゃんとしてくれたらいいのに」
相川さんの隣にいた和田さんが、俺に席を譲るためにひとつ隣に席を動いた。世が世ならハーレムであるが、残念ながら二人とも結婚どころか子供もいる。俺は多分、このひとたちのおこさま枠。
正直、この場の行動いかんでこの先の内勤かわいがられリストが上下するのだから、ある意味社長よりも恐ろしいものかもしれない。
「……ええと、俺?」
「この人飲めそうに見えるから、未だにビール持ってくる阿呆とか居るのよ。ささ、座って飲んで」
「あ、どもっす」
事務のお姉様方の間に座るのは少々気がひけたが、そうなってしまったのだから、仕方がない。ちょうどアイツも見えなくなるしちょうど良い。そう思っていた。
背中から感じる視線があったらいい。
なんて妄想を、諸先輩方から差し出されたビールで流し落としたのだった。
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