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渦中の種
飲み会は仕事。業務の一環である。
しかもここはただの飲み会ではない。
「だからー、隆人くん世代が役職ついてた方がいいのよ! 流行ったでしょ、コーゾーカイカク!」
「はあ」
バシバシ叩かれながら、俺は和田さんに文字通り絡まれていた。
ちなみにこのくだり、三回目である。いくら高級旅館の1フロアとはいえ、職場の宴会なのだ。粛々と食べられるわけがない。楽しく飲めるのはごくごく一部の人間だけで、あとは社交の場。当然の帰結だ。
「和田ちゃんちょっと! 何回も言うけど私はこう、ヒラの星っていうタカちゃんがいいんだけど」
「はあ」
そういう適当な、そちら好みの将来設計、楽しいんだろうか。楽しいんだろうなあ。
自分のことをネタに話されている状況だというのに、俺の脳に残る気配は全くない。思わず、ずず、とビールをすする。他人に注ぐために持ってきたはずなのに、和田さんが十分前からこの状態なので、相川さんからストップがかかった。
ゆえに俺が消費するほかなくなった。なんでも、目の前にあったら口付けてでも飲み始めるから危険、と。誰だ最初に飲ませた奴。
「ええー、優秀人材豊作の年の子たちなんだから、切磋琢磨してほしいじゃない」
「そんなの私たちがどうこうできるもんじゃないでしょ、まったく。どうせ、タカちゃんに仕事減らしてもらおうって思ってたんでしょ」
「ええ、そんなことないわよ。私はただ、」
「働きもせず給料もらおうなんておこがましい」
「ちょっとー、なんか言った?」
「なあんにも」
こくりと喉に流し込んだのは、自分がすきな味なんかではない。
俺がいてもいなくても回る世界のはずなのに、どうして俺は二人の間に挟まれているのだろう。耳に残らない、自分の上空で繰り広げられる会話に、まったく交じることができていない。
いや、混じりたいわけではない。断じて。
「ところでさあ、隆人くん」
「ぶっちゃけ内勤の仕事、たのしい?」
両脇からぐ、と体を詰められて、逃げ場がなくなってしまった。
取り落としそうになったビールをテーブルに戻して、言う。
「まあそれなりに」
「あのさあ、営業とかむかついたりとかないの」
「ここだけの話だし、言っちゃっていいのよ」
いや、絶対広めるでしょうあなたたち。
知ってんですよ、結構、軽々な口をお持ちだと言うことは。
「いるでしょ、ねえ」
「例えば康太くんとか」
「え、……っと?」
不意に出てきた男の名前に、胸の奥がざわついて一瞬反応が遅れた。あれ。なんで。素がぽろっと出てしまったようで、なんだか気恥ずかしい。
そうこうしているうちに、和田さんは残りわずかだったビールをぐいっと煽る。男顔負けの「ぷはー」とともに、捲し立てられる。
「やっぱり花形営業マンでしょ? 元々知識ある子だから、いっぱい嫌な受注とか受けない? 私もさー……」
「いや、アンタの場合は受注聞いてなかっただけじゃない」
「ちがいますー、ちゃんと目の前のお仕事に一生懸命だっただけですー」
「和田のことはおいといてさ、ないの普通に不満とか」
「ああ、まあ……」
これはいけない。少しずつ覚めていく酔いが恋しくなるくらい、和田さんの愚痴は長いし相川さんのねちっこさは普段から定評がある。
休憩時間は男同士でつるむように、はそのためでもあったのだと再認識する。ああ、でも。
まあそんなことどうでもいいか、と思えるくらいには、酔いは残っていた。なんとなくぼんやりと、輪郭のない音がこちらへあちらへ動いているように聞こえる。
どうせ外でそこまで悪酔いはしない。だから油断していたのだ。
「ないわけでは、ないですけど」
気付いてもらえないことへの、不満とか。
「ま。でもあれね、康太くんにはないかー」
「え?」
殻で指さされた方向を見る。茶髪、爽やか、きん、と入ってきた男。に、思わず相川さんの方を向いた。
彼の名前を聞くだけで一瞬覚醒する。
露骨すぎただろうかと不安だったが、相川さんは相川さんで、目の前のメインディッシュで現れた巨大な蟹に夢中だったせいで俺の相づちは聞こえていなかったらしい。
「あの子ねえ、ちゃんと無茶なことやったあと、こっちにお礼に来るし、そこから根回し半端ないから」
相川さんは指先に溢れる蟹のエキスを吸い取りながら、そんなことを言う。
「そうそう! このまえの納品日間違いのときとか、すごかったんだから。間に合わせた私らに、こっそりクッキーまで持ってきて」
「ねえ! コンビニのとはいえ、よくやってくれたよね」
そういうとこ、うちの課長も見習ってほしいわー、なんて言われても、はあ、とか返せない。が、内心の動揺は計り知れない。
あの康太が、根回し? いや普通にそういう気遣いができる奴だろう。でなければ、各所で康太の名前を聞くわけがない。でも、そんな切羽詰まっていたところなんて、見たことがない。
「顔もよくて気遣いもできるとくれば、」
「よりどりみどり、選び放題遊び放題」
あれ、もしかして、俺に冗談言いにきているときって、もしかして。
いやちがうちがう。
アイツはそういうことはしない、はずだ。ブラックの缶コーヒーが苦手なくせに俺のところに持ってくるとか、そうい、う……?
銘柄とか、覚えられていた気がするが、それは。
違う違う。酔っ払いの俺の誇大妄想だ。
「うらやましいわー、私もあと十年、いや二十年若かったら」
「ちょっと相川ー、それでも康太くんより年上じゃない」
「そうよねえ、ざーんねん」
まくし立てるように繰り広げられる妄想トークに口を挟む余裕はない。俺は無心で、目の前に置き去りにされ、誰の手にもわたっていない枝豆に手を出し始めた。一つ押し込んで口に含む。塩辛さはほぼない、だが、素材の濃い味がよくわかるものだった。おいしい。おいしい。
おいしい、と思っていないと、やっていられない。そう思いながらまだ手を付けられていなかった前菜を無心で、食べていた。
俺の存在がスパイスになるくらいでいい。メインディッシュではない。そうだそうなのだ。
だから、相川さんと和田さん、二人で話をしてくれるのであればそれでいいのだ。俺が奴のことを好きで居ることがこの二人に知れたら――。
正直俺はどうでもいい。が、アイツには、迷惑をかけたくない。
なんで、と言われてもわからない。
「まあ、逆にタカちゃんはほら、ほとんどこう、変わらないじゃない? そこがいいって言われてんのよ」
だからさあ、と相川さんはさらに続ける。
「ヤマちゃんとかお似合いだと思うんだけどねー」
「ねえねえ、実際のところはどうなの」
「……俺は、その」
女性はかわいくてきれいだと思うのですが、そういう趣味ではない男なんです。そう言いかけて、む、と口を引き結んだ。
それをめざとく見つけた相川さんは、俺の頬をつついてきた。
「あ、もしかして結構本気?」
「そういうわけではないです。山内さんなんて俺にはもったいない」
普通の女の子。きっと社外で彼氏でもいるんだろう。スマホを肌身離さず持ち歩いているし、昼休みにメッセージを見て微笑んでいる所を知っている。
山内さんみたいなひとを好きになれていたら、きっと、こんな思いなんかしなかったはずだ。
でも事実、俺はそうではない。
「それに、」
ふい、と視線を上げると、社長から握手を求められている山内さんと、その隣でにこやかに佇んでいる康太の姿があった。
ふたりとも、ただの館内着だというのにお似合いに見えたうえ、康太のイケメン具合がさらに上昇して見えてしまうのは、やはり自分の目がそういうフィルターをかけているからだろう。
「ああ、そっかー。ヤマちゃん康太くん狙いか」
「それは無理ねぇ」
目が合う前に逸らさなければ、なんて思っていたが、どうやら相川さんと和田さんには盛大な勘違いをされている気がする。にんまりと、それでいてやけに目の奥が笑っていないこの感じは。
いや、気じゃないなこれは。
「え、あの」
「そういえば今日の発表も康太くんと主任だっけ」
「ああ、そんなこと言ってましたね」
逸らされた話に全力でのっかる。ああそう。そうなんですよ、と言わんばかりに相づちを打つ。俺の好きな相手は。
「負けんじゃないわよ!」
ばしん、と普段の作業着であれば響かない音が響く。たまに景気づけで背中を叩かれることはあるが、この酔っ払っている状態の和田さんに、館内着という布一枚では到底太刀打ち出来ず、思わず背中をなでさする。
「あの、ハイ……ありがとう、ございます」
やっとあの二人、社長の横からいなくなったからチャンスよ!
そう相川さんに言われたので、俺はこちらの強烈な席をあとにして、もう一度ビールを取るため席を立ったのだった。
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