火蓋をおさえて

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火蓋をおさえて

「以上。ありがとうございました!」  康太のプレゼンは完璧だった。  ある一点を除いて。 「出てましたね、名前」 「ああ、」 「隆人さんって、そういうこともできたんですね! ほんと器用っつーか」  あとからやってきて隣に座ったのは新人。新人と言っても院卒だかダブったかなんかで、割合年齢は近い。  そんなやつがへべれけになって絡んできたのだ。この場においては絶賛話したくない男だ。  なにせ声が、でかいのだ。  その場で気付いていなかった人間もひそひそと、話し始めている。  ――最悪だ。 「ちがう、俺はただ」 「またまたー、謙遜しちゃって。あの康太さんにプレゼンされる商品開発したって、オレたちも知らなかったんですよー。てっきり課長が作ったのかと」  そう。俺の名前を出した所を除けば完璧だったのだ。  研究成果を求めるために、どのような取引先に営業をかけたのか。競合他社はどうであったか。  営業先での利益はどの程度で、その結果として、大手の受注に繋がった。しかし改善の余地はある。今後自分はどうやって会社に貢献していきたい。  テンプレをなぞるサクセスストーリーのなかに、一介の社員である俺の名前を混ぜ込むなんて、本当にどうかしているのだ。 「あの、すみません。俺ちょっと、」  俺の言葉を聞けるような状態ではない、真っ赤な顔の男に絡まれるのに飽きて、オレは貴重品の鞄を持って席を立った。  がやがやとした裏路地のような世界は一瞬で元の高級旅館の姿に戻り、しんとしている。少し休んで、また宴会に戻ればいい。たばこは吸わないが、まあそういう抜け方をしている人間もいるのだ、許されるだろう。  そんな考えが、甘かった。 「お! 隆人ー」 「……っ、」  康太の口は軽やかに俺の名前を呼ぶ。  目の前からやってきた男はさきほどまでの対応が終わって脱力したのか、晴れ晴れとした表情であった。  普段の俺なら缶ジュースどころかカフェに誘いたくなるような、まぶしい笑顔。 「どうだったプレゼン」 「見てたよ」  そんなリラックスした顔をしている男に、クソ、と舌打ちをするくらいには、本気で酔っ払っていた。  踵を返そうとした俺の服の裾が、彼の手に捕まる。 「おい、無視すんなって」 「んだよ」  くい、と引かれた手を払いそうになって、一度ためらった。  この男はなにも、悪くない。  わかっているのに、俺は。 「なんで、俺の名前出したんだよ」  きつめの一言を出してしまったことは自覚している。だが止められなかった。  喜んでる奴と一緒に喜べない自分が、いやだった。
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