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「もう、行くの? 姉さん」
朝方、玄関から出ようとしたところを背後から香梨に声をかけられた。もう一度佳奈実に顔を合わせてしまうと、また離れがたくなってしまいそうだったので、誰にも気づかれないよう、起きてくる前にこっそりと出ていこうと思ったのに。
「ええ。悪い?」
振り返らずに、私は悪態をつく。
「悪いとか悪くないじゃなくて……」
「せいせいするでしょ。これで、この家は平和に戻れるんだもんね」
「あのねえ……」
香梨が大きくため息を吐いた。
私たち姉妹は、いつもこうだ。第三者が居れば二人共よそ行きの大人の顔をするので問題はないのだが、二人きりの時はすぐに口喧嘩になる。
「もう会うこともないでしょう。サヨナラ」
私はドアノブに手をかけ、玄関を開けようとした。
背後で、再び大きなため息が聞こえた。やっと、疫病神が出ていってくれて安堵の息を吐いた、といったところか。
「たまには連絡してよね。一人しか居ない姉さんが生きているかどうかも分からないってのは、不安なのよ」
思いがけない言葉に、私は足を止めた。
「正直、姉さんのことは苦手よ。昔から家なんて顧みずに身勝手に生きて、そうかと思ったら今回みたいにふらっと姿を現すんだもの。何を考えてるのか全く理解できない。……でもね、たった二人の姉妹だもの。二度と顔を見たくないなんて、嫌いになれるはずないでしょ」
私も同じだ。昔からつまらなさそうな顔をしながら、真面目に勉強をして、就職した、私からすれば楽しくない生き方をしている香梨が理解できなかった。
その反面、ちゃんと生きている香梨が眩しくて、自慢でもあった。嫌いになんてなれるものか。
「あの子の未来のためにも、学校には休まず行くべきだと思うわ」
「……」
「でも、姉さんが来てから佳奈実は楽しそうにしてるわ。最近は暗い顔ばかりしていたのに。そこは感謝してる。昨日、わざと嫌われようとしてたみたいだけど、あの子は姉さんを嫌いになんてなれないわよ」
見透かされていたらしい。しかし、香梨が私の意見に折れるなんて、珍しい。
「だから、ああもう」煩わしそうに言うと、香梨はガシガシと髪を雑に掻いた「今度帰ってくる時はちゃんと事前に連絡すること。それ以外にも、時々は連絡よこしなさい。家族なんだから」
「……分かった」
私はあまり感情を乗せずにボソリと呟くと、振り返らずに玄関を出た。今、顔を合わせてしまうと、きっと私は涙を流してしまうから、振り返れなかった。
玄関ドアの締まり際、香梨の「行ってらっしゃい。姉さん」という優しい声が聞こえた。
逃げてばかりの私にも、待っていてくれる人はいるんだ。家族はいるんだ。
昨日のうちにダンボールは引越し先へと送った。どうせすぐにまた逃げるんだからと、私のよく知らない、私を知る人の居ない土地へ。
私は佳奈実にとっての止まり木になれただろうか。辛い現実に潰れそうになっていた佳奈実に安らぎを与えられる人に。
羽休めをした佳奈実はまた飛べるだろうか。
いや、飛べるはずだ。だって、あのちゃんと生きてる香梨の娘で、私の姪なんだから。当然。
空を仰ぎ見る。まるで私の旅立ちを見送るように、青々とした空が広がっていた。私の心みたい、というのは気障すぎるか。
「待ってなさい。遅ればせながら、私もうんと幸せになってみせるから」
いつか私が立派に、しっかりと地面を踏みしめて生きている実感ができたら、二人に会いに来よう。
その時は事前に連絡をして、ね。
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