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第壱譚
二〇一六年、九月某日
――旧暦・神在月
神々が集う意、神来社の名を称し、現在に至る日本の地。
その土地は田舎の代表格と言われつつも、山在れば木々在り、岩在り、奉る場在り。特に神々が集う場が日本有数の社として名高く、その敷地は山一帯。日々、御利益ある『ご縁』を求め、各地からも集う観光客。迎えるは、近年整備された坂道の土産物通り。
そしてそこに、本数少ない電車が止まる、レトロな駅から徒歩数秒。
通り雨が、日に照り差され、すうと土の香を残し去って行く。
ああ、晴れた、良かった。安堵の声とステンドグラスの光をスッと横切る、螺旋硝子の首飾りを揺らし、ヘアクリップで茶髪を束ねる女性。日本海側に面する土地で、ましてや海がそれなりに近くに在る。地元住民である彼女からしても、急な天候の変化は読めない。
ましてや、この身に起きるすぐ先の、未来なんてものも。
何もかも不透明な今、一分一秒、刻々と。
雑踏の如く、息をするように、過去へと潰されるのだ。
そして、彼女の知らぬ雑踏の、徒歩数分。
土産物街の坂を登り切る辺りで、名物の餅菓子を堪能する、諸外国からの来訪者二人。露店の近くで餡子入りの平たい餅菓子を、見目麗しい無表情の女性、その隣に背の高く顔の痣が特徴的な男性が、所々に設置されているベンチで食している。海外からの観光客など珍しくはないが、やはり異邦の出で立ちは、注目の要素があるようだ。
「やはり貴方、育ちすぎでは?」
「それを言うの勘弁してください師匠……これ以上は育ちませんから」
もういい大人ですので、と溜息交じりにで話し、餅菓子を完食する男性。
「まあ以前のように、親子に見られるよりかはマシな方ですが」
どうぞと弟子から差し出されたペットボトルの茶を、咀嚼をしながら無言で受け取る。賞味期限が短いと店主に言われたため、二人は汁粉の名を持つ餅菓子を開封し、店から少し離れた緋毛氈の敷かれたベンチに座り味わっている。
すぐ横の視界には存在感を放つ、大きな大きな鳥居と灯籠。横断歩道を挟んでまだ先があるというのに、何かを守るかの如く多い茂る木々。それもそのはず、その先には神来社の有名所である、国宝のお社に繋がる長く広い参拝通りの境目のような場所。近年大きな催事が行われた影響か、田舎の代表格と自負するこの土地に、例年になく観光客で賑わっているという話だ。
「せっかく旧暦という時期に合わせて来日できたというのに、これでは人目に触れるのも避けられないんじゃないですか?」
「確かに人目を忍んできてはいますが、やましい行為をしているわけではありません」
堂々たる覚悟でいなさい、と、端麗な表情が語る。
「此所は自然信仰がとても根付いているのが分かります。自然調和の狂いが、寸分も違わない『圧』は、ここに来て貴方でも感じるでしょう……クカル」
ピ、と少し張り詰めた空気に、クカルと呼ばれた青年は頷き同意する。
「恐らく日本……世界でも有数ですよね。ここまで『精霊』を視ずとも活気溢れる存在感が伝わるのは」
「まあそれを感じるのは、私たちシャーマンのようなごく一部の人間。基礎的な話しですが、決して『対話』に気の緩みは禁物です。此所では尚更……隙を見せようものなら、貴方でも一瞬で灰燼に帰す可能性も、無きにしも非ずですから」
そこに師匠は入らない前提なんですね、とは長年弟子を続けている経験から口には出さず、改めてこの地の『自然』という桁違いの存在を、クカルは全身で感じ取っていた。
「あまり堂々とし過ぎて、警察、ましてや此所の宮司に伝われば面倒事を避けられないのも確かにあります。本日は観光客程度に留めながら、土地を視察した方が良いでしょう。それから宿も、あまり個人情報とやらが漏洩しない場所が適切ですが、そんな都合の良い場所が……クカル? 聞いてますかクカル?」
いつもなら、生真面目に反応を返してくるはずの弟子が、無言で横を向き鳥居を見つめている。否、鳥居方向の……社に向かおうとしている、一人の茶髪の女性を捉えている。痣に覆われた、金色に存在を放つ左の眼が。
「……クカル、今何を『視て』いるのですか」
「師匠ごめんなさい! すぐ戻りますので!!」
鳥居を挟む横断歩道の信号が青に変わると同時に、クカルは手荷物を置いて走り出した。
何が、という事では無い。
では何か、と言われても説明が難しい。
いきなり見ず知らずの、しかも外国人が、日本語とはいえ話しかけてきたらまず警戒するかもしれない。しかしそれでも。大柄であるため周囲から視れば目立つだろうけれども。
「すいません、そこの方! そこの、螺旋のペンダントの!!」
そこまで特徴的なことを言われてしまったら、振り返らない理由は無いわけであって。吃驚とした表情で、女性はクカルの方向に身体を向けた。
声を掛けなければならなかった。
彼女が彼女と認識しなければ、と。
何も無い、理由と行動は全て突発的な衝動と感覚だ。
貴方は――
「貴方は、誰か分かりますか?」
……一体、何を発言しているのか。
血の気が引く。いや、相手どころかクカルもドン引く。
「ああ、いや、そのすいません! 決してナンパとかではなく怪しい勧誘でも無くて!!」
どう説明するべきなのか、これは言葉どうこうで納得する問題でも無く。
だって彼女は……
「私、ですか」
それは怪訝、相応の表情。何故なら突拍子も無い声かけなのだから。
だから彼女は。
「……私、ですよね」
厳重に、警戒しながら。
「私……?」
自分自身を『疑った』のだ。
奇怪、滑稽、非常識。
何の区分にも当てはまり、まるで訳が分からない。
名前はおろか、今何故此所に居るのか、存在するのか。それは『過去』も『現在』も該当しない、『記憶』不在の不協和音。
「あっ、め、めめ免許証っ!!」
慌てふためき、彼女は鞄を探る。自分を、探す。不気味な感覚、圧迫する鼓動のノイズ。ご当地猫キャラが描かれた免許証入れを見つけ、急いで取り出し安堵をする、束の間。
バシッと、前方から、弾け裂かれる手荷物、バランスを崩す身体。目の前に居たはずの海外の人が、賑わう観光客が、店も何も……一切視えずに。
それは、クカルにも同現象が起こっていたのであって。気に掛けた女性が見えなくなったと同時に、謎の圧から体勢を崩し、盛大に尻餅をつく。バランガシャンと、散らばる女性の鞄やスマホの私物。当の女性は勿論目の前に居ず、それはおろか。
「クカル! クカル!!」
ざわめく周囲から、師匠は私物のトランクを持ち、弟子に駆け寄った。
「師匠! 一体何が!?」
「見ての通りです、丁度貴方を境に――」
神来社の境内が……飲まれるが如くの白紙に、人々と供に。
「消失、したのです」
何が起こった、何の騒ぎだ。行き交う人々、信号を無視し覗き込む車内の運転手、クラクションの怒号。怪奇現象に騒然の現場は、当然次第に混乱へと導かれるのが人の合理。目の前の鳥居、灯籠、壮大な木々も何もかも、境内丸ごと『消えてしまった』のだから。
「師匠、彼女……」
聞かれたわけでは無い、だがこれは共有すべき『事象』だ。
「存在が消えかけていたんです」
そんな弟子の言葉を聞いてか聞かずか、師匠――アンジュは、律として言い放った。
「緊急事態です。クカル、『精霊対話』を許可します」
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