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私たち夫婦に子どもはいないので、生活費に関しては夫の収入が減ったところで別段問題はなかった。だから素直に「会社クビになっちゃった」と打ち明けてくれたらいいのに、それをせずに一週間もの間、毎日公園のベンチに腰掛け、寄ってくる鳩に食べかけのパンくずを落としている。その姿は目も当てられないほど悲壮感が出ていて、公園前を通る主婦たちは手を繋いで歩いていた子どもに「見ちゃいけません」と注意されていた。こちらがごめんね、と言いたくなる。
さて、勘の良い妻を持った夫は災難なのかそうでないのか。言い出しにくいならこちらから「最近仕事どう?」と、話題を振ってあげて話しやすい雰囲気を作ってあげてもいいのだが、なんせ対象者なので調査終了まではその話はタブーである。まぁ自分で勝手に始めた調査なので、会社の規則には当てはまらないが、私の流儀でもあるので調査期間が終わるまで黙っていようと思う。泳がせて泳がせて、身が大きくなったところで捕食する。これが私のやり方だ。大事なことなので二回言った。
ところで、夫が隠し事をしているように、私にも隠し事がある。夫より可愛らしい隠し事だ。
外での仕事が終わって直帰した私は、パソコンの前に座って報告書をまとめる。
『○月×日 晴れ 本日も昨日と変わらず一日中公園にて鳩にエサやり係と化』
撮影した写真を添付しているとスマートフォンが鳴り響いた。着信相手は『サルビア探偵事務所 事務山田さん』。応答ボタンをタップしてスピーカーにする。
「はい」
『お疲れ様です、山田です。今日直行直帰だったのね。明日、浮気調査の相談が一件入ってるのでオフィスに出勤してね』
「はい、分かりました」
『旦那さん、どうだった?』
「今日も相変わらず公園で過ごしていました」
『あらぁ。あなたも大変ねぇ。それよりさ、旦那さんはあなたが事務員だと思ってるのよね? 実は探偵だなんて知ったらどんな反応するのかしらね? 打ち明ける時は隠しカメラセッティングしてアタシに見せてね』
「山田さんってば悪趣味」
雑談を少しばかりして通話を切る。報告書作成をパパっと終わらせ、家の中を軽く掃除し、夕食の準備に取り掛かる。今日は『遅くなる』という連絡が入らないので早めに帰ってくるようだ。それなら一緒に夕食をとろうかしら。
「ただいま」
疲れた顔をした夫が帰ってきた。私は笑顔で「おかえりなさい」と出迎える。
お互いに秘密を抱えた夫婦。今日もいつもと変わらない夜が始まる。
END.
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