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見えない壁
「ね、次の休みはどこに行こうか」
小川先生は一緒に出掛けると、次の休みにも予定を入れようとする。
職場でも昼食に誘って来ることが多いし、昼休みが終わる頃に「明日はあっちの通りのカフェに行こうよ」と誘ってくる。
……彼はいつもこうだ。
一度誘いに乗ると、必ず次の約束を取り付ける。おかげで職場でも茶化されることが増えた。……彼とはそんなんじゃないのに。
嫌いじゃないのよ。むしろ好き。小川先生が好き。
「……だめ?」
あぁ、そういう顔とかとても良い。
「明日の昼休みは私用で出かけるの」
本当はそんな予定はない。だけどそうやって断らないと毎日ズルズル一緒に行動することになる。
本当は好きなんだけれどね。
3時におやつを配った時のちらっと見せる八重歯とか、とても良い。
だけど、私は貴方の隣にはふさわしくない。職場恋愛とか……それはとても困る。困るんですよ。
だから私は、適度なところで「断り」を入れて距離を保つ努力をしている。
ある朝出社すると、机の引き出しに緑色に白抜きでクローバー柄が描かれた封筒が入っていた。ワンポイントに金の箔押し。
封筒のデザインは、私好みだけど……差出人が書いてない。それどころか宛名も書いてない。
私の引き出しに入っていたなら開けてもいいか、というとそういうものではない。
ここは法律事務所だから。
わざとらしく「あれ?」と声に出す。すると決まって様子を見に来る人がいる。
「おはよう、木崎さん。どうしたんです?」
パーテーションの向こうから出てきた弁護士の橘先生が、少し眠そうな声で尋ねる。
「おはようございます。机に不審な封書があったのですが、これは開封してもいいですか?」
嘘は言ってない。
「不審……?」
「宛名も差出し人も書かれてないんです。封はされてますし……事件関係の手紙とかだったら……」
そう、法律事務所の鉄則に〝不審な封筒は弁護士の許可なく開けてはいけない〟というものがある。
橘先生は私が封筒を差し出すと、表裏を確認してまた返してよこした。
「僕の事件じゃないですね」
「あ。そういえば、市河さんの相手方、ストーカー化して市河さんに手紙を送りつけてきたことがありました」
「……誰の担当?」
「小川先生です」
「じゃ、小川先生が来たら聞いてみたら良いよ」
そろそろ来る時刻。
「そうですね! ――ところで橘先生、眠そうですけどお忙しいです?」
私はさりげなく話を引っ張る。
「それなりに忙しいっていうのはあるけど、昨日飲み過ぎちゃって」
「橘先生、お酒好きですものね」
「まぁね。でも、飲む日は決めてあるから」
橘先生は、忙しくても気さくに話をしてくれるから好き。
ドアが開いて、入ってきたのは小川先生だ。時間ぴったりなところも大好き。
「おはよう、何の話?」
「あ、この不審な封書、何か心当たりある?」
橘先生が、私の手から緑色の封筒を取って、小川先生に差し出す。
「え! あ! ある! めちゃくちゃある!」
小川先生が慌てて封筒を奪い取った。
「しょうがないなぁ」
「えっと、サンキュー! ちょっと色々テンパってててて」
そこでペーパーナイフを手に取って、すかさず私が言うのだ。
「開けていいんですか?」
「ダメです!」
慌てる小川先生、……可愛い。
「ちょっと、これはあとで指示書書くから。まってて」
「犯人は小川先生でしたね」
小川先生は橘先生とパーテーションの向こうへ歩いていく。「しょうがないヤツだな」と肘でどつかれながら。
……フフ。
LINEが来たのはその夜だった。
『今朝の封筒、本当は俺から木崎さんに当てた手紙です』
分かってます。
『ごめん、あんな出し方したら不審だよね』
法律事務所的にはNGだけど、小道具としては悪くないです。
『さっき、改めて引き出しに入れておいた。だから明日読んでください』
内容の予想はつくけど……。
うーん、なんと返事をするべきか?
昨日の日付で書かれた手紙が、宛名と差出人が書かれた封筒に入れられて、机の引き出しに入っていた。
『好きです。付き合ってください』
いわゆるラブレターだ。
私も小川先生が好きです、と言えたらどんなに良いことか。
でも、私は貴方の隣にはふさわしくない女。住んでる世界線が違うの。
正直に断るか、真剣に悩んでしまう。……どうしよう。
断って関係が悪くなったら……
例えば昨日の朝のようなやり取りができなくなるかもしれない。
小川先生が橘先生に肘でどつかれたり、小川先生が橘先生の襟を掴んでまるで猫のように扱ったりとか、そういう光景に誘導することが出来なくなるかもしれない。
私は小川先生が好き。そして……橘先生も好きなんです。
でも、心は揺れ動くことはない。だから小川先生にはお断りの返事をしました。
そう、私は壁の女。
見えない壁になって、あなた方を見守っていたい女。
……だって二人とも私の推しなんだもの。
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