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しかし三ヶ月ほども経ったろうか。女は、己がなによりも望んだはずのなんの変化も無い生活に強い不安と違和感を感じ始めていた。厳密にはなんの変化も無い男に、なのだが。
夕食を取りながら今日あった職場での話題や愚痴を聞いてもらうのが日課だった女はいつもどこかで「君は今日はどんなだった?」と尋ねるのだが、男は必ず決まってこう答える。
「特になにも。いつも通り穏やかな一日だったよ」
それは雨の日も晴れの日も変わり無い。たとえ台風の日でも地震が起きても、すぐ近所で事故や事件があったとしても男の返事には全く変わりが無かった。
「そう……良かった」
女もいつも通り不安を押し殺して愛想笑いを浮かべて自分の話へと戻る。
男はいつも変わらず優しいけれども、女は仕事が忙しく男が実際自分の居ない時間をどのように過ごしているのか、本当に一歩も部屋から出ていないのかまでは知り得ない。
ただ男の言葉を信じていればいい。
過去も未来も顧みず穏やかな今だけを享受すればいい。
繰り返し自分に言い聞かせるが、男の薄く味気ない言葉を聞くたびに蓋をした記憶のなかにある姿がフラッシュバックするのだ。
些細なことでも盛り上がりはしゃぐ陽気な姿。
優しくエスコートしてくれるかっこいい姿。
ベッドでは乱暴なほどに情熱的な姿。
私を置いて深夜まで戻らない姿。
呑むたび暴力的になる……。
誰? あなた誰? 誰なの? 彼じゃない。こんなのは彼じゃない。私の彼はここにいるの。穏やかで、優しくて、私だけを見てくれる彼はここにいるの。
本当に?
いくら考えないようにしても疑念はたびたび頭をもたげ女を揺さぶる。
幾度となく混乱し、焦燥し、消えない不安が女にひとつの決断をさせるまで、そう時間は掛からなかった。
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