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魑魅魍魎が蠢く土地の、そのまた山奥へ分け入った先にある苔むした小さな社。訪れる者も無いそこには、なにをするでもない、ただ在るだけの霧のようなモノが主として住まっていた。
主は永らく独りその場にあったので、己が何者であるとも思わなくなり久しかった。
ある日、彼女が来るまでは。
元は華やかだったのだろう酷く汚れたワンピースにトートバッグひとつを大事そうに抱えたその女は、頬はやつれ目は虚ろ、半ば意識も無い有様だった。
ここにたどり着いたのも偶然だろう。彼女は社の庇に身を寄せ蹲るように崩れ落ちる。
主はゆらりと社の奥から現れると触れるでもなく女の顔を覗き込んだ。半開きの目は焦点が合わず、混濁した意識でぶつぶつと呟いているが聞き取れるほどではない。
『この女はあまり長くなさそうだ』
と、随分久しぶりに思考が巡ったところで女が後生大事に抱え込んでいるトートバッグに意識が向いた。手、は無かったのでそうと定めたものを伸ばして触れる瞬間、女の手が跳ね上がり主の首であろう辺りを躊躇無く薙ぐ。
主には首も頭も無かったけれども、女の触れた霧の一部は刎ねられたように本体と別れて雲散霧消し、ほどなくして周りの霧を吸い上げるように再び形を成した。
そこには左の目玉と口を備えている。
「ああ……すっきりした」
男の声でそう言うと同時に女の意識が覚醒し目を見開いた。
「――……―、くん……」
女は誰ぞの名を呼んでゆっくりと這い寄りその足に縋りつく。
「……また会えたね。ずっと、探してたんだから……すごく、すごくすごく会いたかったよ……私、寂しかったんだから……」
そう言って涙を流す女に社の主は優しげに「ああ、俺もさ」と囁いた。
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