平成15年4月

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平成15年4月

 最愛の母親が亡くなった。享年四十歳だった。母親は経済学者だった。名の知れた学者で、著書も多数執筆していた。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍していた。妃ノ下花蓮(きのしたかれん)が物心つく頃には、番組内でレギュラーを抱えていた。  その尊敬すべき母親が事故で亡くなった。講演会に向かう列車が脱線事故を起こした。  花蓮はそのとき、十二歳で私立中学の受験を控えていた。その訃報は塾の帰り道で知った。知らせてきたのは父親だった。父親は実業家で家にいないことが多かった。その父親から花蓮に電話があったものだから、花蓮は不吉な予感がした。  予感は的中した。母親は列車の前方の車両に乗っていたので、遺体の損傷は激しかった。事故の原因はコンピューターの制御システムの異常であったが、詳しい原因は調査中だという。  家に帰り着くと、父親を始め、親戚一同が顔を揃えていた。皆一様に俯き、口も聞かず、花蓮が大広間に入って来たことに誰も気づく者はいなかった。 「おお、花蓮、塾はどうだった?」  父親は憔悴しきっており、場違いなことを花蓮に訊いた。花蓮が口ごもっていると、母親の妹である叔母さんが突然、泣き出した。  叔母さんは母親とは仲が悪かった。腹違いの妹ということもあったが、何かと姉と比較されて、彼女は親族の中でも窮屈な思いをした。目の前の叔母さんの意外な一面は、花蓮を落ち着かなくさせた。
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