act.3 女王と姫ともう1人の女王

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 翌日。文化祭前、最後の土曜日は、準備のために登校することになっていた。教室の中に曇天が立ち込めているような雰囲気で、誰もが途方に暮れていた。 「どうすんの。田辺さん、“赤の女王”なのよ。今から台詞入る人、いるの?」  脚本担当の中嶋(なかじま)さんが教壇に立って、皆に問いかける。2Bの演目『鏡の国のアリス』において、赤の女王は準主役級だ。登場シーンも台詞も多く、なにより――。 「『ハッシャバイ・レイディ( H u s h - a - b y l a d y)』を覚えるのは、無理だ」  うちの脚本の目玉は、詩の朗読をすること。短い詩とはいえ、他の台詞と動きも覚えなくてはならず、時間的にかなり厳しい。 「あのさぁ、北野さんって、どうなの?」  不意に、恐れていた発言が飛び出した。“白の騎士”役の津森(つもり)君が投下した爆弾に、あたしは動けなくなった。 「いつも田辺さんと一緒にいるじゃん。少しくらい台詞入ってない?」 「っていうか、北野さん、どうして演技しないの?」  教室のどこからか、女子の声が続いた。ピリリ――緊張の糸があたしを中心に張り巡らされていく。 「お母さん、女優なんでしょ。ホントは演技好きなんじゃない?」 「敢えて演じないのって、嫌味だけど?」 「文化祭なんかじゃ演技できない……ってこと?」 「まぁ、馬鹿らしいかもね。あたし達とはレベルが違うから……」  ボソボソと聞こえてくるのは、卑屈さを内包した棘だらけの言葉。ずるいのは、直接あたしに向けて言ってこないというところ。仲間内で共有している陰口を、わざわざ本人の前で口にする陰湿さ。  バンッ!!  机に強く両手を付いて、その場に立ち上がった。椅子の背が、後ろのマーヤの机にぶつかって派手な音を立てる。 「もう、放っといて! あたしには、演技なんて無理なの! 舞台に立つなんて、冗談じゃない!!」  元々、クラスの皆と親しく接してきた訳じゃない。かといってトラブルもなかった。あたしはプライベートをアレコレ話したくなかったから、目立たないよう息を潜め、壁を築き、差し障りのない程度の距離を保ってきたんだ。 「いいじゃん、もう仕事したんだしぃ」  水を打ったように静まったまま停止した時間を動かしたのは――まさかの莉花だった。 「本人がやりたがらないんだし。最悪、黒子(プロンプター)使えばいいじゃん」  右手をヒラヒラと振り――まるでお払い箱だとでも言うような仕種で、あたしを見遣る。ムカつく。でも、理由はともかく、彼女はあたしの意見に賛同しているのに、下手にゴネて拗らせたくはない。 「それに、まぁた、あの時みたいに、せっかくの舞台を彼女に壊されちゃ、かなわないもんねぇ」  転校してきてまだ1ヶ月あまりだけれど、既に莉花を取り込んだ女子グループがある。そのグループの子達は、幼いあたしの失態を聞かされているのだろう。意地の悪い視線とクスクス笑いが礫みたいに飛んでくる。 「だから……表舞台には出ないわよ」  心の中で唇を噛み、あたしは大人しく席に着いた。情けなくて悔しいから、莉花を見ずに素っ気なく応えた。  月曜日の夜、マーヤからLINEが届いた。 『あのさ、明日の放課後、私ん家に来ない?』 『え、いいけど……もう退院したの?』  聞けば、アキレス腱断裂の場合、手術後4日目には退院出来るらしい。 『美姫、忙しい?』 『や、別に』 『じゃ、待ってる。約束ね!』 『あ、うん』  あんなに頑張って、台詞も詩も覚えていたのにな。ほとんど毎日練習相手を務めていたから、あたしにはマーヤの悔しさが痛いほど分かる。  結局、マーヤの代役は、どうやら莉花が名乗りを上げたらしい。もちろん黒子(プロンプター)付きで。
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