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「お願い、摩央、待って!」
何も悪いことなどしていない。何が問題なのかも教えてくれない。そんな彼女に、征大が追いすがるのは至極真っ当なことだった。
振り切るように大学のキャンパスを出ても、彼は追いかけてきた。
「お願い、待って!せめて……せめて理由を教えて、どうして僕と別れたいの?」
「そ、それは……」
一目惚れしたのは、むしろ私の方だった。かっこいい顔以上に、繊細な文字とか、綺麗な指とか、優しい声とか――レポートで困っている私を助けてくれた気遣いとか。そういうものに魅かれて、どんどんハマっていったのである。
今でも好き。それが本心だ。それでも、私はもう征大とは一緒にいられない。何故なら。
――征大は、優しすぎたのよ。誰に対しても。
彼は気づいていないのか。紫色のもやもやが、彼を飲みこまんとするほど背中で大きくなっていることに。
その中には多くの女生徒達の顔が浮かんでおり、中には少ないとはいえ男性の顔もある。その顔達は彼を見下ろしている者もいれば、私を睨みつけている者もいた。彼が知らないうちに、どれほど多くの者達に好意を寄せられていたか。そしてそんな彼と付き合うことで、私が嫉妬を向けられていたか。全てはその光景だけで充分察せられるものなのだった。
このままでは、彼もきっとあのギャル少女と同じように残酷な死に方をする。
そしてきっと私も巻き込まれて一緒に死ぬのだ。それだけは絶対嫌だった。
――私は、自分が生き残りたいがためにあなたを見捨てようとしてるの。そんな女となんか、征大だって一緒にいない方がいいに決まっている。
彼のためでもあるのだ、と言い訳して。
私は無視して、走り出した。青信号の横断歩道を走り抜ける。彼は男性だが完全に文系だ。高校時代陸上部だった私の足に勝てるはずがなかった。
「まって……」
彼の泣きそうな声が、遠くから聞こえてくる。唇を噛み締めて横断歩道を渡りきった、次の瞬間。
背後から、急ブレーキの音。ハンドルが地面を滑る音。そして。
ドンッ!
何かを跳ね飛ばし、ひき潰すような音。
「ひっ……!」
振り返った私は見てしまった。信号無視で突っ込んできたトラックが、電柱に激突して停車しているところを。
そして、そのトラックの二代の下からは女性のパンプスを履いた足が見え――征大がつけていたのと、同じ腕時計をした腕が覗いていることを。
あんな重い二台に潰されたのだ。征大の体は間違いなくぐちゃぐちゃになっていることだろう。
「あ、ああああ、ああああああっ!」
私は頭を抱えて、その場で蹲るしかなかった。結局目の前で征大に死なれてしまったこと、彼を助けるより見捨てることを選んだこと、そして。
多分私の代わりに、まったく無関係の女性が巻き込まれたことに。
――ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!
私は最低だ。
それでもまだ、“別れなど言わなければ良かった”なんて言葉が出てこないのだから。
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