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お坊ちゃまとは、あの英樹という男のことか。本当に精神的な病を患っているのかもしれないが、自分が世話をする義理はない。春菜は早く話を済ませようと考えた。
「挨拶もせずに去ろうとしたことは、申し訳ありません。でも私、帰りたいんです。会社からは、このような仕事だと聞いていなかったので」
「事情は承知いたしました。しかし、少し考え直していただけないでしょうか。お坊ちゃまは、心優しい方です。あんな風になってからも、私やこの家に出入りする人を傷つけたことはありません。普通の子供と同じように接していただければ、それだけでいいんです」
思ったよりもしつこいな。どう切り抜けようかと考えていると、家政婦が何かをテーブルの上に差し出した。
「少しばかりですが、お納めください」
小さな封筒だった。紙片が、数十枚くらいは入っていそうだ。もし中身が全部一万円札だったらと思うと、少し胸が高鳴る。でも、受け取るわけにはいかない。
春菜は封筒を押し返した。
「受け取れません」
「まあそう言わず」
家政婦もまた、封筒を押し返す。しばらくラリーを繰り返したあとに、家政婦は言った。
「このようなことを申し上げると、品がないと思われるかもしれませんが、封筒には二十万円分の商品券が入っています。私からのお気持ちだと思って、受け取っていただけませんか」
「いえ、受け取れません」
家政婦は、困ったような顔をした。
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