episode05. 「        」

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「俺ら同じ大学の同じ文学部なんだけど、もしかして認識されてない? あ、羽奈真直と申します」 「勿論めっちゃ知ってます」と出かけた言葉は不審がられそうで、慌てて引っ込めた。「同じ学部で貴方を認識していない学生の方が少ないです」も、引っ込めた。丁寧に挨拶をしてくれる彼に続いて、慌てて名乗ろうとした。 「"國山詩月"」 「え……」 「國山詩月さん、でしょ?」  その前に、彼の方が先に私の名前を正しく紡いだ。目を見開くと、反比例するように向こうは目を細める。  どうして私のフルネームまで知ってるのか、皆目見当がつかない。だって、一度も話したことは無い。一方的に“王子”として私が認識しているだけだと疑ったこともなかった。 「國山さん」 「は、はい」  王子が私の名前を呼ぶことに、全く慣れそうにない。そして人の目をしっかり見つめて話をする人なのだということは、今日、今この瞬間に知った。“真直”という名前にぴったりの誠実な姿勢。「名は体を表す」とはよく言ったものだなんて呑気な感想を漏らしながらも、心臓の鼓動は速い。 「急に連れ出してごめん」 「……あ、いえ。こちらこそ、助けていただいてありがとうございました」  彼があの場から私を連れ出してくれなければ、私は今頃、二次会に居るだろう。あまりついていけない最近の流行に関する話題にも、喜ぶとは言い難い好意にも――いつものように空っぽの笑顔を向けて。 「俺、國山さんを”助けた”?」 「え?」 「――國山さんはあの時、"助けて欲しい"って心で思ってたんだね」  彼の鋭い切り返しに思わず口を噤む。そこで自分の失言に気が付いた。こんな言い方じゃまるで「あの空間に居るのが辛かった」と馬鹿正直に伝えているようなものだ。 「そ、そうじゃなくて。今日はたまたま、早く帰りたい、気分で」 「國山さんがいつも居る場所は、そういう素直な自分の気持ちを吐き出せない場所ってこと?」  穏やかな声で紡がれる言葉たちが、ちりちりと心を焼いていくのが分かった。どうして、今日初めて話した人にずかずかとそんなことを言われなければいけないの、という不満と。――「図星」であることの恥ずかしさが入り混じる。
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