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『ね、ねえあんた。流石に三年以上ぶりなんだから最初くらいちゃんと挨拶してよ!?』
『当たり前だろうが、お前俺をなんだと思ってんの』
『さっきから意地悪な編集者だなあと思ってますが!?』
「意地悪ってなんだわ」と、鞍馬がくっと喉仏を僅かに動かす。彼女の部屋番号をエントランスに備え付けられたオートロックに打ち込むために、男が手を伸ばした時だった。
ウィン、と夜も深い時間の静かな空間に、私達の後ろで自動ドアが開く音はしっかり聞こえた。私も鞍馬も、音の方向へ自然と振り返る。
そして、二人して固まった。
『――――こんな夜遅くに、喧嘩しないでよ?』
見たことのあるフランネルパジャマに、もこもこの茶色いダウンジャケットを羽織った小柄な人物。顔の小ささの所為か、丸いフレームの眼鏡が少しずれ落ちている。ゆるく後ろでお団子にまとめたヘアスタイルも、何も変わっていない。
黙って見つめたままの私達にへらっと表情を崩して、少女のように可憐な笑顔を見せる。
だけど直ぐにその表情は歪んで、ぺたりと床に座り込んでしまった。
『詩月さん……!』
『ご、ごめん。ほんとに、二人だって思ったら、腰抜かしちゃった』
そう言って、また眉を下げて笑顔をつくる彼女の瞳は僅かに潤んでる気がする。
慌てて駆け寄った私も、震える手で彼女の肩にそっと手を置く。
――――ああ、本当に、お母さんだ。
今、目の前に居てくれていることをやっと実感して、鼻の奥がじんじんと痛み始めた。
『……どこか、行かれてたんですか』
『どうしてもアイス食べたくなっちゃって。コンビニ行ってたの』
『こんな夜遅く。気を付けてくださいよ』
やれやれと長く息を吐き出しつつ、鞍馬も私の隣にしゃがんで彼女と向き合う姿勢をつくる。
『……鞍馬君』
『はい?』
『なんか、イケメン度増したんじゃないの。そんな気遣いの言葉もすらっと言えるようになっちゃって』
『先生は、オバサン度が増しましたね』
『あ、やっぱ全然変わってないわ。普通に失礼だわこの編集者。ねえ由芽ちゃん』
鞍馬が生意気なことを言った時は口を尖らせながら私に話を振ってくれるのが、いつもの貴女だった。
今日も同じ流れで、本来なら私は「どっちもどっちです」と、返答しなきゃいけないのに。
ぼたぼたと、いつの間にか両目から休みなく零れ落ちていく涙の所為で言葉は出ない。恥ずかしくて咄嗟に俯く。
同じタイミングで、彼女が私へと恐る恐る伸ばした二本の細腕が、自分の首元へゆっくり回った。
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