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会っていなかった時間を埋めるように、彼女はこの広島の地で、どうやって過ごしていたかを話してくれた。
『……例えばね、脳の中の腫瘍が原因で失顔症を患った場合には、それを上手く除去出来れば劇的に症状が改善されることもあるみたいなの。でも、私の場合は頭部の損傷で、こっちでまた検査もしたけど、やっぱり手術するには至らなかった』
彼女のマンションは1LDKのシンプルな間取りだった。必要最低限の家具と電化製品しかなく、なんだか少し寂しい気持ちになってしまう。リビングのソファに腰かける私と鞍馬に温かい紅茶を差し出す彼女に「ありがとうございます」とお礼を告げる。
『でも、病院の先生が凄く親身に相談に乗ってくださる方でね。リハビリともちょっと違うんだけど、この病気との向き合い方って言うのかな。そういうことを一緒に考えてくれて、私もちょっと前向きになれた』
「発症してから何年経ってるのって話だけど」と眉を下げる彼女の笑顔は、どこか晴れやかさが垣間見えた。
『なんで広島だったんすか』
鞍馬が突然、鋭く切り出す。
『……真直が、生まれた場所だから』
『お父さんが……?』
思わず私が尋ねてしまう。
『正確には真直のお父さんの故郷だね。真直は広島で生まれて、その後アメリカに直ぐ行っちゃったから、彼のゆかりの地とは、言い難いんだけど。でも新しく何かを始めるなら、ちょっとでも自分の大事な人の軌跡が残ってる場所が良いなって、思って』
彼女から父の話を聞くのなんて幼い頃以来だった。
少し歯切れ悪く語る彼女の表情は、とても優しい。お父さんのことを想う時、この人はこんなにも柔らかな顔になるのだ。新たな発見をじっと見つめていると視線に気付いた詩月さんに、気まずそうに視線を逸らされてしまった。
『こっちに来て、病気のことと執筆のこと以外は、特に何も考えてなかったんだけど。本当に皆さん、温かくてね。近くに商店街があって、お店の人たちにも随分とお世話になった。時間があれば、私もよく一緒に働かせてもらったりして』
『え、根暗小説家で有名な先生が?』
『ちょっと、口を慎め? というか別に有名じゃないわ』
いつものように制する彼女に、鞍馬が肩を軽くすくめる。
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