邂逅

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「未分化だろうがなんだろうが、この子が僕のオメガだという事実に変わりはありません。というわけで僕はいまからこの子の世話に全力を注ぎますので」  だからさっさと場所を空けてくれ、と眼力で訴えると、前に立ちはだかっていたクラウスが脇へ寄り、天幕(テント)の奥へ立ち入る許可をくれた。  なぜわざわざ兄の天幕へ来たかと言うと、この寝具があるからである。華美ではないが、やわらかい。  ついでに、ユリウスら一介の団員は天幕に薄い毛布を敷き詰め、そこで雑魚寝をするが、団長は専用の天幕をひとりで使用する。  だからこの子を保護するには、ここが一番都合が良かった。    ユリウスは奥に敷かれた綿詰めの寝具の上に、腕の中の子どもをそっと横たえた。子どもはぐったりとしたまま、わずかも動かない。  世話をすると言っても、さて、なにから手をつけたらいいものか。 「ロンバード」 「はいはい」  ユリウスの呼びかけに、天幕の入り口で待機していた男が投げやりな返事を寄越した。  それに構わず、ユリウスは慣れた口調で命じた。 「風呂の支度を」 「だから上官を顎で使うなと……ってあんた、まさかその子を風呂に入れるつもりとか言わないですよね?」 「そのつもりだけど」 「バカですか?」  男が半眼となり、不敬なセリフを吐いた。 「そんな弱ってる子どもを風呂なんかに入れたらまず間違いなく死にますよ。殺したいならべつですけどね」 「はぁ? おまえバカなの? 殺したいわけないでしょ」 「バカはあんたですよ、ユリウス様」 「……風呂がダメなら食事だな。肉だ。肉を持ってきてくれ」 「…………」  絶句したロンバードの視線がユリウスの上を離れ、ゆっくりとクラウスへ向けられた。  クラウスは即座に男から顔を背けた。 「団長、言ってもいいですか」 「なにを言われるか想像がつくから聞きたくない」 「いいですか言いますよ」 「聞きたくないと言ってるのに!」  耳を塞いで天を仰いだクラウスだったが、彼の嘆きにロンバードは耳を貸さない。 「歳の離れた弟君を可愛い可愛いとあんたたち兄弟が寄ってたかって甘やかした結果がこれですよ! これ! 騎士団の試験には勝手に紛れ込むはいつの間にか戦闘訓練には参加してるは! どうしてもというから今回の任務にも加えたのに、それを放棄して子どもの世話をすると言うわ! 王家の教育ってのはいったいどうなってんでしょうね! 大体自分で着替えのひとつもしたことがない王子様が、いったいぜんたいどうやって子どもの世話をするって言うんでしょうかね。こんな弱って死にかけの子どもに肉を与えようなんて王子様が!」  部下の剣幕にたじろいだクラウスが、両手をどうどうと広げて宥めにかかる。 「ロンバード、ロンバード、落ち着け。きみの言いたいことはよくわかった」 「そもそも団長が」 「わかった!」  まだ言葉を重ねようとするロンバードを遮り、クラウスがユリウスへ向き直った。 「ユーリ、聞いた通りだ」 「僕はなにも聞こえませんでしたけど」  しれっと返すと、ロンバードが鬼のような形相で睨んできた。 「ユーリ。おまえに子どもの世話は無理だ。いいか、おのれのオメガをまもりたいというアルファの本能は、私にもよくわかる。痛いほど理解できる。だが、いま職務を放棄してできもしないのにその子の世話に明け暮れることが、本当にその子をまもることになるのだろうか。ユーリ。よく考えなさい。その子には医師や薬師、専任の侍従をつけて、きみは騎士の仕事をまっとうする。立派な騎士となり、私や兄上と一緒に天下泰平の国づくりを進めるということが、ひいてはその子をまもるということに繋がるのではないかな」  おっとりとした兄の声に耳を傾けながら、ロンバードが幾度も頷いて同意を示している。  ユリウスはそれを横目に捉えながら、 「兄上」  と、声を割り込ませた。 「それではお尋ねしますが、兄上、いまの言葉をエミール殿の前でも言えますか。たとえばエミール殿にいのちの危機が迫っているときに、エミール殿を他の者に任せて国のために騎士の仕事をまっとうしてくると、言えるのですか」  ユリウスが平坦な声で淡々と切り込むと、十五歳上の兄が子どものように叫んだ。 「言えるわけないだろ!!」  エミール、というのはクラウスの伴侶で、最愛のオメガの名だ。 「サーリーク王国のアルファたるもの、おのれのオメガをおのれの手でまもらずしてどうする! いいか、アルファの能力はすべてオメガをまもるためにあるのだ!」  凛、とよく通る声が天幕を揺らした。  得たり、と笑ったのはユリウスで、言葉もない、と絶句したのはロンバードだ。 「なら僕がこの子の世話をすることに否やはありませんよね」 「む……致し方あるまい」 「というわけ兄上。僕がこの子の世話がきちんとできるよう、誰か指導係をつけてください」  ダメ押し、とばかりにユリウスは顔全体でにっこりと微笑んでみせた。  年の離れた兄が、自分のこの表情に弱いことはこれまでの経験でよくわかっている。  案の定騎士団団長の目じりが一瞬デレっと垂れ下がった。  しかそすぐに表情を引き締めたクラウスが、二度ゆっくりと頷いて。 「エーリッヒの隊に小児も診ていた医師がいたはずだ。それから薬師と……そう言えばロンバード。きみには子どもが三人居たな。子煩悩な夫ですと細君に惚気られた覚えがある。とすると子どもの世話はお手の物だな」 「……こっの兄バカ王子が!」  ロンバードが呪詛のように口の中で吐き捨てた。  聞かないふりをしたクラウスが、有無を言わせぬ声で彼に命じた。 「我が可愛い弟たっての頼みである。しっかりと仕えよ」  
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