至福なる看病

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 なんとか無事に子どもを連れ帰り、以降はユリウス手ずから世話をするべく、教育係にロンバードとグレタを付けて、医師や薬師からも知識を吸収しながら現在は絶賛修行中、というわけだが。  しかしこの教育係の二人がとてもうるさい。自分がそんなに間違った行動をしているとは思えないのに、あれはダメこれはダメと横から口を挟んでくる。  若干辟易とした思いを抱えつつも、慣れぬ手つきでおしめを替えたユリウスは、今度は食事の支度を始めた。  薬師の用意した数種類の粉薬を、砂糖と一緒に山羊のミルクに溶かし、人肌に冷ましてから哺乳瓶へと流し込む。  下準備を終えたら寝台(ベッド)へと上がり、瞼を閉じてぐったりと寝ている子どもをゆっくりと抱き起こす。  寝台の頭側と子どもの背の間に体を割り込ませて、横抱きにする形で子どもを膝の上に乗せると、右腕で骨ばった背を支え、左手に哺乳瓶を掴む。  ひび割れた唇の隙間にぐいと先端を突っ込むと、薄く小さな歯に阻まれた。 「いい子だから口を開けてごらん」  囁いて、おのれの指を子どもの口の中へ入れた。  薄く小さな歯を辿り、わずかな空間をこじ開ける。そこに吸い口をぐりっと押し込むと、もう一度耳元で語りかける。 「甘くて美味しいよ。吸って」  ユリウスの言葉に呼応するように、ちゅ、と子どもが吸い口を吸ったのがわかった。  ちゅ、ちゅ。 「いい子」  その子の見せるささやかな反応に、いとしさが込み上げる。  可愛い、可愛いと内なる声が大歓声を上げていた。  客観的に見て、外見が可愛いわけではない。  侍医に固く止められているため、まだ風呂に入れることができていない子どもは、垢じみたままだ。  温かい手ぬぐいで体を拭いたり、手や足だけを湯に浸したりしたおかげで、拾ったときよりよごれは落ちていたけれど、侍女たちが思わず眉を顰めてしまうほどには、みすぼらしい外見だった。  ずるずると長かった髪は、無断で切った。  (ハサミ)を手にしたユリウスは自分で切る気満々だったが、さすがに頭皮を傷つけてはかわいそうだと説得されて、ユリウスの頭髪も整えてくれている髪結いを呼び、短く刈ってもらった。  その際、頭皮につく虫が山のように見られたため、薬師が専用の軟膏を必死の形相で小さな頭に塗り込んでいた。  (ただ)れた目の周囲は、毎日煮沸したきれいな水で湿らせた脱脂綿で拭きとり、薬を塗布している。手足の赤く変色した部分も同様の処置を行い、そこには包帯を巻いた。  痩せて、うすよごれて、瞼は腫れ、皮膚病もある子どもを見て、かわいそうと思えど可愛いと微笑む者は居ないだろう。  しかしユリウスにとっては魂が打ち震えるほどに可愛く、愛らしく、離れがたい存在だった。  いまも途切れ途切れに、こく、こく、と喉を鳴らしてミルクを飲む様を見て、転げ回りたい衝動に襲われる。  僕のオメガが! 僕の手から! ミルクを飲んでいる!!  ジ~ンと感動にひたっていたユリウスだったが、子どもの口の動きはすぐに弱弱しいものとなり、やがて吸い口を咥えることもやめてしまった。  ユリウスは無理をせず、哺乳瓶を引いた。よしよしと短い髪を撫で、ひたいにキスを落す。 「ゆっくりおやすみ、僕のオメガ」  愛を込めてそう囁き、痩せた体を元のように横たわらせる。  布団を肩の上までしっかりとかぶせて、ひとまずいまの時点でできることはすべて終わった。  この後は医師が来て、栄養剤を針で血管に直接流し込む、という治療が行われる予定だ。一日に二度施されるその治療を見るたびに、ユリウスの胸は痛んだ。  僕のオメガに針を刺すなんて、とその瞬間を初めて目にしたときは殺意を覚え、医師に向かって剣を抜こうとしたものだが、ロンバードに全力で(なだ)められ、いまではそれが治療だということは理解している。  しかし小枝のような腕に針が沈んでゆくのを見るたびに、ユリウスはおのれの腕がチクリと痛む気さえした。  早く元気になってほしい。  その一心で昼夜を問わず子どもの世話をする。  自分の着替えさえひとりでしたことがなかったようなユリウスが、一生懸命学びながら子どもの看病をする姿に、始めは呆れ気味であったロンバードやグレタ、部屋づきの侍女や侍従たちの態度も、次第に変わってきた。  三十日が経過した頃には子どもに関わる誰もが、王子に(なら)えとばかりにその回復を全霊で祈るようになっていた。  しかし子どもは目覚めない。  瞼の腫れが和らぎ、爛れが薄らぎ、手足の皮膚病も癒えて小ぎれいにはなってきたが、目覚めない。  治療の甲斐なく死んでしまうのではないか、と、誰も口にはしなかったが内心ではそんな不安を抱えていた。  心配げに子どもを見つめる家臣たちを、 「大丈夫大丈夫」  と慰めたのは、誰あろうユリウスだ。  ユリウスには確信があった。  僕のオメガが、僕をひと目も見ないうちに亡くなるわけがない、と。  根拠のない確信ではあったが、自信満々に言い切る第三王子に、家臣たちは勇気づけられたのだった。
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