目覚めのとき

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目覚めのとき

 サーリーク王国の国土は東西に長く、南は海に、北には峻厳な山々がそびえている。  温暖な気候に恵まれた国だが、ゆるやかな季節の移り変わりはあった。最も寒い時期を冬、寒さのやわらぐ頃を春、最も暑い時期を夏、冬に向けて徐々に気温が下がってゆく頃を秋と呼び、それらをまとめて四季と呼んだ。  四季はそれぞれ、約三月(みつき)で入れ替わる。月、というのは夜空に浮かぶ月がおよそ30日で満ち欠けを繰り返すのを見て、30日をひと月とする暦を往時の天文学者たちが完成させ、現在もそれを使っている。  ユリウスが子どもを拾ってから、この四季が丸々一巡した。  一巡してなお、子どもは目覚めなかった。  ユリウスは付きっきりで子どもの世話をしたかったが、それができたのは最初のふた月が限度だった。  王子には特権があるとともに、義務がある。王国を治めるために尽力するという義務が。  ユリウスはロンバードとともに騎士団へ戻り、日中は鍛錬に励んだ。夜は私室で、子どもの世話をして過ごす。  鍛錬は飽きるのに、この子の世話は飽きるということがない。  最近のユリウスの楽しみは、風呂の世話だ。  ようやく医師の許可が下りたので、寝台(ベッド)の横に簡易の浴槽を運び込ませて、赤子の湯あみのように両腕に抱えた子どもを、湯舟にちゃぽんと浸らせる。  初めて入れたときは湯に垢がたくさん浮いていた。毎日手ぬぐいで清拭していたのに、これほど垢が付着していたのかと驚いた。  それでも二日に一度、定期的に入浴させるようになってからは、湯は透明度を保っている。  黒かった肌は、磨いてみれば真っ白になった。爛れや赤みはすっかり完治して、子どもらしくやわらかな肌を取り戻している。  灰色に固まっていた髪は、サラサラの銀糸だった。虫ももう湧いていない。絹のような手触りはユリウスをいつも夢中にさせる。  瞼の腫れは跡形もなく、閉じた目にはふさふさの睫毛が見てとれた。  可愛い。ひたすらにそう思う。  可愛い。可愛い。  早く起きないかな。早く目が見たいな。  この子の目が月のように透き通った金色だということを、ユリウスは知っている。医師が目の診察をした際に瞼をこじ開けたので、そのときに見えたのだ。  僕の髪と同じ色だ、と嬉しくなった。  いや、この子の目の方が色が少し薄くて、少し青みがかっていたか。  早く起きて、その目に僕を映してくれないかな。  そう思いながらユリウスは、慣れた手つきで子どもをきれいに洗い上げ、ふかふかの湯上り用の布で丁寧に水気を拭った。  おしめをつけて、前開きの服を着せて、留め具をパチパチと留め、寝台に横たえる。 「手慣れたもんですねぇ」  部屋の扉横に控えていたロンバードが、感心したように呟いた。 「そりゃあこの一年毎日してるからね。お休み、僕のオメガ。今日もとっても可愛かったよ」  ちゅ、と目元にキスを落して、ユリウスは子どもに布団をふわりと被せた。  一日二回の針を使った栄養剤の注入は、いまは一回に減っている。口から入る量が少しずつ増えているからだ。  体重も少しだけ増えたし、順調に回復しているという手ごたえはあった。  早く目覚めてほしい、という焦りのような期待は日々ユリウスの中で常に渦巻いていたが、早く起きて、とはユリウスは一度も口にしなかった。  この子はユリウスに会うために死の淵から這い上がっているところなのだ。だからユリウスにできることは、ただひたすらに待つことと、愛を囁くことだけだった。  子どもの目が開くとき、自分はいったいどんな顔をしているんだろう。  それを想像するとこの先には楽しみしかなくて。  ユリウスは機嫌よく自身の着替えを済ませ、寝る支度を整え、子どもの眠る寝台へと潜り込んだ。    自分の腕にすっぽりと収まってしまう小さな体をやわらかく抱き寄せ、甘く幼い香りを胸いっぱいに吸い込む。    アルファの抑制剤は欠かすことなく飲んでいるのに、なぜ、この子の匂いだけは鮮烈に感じるのだろう。  ユリウスはうっとりと目を細め、子どもの銀糸の髪を撫でた。    尽きることのない愛情が、胸の奥底から湧き出して、ユリウスの全身を満たす。  子どもの体温を感じながら、ユリウスはゆるやかに眠りについた。
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