邂逅

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邂逅

 うわぁ、とこころの声が漏れた。  『それ』があまりに小さくて、きたなくて。  思わず足を止めてしまったが、気づいてしまった以上無視して通りすぎるわけにもいかない。 (どんな冷血漢だよって思われちゃうしなぁ)  内心で呟いて、サーリーク王国騎士団第一部隊の末席に名を連ねる駆け出しの騎士、ユリウス・ドリッテ・ミュラーは、そっと身を屈めた。  立場上、好感度を下げる振る舞いはできない。    仕方なく両腕を差し伸べ、泥まみれの『それ』を地面から引きはがすようにして持ち上げた。  重さはほとんどない。鍛錬で使う(おもり)ひとつ分の重さもないかもしれない。  けれど腕に抱き上げた途端に『それ』はなぜか圧倒的な存在感を放ち、ユリウスはまたうわぁと思った。  今度は声にも出た。 「うわぁ……」  やばい。なんだこれは。  腕がビリビリしている。いや、腕だけでなく全身……特に体の深い部分が、歓喜に打ち震えているのがわかる。 「どうしました?」  不意に背後から声をかけられた。  ユリウスは『それ』から離れたがらない視線を強引に動かして、振り向いた。 「子どもが落ちてた」 「そんな犬猫じゃあるまいし」  ユリウスなりの冗談とでも思ったのか、はは、と笑いを漏らしたロンバードがひょいと手元を覗き込み、「げっ」と呻く。 「まじで子どもだ。どうなってんだよこの国は。……生きてるんですか?」  戦となれば相手のいのちを奪うことをためらわないくせに、ロンバードは使い古された雑巾めいてボロボロの幼児に怯えるように巨躯の背を丸め、怖々と尋ねてきた。 「死んでるわけないでしょ」  生きてるからこうして拾い上げたのだとユリウスは男へ一瞥(いちべつ)を投げ、それからそうっと腕の中の『それ』を抱え直した。  泥によごれた皮膚と襤褸(ぼろ)の服。ごわごわと固まる髪はくすんだ灰色。  一見してゴミのかたまりのようにも見えるその子どもの、年の頃は3~4歳だろうか。とても小さいし、力加減を間違えば脆く壊れてしまいそうだ。  布切れから覗く手首や足首は痩せて、骨ばっている。それなのに、もう二度と離せないのではないかというほど抱き心地がいい。驚くほどに、ユリウスの腕に馴染んでいる。  ユリウスはこれまでしたことがないというほどに慎重な動作で、子どもの長い前髪をそっと掻き分けた。  ろくに洗っていないのだろう。ベタつくのに硬い不潔な手触りの髪に、素手で触れることに抵抗はない。それよりも顔が見たかった。  子どもの目は閉じている。瞼の周囲は赤くただれ、ひょっとすると眼病に侵されているのかもしれないとユリウスは思った。  皮膚も唇も色を失い、カサカサだ。  わずかに開いた唇の間からあえかな呼吸音があることに気づかなければ、死体として埋葬されていたかもしれない。  自分は生きている、と小さな体で精一杯の主張をしているその呼吸にも、濁りがあった。放置すれば数時間後にも死神がこの子が迎えに来るだろうことは、予言者でないユリウスにも容易に予想がついた。 「させないよ」  ユリウスは泥と垢の沁みついた『それ』のひたいに、羽のようなキスをした。 「僕が見つけたんだ。もう誰にも渡さない」  微笑が徐々に顔全体に広がってゆく。  見つけた、見つけた、と頭の中で祝福の鐘が鳴っていた。  見つけた。  僕の、オメガ。 「……さま、ユリウス様」  リンゴンと鳴る鐘の音に紛れて、ロンバードの声が響いた。 「なんだ」 「なんだじゃないですよ。ほら、聞こえるでしょ。召集の鐘」  むさくるしい男に指摘されて初めて、ユリウスは鐘の音が幻聴でないことに気づいた。  確かに、一定間隔で響く鐘は、集合せよの合図だ。  腕の中の子どもに気を取られていたユリウスは、そこでようやく己の業務を思い出した。  そうだ、野営のため周囲の哨戒をしているところだったのだ。 「僕は抜ける」 「バカ言わないでください。新人騎士にそんな自由気ままな行動はゆるされてませんよ」  呆れた様子も隠さずに、ロンバードが眉を顰めた。  背の高い男を見上げ、ユリウスは笑った。 「騎士の仕事以上に重要な仕事ができたんだよ。この子を世話するという仕事がね」 「ユリウス様」 「兄上の天幕を借りる。交渉してきて」 「どこの世界に団長の天幕を借りる新人が居るんですかっ」 「ここに居る」  唇の端を持ち上げ、ユリウスはくいと顎を動かした。  こうして話している時間が勿体ない。  さっさと天幕の使用許可をとって来い、と無言の命令を送ると、ロンバードの顔が盛大に歪んだ。 「上官を顎で使わないでください!」 「上官だと言うなら口の利き方をなんとかしろと僕は何度も言ったはずだけど。ほら行け。走れ」 「ぐぬぅ」  葛藤に声を詰まらせたロンバードは、しかし次の瞬間には機敏に走り出していた。  持つべきものは忠実なる臣下である。  ユリウスは笑いを噛み殺して、腕の中の子どもに余計な振動が行かぬよう細心の注意を払いながら兄の天幕へ向けて足を踏み出した。    
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