Lost and find

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 ある日、オレはおおきな花束を持っていつもの水煙草屋に向かった。  こんな花束を持って終電に乗るのはなんだか不思議な感じだったけれども、今日はきっと、店長にとって大事な日だから思いきってちょっといい花屋でとびきりの花束を注文したのだ。  今日は一体なんの日かというと、あの水煙草屋が数年前にオープンした記念日だ。  店長は特にオープン記念日を主張しているわけではないみたいだけれども、何周年目かわからない、オレと店長が出会うきっかけにあったあの店ができた日をお祝いしたかった。  水煙草屋に着いて、入り口のドアを開けようとしたら花束が大きすぎて開けるのに手こずる。それでもなんとかドアを開けて中に入ると、店長がびっくりしたような顔で俺を見た。 「イツキさんいらっしゃい。 あの、どうしたんですか? その花束」  それから、オレの後ろを伺うように体を動かす。 「……恋人さんと一緒なんですか?」  なるほど、この花束を恋人に渡すと思ったのか。  オレはヘラっと笑って店長にこう言う。 「実はオレ、恋人なんていないんですよ」 「えっ? じゃああの、あの鞄の中身は……?」 「あの、仕事の道具で……」  すると一瞬、店長の目つきが変わった。同情するような、同類を見ているかのような、そんな目だ。  もしかして店長も裏で退魔師をやっているのか? それにしてはオレの所に情報が入ってきていないけれど。  店長は労うような笑顔を浮かべて、オレに訊ねる。 「イツキさんもお仕事大変なんですね。 その花束はお客さんからいただいたものですか?」  退魔師が客から花束もらうことなんてある?  ちょっと疑問に思ったけれども、オレは頭を振って店長に花束を差し出す。 「今日、このお店のオープン記念日だって聞いてたから、お祝いに持ってきたんです。 それで、あの、よかったら、あの」  そう、オープン記念のお祝いで花束を持ってきたはずなのに、改めて考えると、花束を渡すってなんとなく告白するみたいだ。それに気づいて急に恥ずかしくなって、店長に受け取って欲しいの一言がなかなか言えない。  それでも、店長はオレがなにを言いたいのか察してくれたようで、にっこりと笑って手を差し伸べてくる。 「お祝いですか? ありがとうございます。 早速飾らせていただきますね」  そう言ってオレから花束を受け取る。その一瞬、すこしだけ手と手が触れ合って、ひんやりとした感触が伝わってきた。  いつもの店長の手の感触に、思わず体が固まって顔が熱くなる。  店長が花をおおきな花瓶に生けている間、姿勢も変えられずに固まっていると、店長がくすくすと笑ってオレの方を見る。 「もう、イツキさんったらまたなんかおかしくなっっちゃって。 どうしたんです?」 「……なんでもないです……」  蚊の鳴くような声でそう返して店長の顔を見る。無邪気な笑顔につい見とれてしまう。  あの笑顔をオレだけに向けて欲しいけど、そういうわけにいかないのはわかっている。なんせ店長は接客業だ。あの笑顔を他の客にも向けないといけないというのを理解はできる。  でも、理解はできても、その事実にすこしだけ胸が苦しくなった。  いつまでも同じ姿勢のままでいたら、他の客が訝しそうにオレをちらちらと見はじめた。  いや、挙動不審かもしれないけどやましいことなんてないんだよ。でもどうなんだろう。店長のことが好きだっていうのは、やましいことのうちに入るんだろうか。  そんなことを考えている間にも店長は花束を生けた花瓶をカウンターの上に置いて、オレに声を掛けてくる。 「イツキさん、今日もゆっくりしていくんでしょう? ご注文はなににします?」 「あー、えっと、今日のおすすめはなんです?」 「今日のイツキさんへのおすすめは、ミントローズですかね。 ミントのすっとした香りと、バラの甘い香りが意外と合うんですよ」 「じゃあそれで」  いつも通りに白地に青い刺繍が入ったクッションの置かれた席に座って、店長が水煙草の瓶を持ってくるのを待つ。  店長が水煙草を用意してくれたら、飲み物の注文だ。でも、このフレーバーはどんなものなのか想像がつかない。なので、店長になにをあわせるのがおすすめか訊ねる。 「このフレーバーに合う飲み物ですか? そうですね、イツキさんはいつもコーヒーを注文しますけど、これには紅茶なんかいいですね。 ダージリンだと華やかすぎるので、アッサムかルフナなんかがいいと思います」  紅茶のことが全然わからん。  とりあえず、店長に色々と訊いて、あっさりした味のアッサムとかいうお茶にすることにした。  それにしても、店長は水煙草やコーヒーだけじゃなくて、紅茶にも詳しいんだなと感心する。それと同時に、丁寧に説明してくれていた店長の声色を思い出して、もっとあの声が聞きたいと思った。  その日も、閉店まで水煙草をふかして、帰り際に店長とすこし話をして家路につく。  なんとなく、今日は店長がいつもよりたくさん話してくれた気がする。そんなにあの花束がうれしかったのだろうか。だとしたらオレもうれしい。  夜が明けているのに夢見心地で家に帰って、シャワーを浴びながら店長のことを考える。  オレはどうして、こんなに店長のことが好きなんだろう。  はじめて会った時の無邪気な笑顔に惹かれた。ただそれだけで、こんなに好きになるというのが自分でも信じられない。  それに、店長は見た目の清楚さからはわからないような禍々しいものを背負っている。正直言ってそんなに潔白な人間でもないのだ。  はじめはあの禍々しいものがなんなのかわからなかったけれども、もし仮に店長が退魔師をしているというのであれば納得はいく。退魔師にはああいったものがつきものだからだ。  あの禍々しいものは、悪霊のようなものを呼んでもおかしくないものだけれども、あの店には悪霊のたぐいは入り込んでいない。  店長が退魔師であるというだけならそれはそうという感じなのだけれども、ひとつ気になる点がある。  あの店には、除霊をした形跡も結界を張った形跡も一切無いのだ。その一点が気になって、店長が退魔師であると言いきれないでいる。  もしかしたら店長は退魔師でもなんでもなくて、過去にひどくつらい目に遭って、それを抱え込んでいるのかもしれない。でもそれを表に出さず乗り越えようとしているから、悪霊や悪いものが寄りつかないのだろう。  店長は、過去になにがあったのだろう。あんなに抱え込むほどのこととは一体なんなのだろう。  それを考えて、店長の全てを知りたくなったけれども、それはダメだと思い直す。  店長にも知られたくないことはあるだろうし、仮に知ったとしても今の店長が変わるわけではないのだ。それなら、店長の意思を尊重して知らない方がいい。店長が自分から話してくるまでは触れてはいけないのだ。  でも、もし店長が自分の過去をオレに打ち明けて、あの禍々しいものの正体を知ってしまった時、オレは店長に向けているこの気持ちが揺らいでしまわないだろうか。  肌の表面を覆った泡をシャワーで洗い流しながら店長のことを考える。  店長の過去を知ってしまったらどうなるだろう。そのことを考えて不安になって。思わず涙が滲んだ。
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