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新しく見せる顔
「彼氏とは先週別れたばかりなの。
モラハラ気味っていうか、自分の思い通りにしたがる傾向があって、外食でも私のメニューまで決めて、外でいちゃつくのもおかまいなし。
最初は『愛してくれるから』って我慢してたけど、だんだんエスカレートしてきて……。
別れる時だって、友達の警察官についてきてもらわなかったら、もっとひどい目に会ってたかも。
顔だって殴られたのよ」
「そんなことが、あったんですか」
怒涛の展開に、そう言うのがやっとで。
一方の筧さんは、彼氏の話をする時、少し怯えたような目をしていたけれど、経緯を話しながらだんだん怒りの方が勝ってきたようだった。
「こんな怪我、会社の人達にバレたくないし、高級パックと化粧でごまかしてたの」
「ど、どおりで肌がツヤツヤだと……」
途端に彼女の冷たい視線が僕を刺す。
「高田さん、そんなとこ見てたの?」
「……すみません。てっきり彼氏のおかげかと思ってました……首を隠すのもそういうアレかなって」
「はぁ?
まさか……そういう想像してたの?」
見損なった、という顔で「変態」とつぶやかれる。
「すみません!」
ついでに「一瞬冷たい視線にドキッとしてしまってすみません」と、これは心の中で謝る。
「でも、嫌いじゃないかも、そういうの」
「え?」
冷たい顔をしていた筧さん。その表情がふわりと和らぐ。
「私ね、アニメルトで手が触れたときに、高田さんの指が長くて綺麗だなって思ったの。それから会社でも気になって見ちゃって……手フェチ、っていうの?
自分の意外な好み見つけちゃった。この年になっても自分を新しく知るっていうこと、あるのね」
「ええと」
考えがまとまらない。どう対応すればいいんだ。
「好きなのは、僕の手だけ……ですかね」
勢いでこんなこと言うのは、僕が酔っぱらっているからだろう。
そして筧さんの顔が赤いのは、きっと酒が入っているから。そうに決まっている。
だけど。
筧さんからは「わかりません」と、正直な返事が返ってきた。
「……はは、ですよね」
盛り上がっていた気分が下がっていく。あぁ、振られた。
途端に恥ずかしくなってくる。
やっぱ調子に乗っちゃいけないな、と思ってやり場のない手をタブレットに置く。そろそろお会計、かな。
それで帰って一人寂しく寝るとするかな……。
「――だって、まだ知らないから」
「筧、さん?」
しっとりと柔らかな感触。筧さんの手が、僕の手に重ねられている。
「私、会社とアニメルトで会った高田さんしか知らないもの。もっと一緒にいたらいろんなことを知って、好きなところが見つかるかも。
――だから知りたいなって思って、飲みに誘ったんですよ?」
その口元の、特徴的なほくろ。
僕の頭に、筧さんのキスシーンがよみがえる。
「……知って、幻滅するかもしれませんよ?」
「そうね、そうかも。
でも、私の勘違いじゃなかったら、高田さんも『私のこともっと知りたい』って顔しているんだけど……どうですか?」
彼女の白い指が、するりと僕の指に絡んだ。
「はい」と返事をした自分の声が、どこか遠くに感じられた。
僕は完全に、彼女に酔ってしまったらしい。
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