90人が本棚に入れています
本棚に追加
プライベートの顔
金曜日の夜だった。
僕は定時ダッシュして映画を見て、余韻に浸りつつ、カフェオレ片手にぼうっと海沿いの公園を歩いていた。ライトアップされた橋が綺麗で、さっき見た映画の世界観に似ていた。欄干にもたれて白い息を吐きながら、しばらく眺めた。
お腹もすいたし、なんか買って帰るかな、それにしてもカップル多いなぁ、なんて思いながら帰路につこうとした時。
「やめてよ、こんなところで」
聞き覚えのある声だ、と思ってそっちを見た。
少し離れた場所でカップルがキスをしていた。濃厚なやつを。
街灯の下に立つ二人は、スポットライトを浴びているようで。
わずかに抵抗するように男性の肩に置かれた両手。その手首にシルバーの細い腕時計がついていた。そういえば先日職場で「新しい腕時計買ったの」「えーかわいい」と筧さんたちが話していたな……と思い出して、彼女だと気付いた。
固まったまま二人を見る僕は、完全に脇役で、お呼びじゃないのに、目が離せなかった。
やっと二人は唇を離す。
「もう、やだぁ、ケイくんお酒くさいし」
吐息まじりの言葉。
僕は思わず胸のあたりを押さえていた。押さえてないと心臓が口から出てしまうと、本気で思った。
とろけた顔の、筧さん。知ってる人だけど、あんな顔知らない。頬がピンクで、めちゃくちゃ色っぽくて、いつもと違ってくだけた口調が、可愛く弾んでいた。
確か今日の午前中は険しい顔で上司と口論してなかったか。ギャップが激しすぎる。
男性の方が僕の視線に気づいたのか、こっちを見たのであわてて目をそらした。そのまま歩き始める。
気づかれなかった、と思う。
帰りの電車の中では映画の場面が頭から消え去って、筧さんの裏の顔を見てしまったドキドキが胸の中をしめていた。
あんな場面を見たら意識してしまう。
それから彼女をこっそり見るようになった。ただ、見るだけ。
その筧さんは、今は別室で会議中だ。
つまらない。
最初のコメントを投稿しよう!