548人が本棚に入れています
本棚に追加
/479ページ
「えっ……」
「確信なんてありませんでした。でも、その反応」
世戸の血相が大きく変わった。今はもう、彼の方が歪んだ表情だ。
「図星のようですね」
「……っ、ど、どうしてそれを」
わかりやすい反応。
本当に推測だった。可能性の一つでしかなかった。
世戸さんからの指名で出張が決まったと北原さんから聞いて、私なりに考えていた。私が引っ掛かったのは、どうして今なのかってこと。彼の当時の勢いから考えれば、時間が経ち過ぎだ。だから、こう考えてみた。
“今なら、私を呼ぶ理由があるんだ”としたら。
それなら、彼の身の回りで起きている今の出来事に、何か答えがあるかもしれない。
彼の変化としての一番の情報は、支社長になったことだった。支社長という地位を手に入れたから、私を呼べると思った? でも、その考えはしっくりこなかった。だって彼は、立場を振り翳す様な人なんかじゃ、なかったから。
じゃあなんだろう。そもそも、自分をフッた女にまた会いたい理由って何。そのことと彼の性格を考えたとき、私の言葉に強く心を動かされたと真剣に伝えてきた彼なら、あの頃とは違うことを私に伝えたいんじゃないかって、そう思った。
自分がやりたいことをやれるようになった、ってことなんじゃないだろうか。
でも、それがなんで、支社長になることなのかは分からなかった。
他に何か情報はないかと、最初は鷹西さんや北原さんに聞こうかとも思ったけど。鷹西さんはCOFと再契約を取り直すほど、世戸さんに敏感だ。それに、余計な心配は掛けたくない。北原さんにそんなこと聞けば、何するつもりだってむしろ情報を遮断されそうだった。そこで私が頼ったのが、営業の江口さん。
『え、COF周りで最近変なことがないか? いや、それこそ変な事聞くね、南条さん』
『す、すみません……。今度の出張、ちょっと色々備えておきたくて』
『あぁ、聞いたよ。ごめんね。本来そう言う仕事、俺らなのに』
『い、いえ。これも勉強だと思って行ってきます。それで、その』
『分かった。伝手あるから、あたってみるよ』
『あ、ありがとうございます!』
そうして、江口さんからの答えは出張中に返って来た。
『最近、COFは優秀な人材をどんどん引き抜いてるよ。世戸直哉が中心になって動いているらしい。中には、次期社長と言われる人たちまで集めてる。ごめん、俺の伝手はこれが限界だった』
十分だった。江口さんには感謝しかない。
「支社長になったばかりのあなたが、優秀な人を次々とCOFに引き抜いている。それだけなら、会社の強化とかかなって思ったんですけど。次期社長と言われる人たちを集めてるって、なんか不思議だなって思ったんです」
「……ま、待ってください、どうして不思議だなんて」
「次期社長と言われてるなら、そのままその会社にいませんか? それも、一人じゃない。何人もそういう人が流れてる。だから思ったんです。“次期社長になるよりも魅力的な条件”が、あるんじゃないかって」
COF社長の椅子。誰だって喉から出る程欲しいだろう。一か八かでも、賭ける価値は十分にある。それまでの経歴を捨ててでも欲しいポジションだ。
そのことと、今私を呼ぶ理由。何となく繋がった。
「自分がやりたいことをやりたいって言ってもいいんじゃないか。私はあなたにそう言いました。だから、“今”そういう世戸さんになれたんだとしたら。そして、それを遂げるには、COFから出ないといけない。だから、あなたがいなくなってもいいように、次期社長候補を集めている。違いますか?」
推測でしかなかったけど、世戸の顔は歪んだままだ。唇を噛み締めて、見るからに焦ってる。
「……本当にあなたは、凄いですね。この俺を何度も驚かせる」
「では、折角なのでもう一つ」
これは、世戸の反応を見て思ったことだけど。多分、効く。
「COFを継がないこと。話されたら困る人でもいるんですか?」
「………!」
ここまで焦った反応をされると分かりやすい。ただ言い当てただけなら、そんな目も泳がないし、唇も見るからに強く噛み締めたりしないだろう。
私は、彼がCOFを継ぐ気がないことを、うちに不利益を出すことと引き換えにしようとしている。このまま私が事を起こせば、ばれて困る、それを恐れて焦ってるんだ。
「誰もが知ってるなら、そんなに焦る必要ないですよね。知られたくない人がいるから焦ってるとしたら。誰ですかね、その人」
「………っ」
世戸の些細な表情も逃がさないようにじっと観察する。彼は言ってはいけないことを言った。容赦する必要はない。さて、誰だろう。パッと思い浮かんだのは二人。一人は父親の世戸一哉。もう一人は――。
『世戸にはどうにも、大事なビジネスパートナーってやつがいるっぽい。今回の俺たちの出張にも、そいつは絡んでた』
『誰なんです?』
『プレウィットの新規事業本部長』
新規事業本部長、か。それもプレウィット。COFよりも大きな基盤を持った、うちのグループの大母体。そして今、世戸にはやりたいことがある。
「もしかしてその人は、うちのグループの人?」
しっくりきてそんな声を出すと、世戸は懇願するような目で私を見て来た。それ以上は言うなって目だ。でも無駄だ。私は怒ってる。先に言ってはいけないことを言ったのはそっちだ。
「上を通せば情報は渡せるでしょうか?」
「……だめだ」
「プレウィットの新規事業本――」
「だめだっ!」
「!」
それは一瞬だった。泣き叫ぶような声と同時に、背中に痛みを感じる。手に持っていたスマホも投げ出された。
「っ!」
そして、すぐに手で口を塞がれる。視界に映る、天井と世戸の泣きそうな顔。覆い被さられて身動きがとれない。代わりに、下から睨みつけた。
「……恐ろしいな。あなたは」
あんなに笑顔がキラキラとした人だったのに。真上に見える顔からは、色んな表情が見て取れた。不安、恐れ、懇願。全てを持ってる人が、何をこんなに恐れてるんだ。
「確かに、取引するに値する情報ですよ。今の俺にとって」
「………」
「やりたいことをやるためには、金と伝手が必要なんです。そのために俺は、COFの跡取りという立場を使って動いています。相手もその見返りはCOFからあると信じて、手を貸してくれています。それなのに、COFを継がないなんて知られたらどうなるか。あなたにも分かるでしょう?」
「………」
「酷い人だ。あなたが好きなことをと言うからやっているのに」
そっちが先に仕掛けたんだろうと、また睨みつける。
「そうですね。俺が先に踏み越えました。でも、そうさせたのは誰ですか?」
「………」
「俺の望みは、あなたと出会ってからずっと変わっていません。俺を支社長にしてくれたあなたなら、これからの俺の道もきっと一緒に支えてくれる。そう信じています。だからあなたが良いと、何度も言っている、の、に……」
世戸の言葉が薄れていく。何かをじっと見たままだ。
何だ、何を見てる。自由が利かない頭は動かせないから、視線で世戸の目の先を追う。
床? いや、違う。
「こ、れは……」
世戸の冷たい指先が、首筋に触れる。ある場所に触れたあと、指が動いてまた肌を押さえてくる。
「………!?」
気付いた。世戸が今触れているのは。
「――北原、ですか」
「………!」
北原さんにつけられた、キスマーク。
「……本当に、こんなときにでもあいつはっ――」
「……っ!?」
怒りを含んだ声がした次の瞬間には、首筋に柔らかくて温い感触。
すぐに状況を理解して、世戸を押し退ける。でも、全身を私より大きな体で覆われてびくともしない。
「こんな跡……、俺除けにつけたつもりですか! んっ……」
「! っんん!」
声を塞がれたまま、唇よりももっと柔らかいものが肌に触れる。
「どうしてですかっ、こんなにもあなたのことが好きなのに、ただっ、俺を選んでほしいだけなのに! 何年もあなただけを想ってきたのに! あなたに、認めてもらおうとっ! なのに、なんでっ!」
全身に走る恐怖。それをはねのけて、体全体で世戸を押し退けようとするけど、ここに来て頭の痛みが酷い。やっぱり何か飲まされたのか。その間も、世戸は執拗に一点を舐め続けた。
やだ、気持ち悪い、せめてもと床に投げ出されたスマホを見る。大分遠くにあるそれはもう、碌な会話は拾えないだろう。北原さんに聞かれたくない思いと、通話越しでも繋がっていたい気持ちが綯い交ぜになって泣きそうになる。
だけど、一人で大丈夫だって言った。
どうとでもなるって、言った。
ありったけの力で頭を振り、世戸の手から口を解放する。
「このっ、いいっ、加減に――」
「南条っ!」
最初のコメントを投稿しよう!