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第七話
翌朝、目を覚ましたイルは顔を洗うと、いつもの様に髪をセットする。さすがに寝ている間は髪留めが痛いので外してある。つまり、この間に顔を見られれば、額にある小さな角が見つかってしまうのだ。だからこそ、同室になる王女二人には正体を明かしたのだ。知られずに騒がれるよりは断然マシである。
結構わがままに育ったイルだが、さすがに王女とだけあって頭は切れる。自分勝手をしていたとはいえ、その迷惑の尻拭いくらいはちゃんとしていた。
そういった頭の回転の速さは、人間の国であるハサル国にやって来ても存分に発揮されようとしている。
イルが王女二人と部屋の外に出ると、やたらと周りがイルを見てくる。イルはきょとんとした顔をしつつも、あまり気にしないようにして王女二人と一緒に食堂へと向かう。家族揃っての食事である。
「おお。昨夜はよく眠れましたかな、聖女様」
食堂で既に座っていた男性から、イルはよく分からない単語を投げかけられた。
イルは「聖女って誰の事よ」と思った。
ところが、周囲の視線を感じたイルは直感した。そう、イル自身を指している事に。正直何の冗談かと思った。
イルは自分が魔族なので、聖女なんてものに相応しいとは思っていない。しかし、周囲は違う。
イルは召喚の陣から現れた。
これだけであれば、まあただ人を呼んだだけの話である。だが、イルのその後の行動が衝撃的過ぎた。
まず、大きな建物を出現させ、しかも器用に加工をしてみせた。それだけにとどまらず、その中で植物を急成長させ、その上で無償で提供してきた。これらの行動を見れば、絶望の淵に居た人間から見れば、天から降り立った女神とまではいかなくても、聖女という判断をしてしまうのである。
(この人たち、頭おかしくない?)
周りの人物の心理状態の分からないイルは、単純にそういう感想にしかならなかった。
立場と視点が変われば評価が変わる。実にそういう事である。
実にこの朝食の間、イルはまったく落ち着かなかった。
食事自体は昨日作った芋と小麦を使ったもので、味は悪くなかった。しかし、国王をはじめとした同席者がうるさかった。静かだったのはイルの正体を知る二人の王女だけだ。
「もう一度奇跡を」
「はあ、なんと美しい……」
「救国の聖女だ」
昨日あれだけ放置プレイをかましておきながら、芋と小麦を量産しただけでこれである。この掌返しにイルは心底引いた。
だが、二人の王女は別だ。
放置されていたイルに最初に声を掛けてくれたのは二人だし、正体を明かしても態度は変わらなかったし、同じ王女という立場からか親しみを感じていた。
なので、国のためというより、せっかく人間の国に来たので、この王女たちのためなら一肌脱ごうというだけである。
というわけで、朝食を終えたイルは、再び昨日の建物の中にやって来ていた。今日も同じ作業を繰り返して、もう少し遠くまで食糧を届けるためだ。
地の魔国では人間たちと秘密裏に貿易をしているので、恩を売っておいて損はない。そういう打算的な考えも、イルはしっかり持っていた。
とりあえず、この国から帰る手立てが見つからないので、イルはこの日も芋と小麦を育てるのに勤しんだのであった。
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