神様だけが知っている

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神様だけが知っている

「じゃあ、体に気を付けてね。元気でね」  心配して送り出してくれた母の言葉…  それだけなら良かったのに… 「これ、持っていってね。向こうに行っても、ちゃんと兄弟姉妹と交わるんだよ」  その一言で全てが台無しになる。  まともに、娘とのお別れもできないのか…  渡されたものを手に、腹の奥で怒りがふつふつと沸いた。 「…うん。じゃぁ、お母さんたちも元気でね」  口数少なく、車に乗り込んだ。  吐き出したくなる罵詈雑言を抑える娘を、母は寂しいからとでも思っていたのだろうか?  車のバックミラー越しに、小さくなる母の姿を見る度に、複雑な気持ちが湧く。  それは私が長く腹に溜め込んでいた不満と混ざりあって、汚く濁り、ヘドロのように重く気分を害していた。  最後に手渡された荷物は完全に私にとって、ただのお荷物でしか無かった…  中身を見なくてもわかっている。  それは私が子供の頃から親に持たされ続け、私の重石として苦しめてきた憎い紙束だ…  窓から捨ててやろうか…  そんな物騒な考えが頭をよぎる。  母なら、『そんなの悪魔のすることよ』と言うだろう。  そして、私の20年近くの経験が、その行動を躊躇わせていた。  母は私の知る限り、限りなく善人に近い存在だった。他人に親切だったし、困っている人を放っておけないような、そんなお人好し。  彼女を愛している人は沢山居たことだろう。  私はそんな彼女の《娘さん》だった…  私は私じゃない。そんな肯定されない世界で育った…  こいつのせいで…  助手席に投げ出された荷物は、私のとって呪いのような存在だ。  世界一読まれている、世界で最も古い本。人々を神の元にと誘う教えの書だという。  そうかよ…  腹の中で悪態を着くのは、この本の神様が、私の言葉を聞いて災いをもたらさないようにという自己暗示だ。    本を読むのが好きだった。  絵を描くのが好きだった。  動物が好きだった。  いっぱいいっぱい、好きなことならあった…  でも、全部、ダメだった。 『それは悪魔の考え方よ』 『神様の創造物に感謝しなきゃ』 『神様のために生きるのよ。それが本来の人間の勤めなのよ』 『悪い人間は滅ぼされて、永遠の命を貰えないのよ』  子供にとって、そんな脅迫は酷だろう…  私が1番納得出来なかったのは、友人についてだ。 『神様を信じない子は友達じゃないわよ。悪魔と一緒に、神様に滅ぼされる運命なのよ。  あなたもそうなりたいの?』  私だってそんな結果は嫌だ。友達になったんだから…  仲良しになれた友達も、私の話すことは宇宙人の話すことのように思えただろう。今となっては、頭のおかしな話をしていたのだと思える。  そんなのだから、クラスでは浮いて、虐められた。  それを母は《神からの試練》と喜んでいた。  母親のくせに、子供の不幸を受け入れるとは、神様とやらは相当狂っているらしい。  結局、悪魔とは、母とは相容れない存在で、都合の悪いものは全て《神からの試練》だったのだ。  他の兄弟はそれを受け入れていた。  私は、神の素晴らしさが分からない頭のおかしい可哀想な子供として、家族や周りから認識されてしまった。  そして、それまで構いもしなかった人達が、私に神様のすばらしさを押し売りし始めた。 『一緒に神様について研究しましょう』 『きっとまだお勉強が足りてないのよ』  空いてる時間を神様のお勉強という拷問にされて、神様のことが書かれた本を朗読させられ、答えの決まりきった質問を延々とされた。  いかに神様が素晴らしいのか。人間は愚かで価値のない存在か。神様を信じることが、人間に残された生きる道で、それ以外の人間は生きる価値もないのだと…  そんな話を、母は信じて、私にも信じるようにと強要していた。  そうしている間にも、兄弟は神様に献身して、私だけが取り残された。  進学したくても、進学させて貰えない。  就職したくても、固定の仕事は神様のための時間が取られるからと、許されなかった。  そのうち、父も母の宗教に入って、家族の中でも、私だけが浮いている存在になった…  もう、家族でいるのは無理だろう…  私が馬鹿なのか…?  信じてしまえば、疑わなければ、疑問に思わなければ楽に生きられたかもしれないのに…   何度も、何度も死にたいとまで願ったけど、自殺は許されないし、何よりも、今まで教えられ続けていた刷り込みが、楽になるのを許さなかった…  家族が嫌いだったわけじゃない…  これは本当だ…  でもここには居られない…  高校を卒業して、アルバイトでお金を貯めて、一人で暮らせるように、寮のある仕事を選んだ。  仕事は、選ばなければいくらでもある。  家族には反対されたけれど、私の決心は硬かった。  この家を離れなければ、私は一生、自分の人生を生きられない、お化けのような存在のまま生きることになる。  これまで培ってきた人間関係を全て切り捨てて、遠くに逃げることにした。  車を走らせ、海の見える寂れた街に来た。  私の生まれ変わる場所…  適当に車を停めて、海を眺めた。  ここは観光地で、少し寂れたと言っても、この風情のある姿で映画のロケ地にも選ばれる場所だ。温泉もホテルも沢山ある。もちろん、仕事も…  青い海に、白いさざなみが走り、水平線に滑るようにカモメが飛んでいく。  太陽の光が水面に煌めいて眩しい…  独特な潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。  腹の中の悪いものを吐き出せそうな気がした…  そう思った瞬間、溜め込んできたものが、一気に水に姿を変えて溢れた。  涙と鼻水とヨダレまで…  自分でも驚くほど、激しく感情が逆巻いて溢れた。  あぁ…そうだよね…泣くことだって自由じゃなかったんだから…  涙を拭って、海と陸の境界線の堤防に行儀悪く登った。  《登るな》って、書いてあるし、登る時に腕や膝を擦りむいたけど、そんなのどうでもいい。 「クソ喰らえー!」  鳴り響く波間に向かって下品に吠えた。 「帰るもんか、ばーか!  あたしは!人間になるんだー!」  私の宣言は、遠く青い海に飲まれて消えた。  毒を吐き出した心は、ずっと気になっていたシミが取れたような、そんなスッキリとした気分になっていた。  きっと、すぐには人に戻るのは無理だろう…  私は《宇宙人》だったのだから…  これから人間に戻るのだ…  堤防を降りる時に、また膝を擦りむいた。  血が滲んだが、それが生きていると感じられる。  手に入れるために、全部捨ててきた。  助手席の荷物から、私の人生のお荷物を取り出して、誰にも知られずに、不法投棄という悪魔の所業を成した。  神様だけがそれを見てた…
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