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6ペンスの唄を歌おう
6ペンスの唄を歌おう
ポケットいっぱいのライ麦
パイにつめて焼きあげた
24羽の黒ツグミ
パイを開ければ
鳥が歌い出す
王様に出すごちそうさ!
…6ペンス好きだよね、マザーグース。単に、小銭くらいの意味合いなんだろうけど。
みなさんこんにちは。コリン・レノックスだよ。もう、メアリーの名は名乗らなくていいんだ。さりとて、クレイヴンの姓を名乗るほど気持ちの整理がついた訳でもない。
だいぶ初期の時点から、屋敷のみんな知ってたんだってさ。父に一人息子がいるくらいは、そもそも知っていたそうだし。世話役のマーサがこれまた口が軽いため、弟のディコンを始めみんなに吹聴して回ってたってさ。
みんな、知ってて知らない振りをしてくれてたんだってさ。あぁ、そうかいな。別に、どうだっていいですけど?人の真剣な姿を見ながら飲む酒は、さぞかし美味かった事だろうさ。
まぁいい。今僕が、どこで何をしているかって?正解は、厨房で教えを乞いながらパイを焼いているよ。
…男子、厨房に立たずとは言うけどね。隠す必要のなくなった今はもう、元通りの格好をしているし。だけどまだ、彼にお礼を言っていないから…。助けてくれたお礼を、何かしら形にして表したかったから。え?料理の腕は、確かなのかって?
安心したまえ。インドの屋敷で、料理人が腕を振るう様をしっかり目に焼き付けていたよ!あれらはまぁ、カレーだとかサフランライスだとかそう言った類であったけれど。それに、メアリーがお菓子作りを教えてもらっている様をこれまた目に焼き付けていたからね。でもまぁ、見るのと実際にやるのとでは結構な違いがあるものだ。
すでに惨憺たる様相を呈しているが、まぁ心配ない。この後すべて失敗なしに作成すれば、お釣りが来るからね。よし、完成!
意気揚々と、彼の住む小屋に向かったが…。扉の前で、何だか決心がつかず足を止めてしまった。ところでディコンは屋敷の使用人部屋には住まず、庭園の粗末な小屋にて暮らしているのだよ。言ったような、言わなかったような?
躊躇っていると、後ろの方から声をかけられた。
「ぼ・ぼ…坊っちゃま。どうなすったんです、そんな所で」
「おわぁ!ビックリした!…ディコン、もう動いて大丈夫なのかしら?…じゃなくて、大丈夫かい?」
未だに、メアリー口調が抜けないなぁ。…ってか彼、やっぱり真っ赤な顔をしている。人見知りだから、誰に対しても赤面するのを勘違いしただけなのかなぁ?彼は、白い歯を見せながらこう答えた。
「ぴ…ピンピンしてまさァ。こんなもん、ツバつけとけば治ります。…そ・それよりこんな粗末な小屋、坊ちゃまが立ち寄る場所じゃねぇですよ…」
そうは行かない。こちとら、せっかく焼いたパイを渡すために来たのだからね。助けてくれた礼の一つも出来ないようでは、英国紳士の名が廃ると言うもの。無理を言って中に入って、パイを食わせる事に成功したよ。
「!!!こ・こ・これは…。色々と、独特です。ぼ・坊っちゃまの優しさが、滲み出てまさァ」
「味についての言及は、特には無いのだね。いいよいいよ。お礼の気持ちが伝われば、それで。それよりも、色々と済まなかったね…。何だか、誑かすような真似をしてさ」
「いいです、それも…。じ、事情はある程度聞いてます。旦那さまと、亡くなったお姉様のためだったのでしょう?ぼ・坊っちゃまは自分以外の誰かのために動く事の出来る、心優しい方です…」
ほら、またそれだ!決める時だけ、バッチリ流暢に喋るのやめて!ちょっと、こっちが心動かされそうやん…。ってか、こんな問答をしに来た訳ではない。
「ところでねぇ、ディコン…。悪いとは思いつつ、マーサたちから聞いてしまったよ。君が他の使用人から離れ、こんな小屋で住んでいる訳を…」
同時にそれは、彼の喋り方が不自由になった訳でもある。幼少の彼は利発で、今とは違いとてもよく喋る子供であったのだってさ。だけど父親が早くに亡くなって、母が再婚。その男がロクでもない奴だったのが、ケチのつき始めだ。四六時中酒を飲んで、家族に手を上げて…。そして大きな声で言えないが、幼いディコンを無理やり乱暴したのだとか。ここで言う乱暴とは、本来男女の間で使う意味でね。
義父がつまらない酒のトラブルで亡くなって、やっと家族は解放された。極貧だが、マーサやディコンが屋敷で働き出すようになって何とか暮らして行く事は出来た。だけれど…。人々の好奇や蔑みの目は、消える事がなかったってさ。
イギリスって、お堅いのね。インドじゃ、全然アリよ…って事もないのか。英領だから、法律は同じものが施行されていたしね。兎に角、ほんの何十年前まで同性愛による有罪宣告者には死刑が科されていたのだ。こんなド田舎の連中どもの偏見など、想像するに余りある。
「…み・道を歩いていると、泥を食わされました。し・使用人連中が同じ部屋に住むのを嫌がるので、おれは一人この小屋に住んでいます…」
「…」
そうして、人と話す機会がなくなって…。いつしか、喋り方も忘れてしまったのだと。
「お・おれには、この暮らしが合っています。ひ・人と会うのも気を使うし、一人でいるのが楽ですから…」
そうかなぁ。本気で言っているようには、とても思えない。
…何だろう。僕は、自分の事をなんて不幸な生い立ちだろうと思っていたけど。それでも身体や心に大きな傷を抱えなかったのは、とても有り難い事であったのだな。まずは、その事を神にか感謝し申し上げたい。そして…願わくば、この幸せを与え合って生きたいなぁ。伯父…じゃなくて、父上か。彼やディコンのように、傷ついた人々を支える立場になりたい。そうなれたら、どんなにいいか。
「…泥かぁ。インドのクリシュナ神は、子供の時に土で作った団子をパクパクと食べてしまったのだと」
「…ぼ、坊っちゃま?」
「育ての母であるヤショーダは、クリシュナの口から泥を吐かせようと口を開かせた。そしたら、彼の口には天界・地界・下界からなる三界…。果てしなく広がる、宇宙が見えていたのだって」
「…」
「ヤショーダは驚きのあまり、泡を吹いて倒れてしまった。可哀想に感じたクリシュナは、母の記憶を少しだけ取って見た事を忘れさせたのだってさ。乳母のアーヤから聞いた、インドのおとぎ話だ」
「き、興味深いですね。よ・良かったら、また色んな話を教えてほしいです…」
「あぁ、きっとだよ。約束だ…」
それ以上は、いられなかった。ディコンにも、本来の仕事があるのだろうし…。それに、このまま居続けると涙が溢れて止まらない気がした。
小屋を出て歩いてると、いつかの駒鳥が後ろをついて来た。駒鳥は僕を覚えているようで、その事が僕の心を少し明るくする。それに、今ならなんだか彼(彼女?)の言っている事が分かる気がした。
「僕に、ついて来いと言っているのかい…?」
その通りだった。鳥に導かれて庭を散歩するうち、土の中から何かがはみ出しているのが見えた。両手をもって、泥を払いのける。これは、何かの箱…?中身はもう、だいたい分かっていた。父上が愛する奥方のために拵えた、秘密の花園の鍵だ。
「ありがとう。幸せすぎて、息も出来ないくらいだ…」
実はもう、花園の場所も分かっているんだ。親愛なる母上の、最初で最後の手紙をもってね…。
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