⑤知らない

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⑤知らない

水の流れる音はよく聞いた。川がそばにあったから。僕の暮らす街には大きな川とそばを流れる小さな川があって、高校1年の時、台風で増水した川の水が遊水池に流れ込んであと少しで僕の家は飲み込まれるところだった。 ここも一緒。 水の流れる音が大きく聞こえる。 まさか、僕を連れてきたこの地図の示す場所がこんな場所だなんて。寂れた貯水タンクのすぐ脇の管理室。ドアに鍵穴。 ここに、今村くんから預かった鍵をさして回せばどうなるというのか。 初めて来た町の、初めて来た川のそば。 鍵を握る手が震える。白昼堂々。僕は僕のまま、こんな怪しげな扉を開けようとしている。 ドラクエでも、もう少しマシなシチュエーションでダンジョンを攻略するはずだ。 いざ、何か起きた時。逃げる手段は。 何も持ってきていないことに気づいた。 出直そう。 僕の率直な気持ちだ。 大輔さんのマンションを出て歩いて自宅に向かう途中。スマホが震えた。見ると発信者は今村くんで 『きゅうきゅうしゃさんきゅうきゅう』 と、起き抜けで寝ぼけながら打ったと思われるLINEが入っていた。 僕は、それを見てふっと笑って、今村くんが生きていたことに涙が流れた。生きていた。助かった。これから今村くんがどうなるかは分からないけど、生きていてよかった。と、心が軽くなった。 自宅に戻り、押し入れを開けて奥にしまった手帳と鍵を取り出した。地図の通りとにかく行ってみよう。今村くんが僕に何を託したのか確かめてみよう。 今村くんが生きていることで僕は少し、気が大きくなっていて、 『友達になると損するから、今くらいの距離でいなよ』 という大輔さんの忠告も、今村くんが何者かに怪我をさせられているという現状も全て霞んで見えていた。 だから、電車を乗り継いで、何も考えずにここにきてしまった。 警戒していたはずなのに。 もしも、取り返しのつかないものを目にしたら。 死体か、大金か。 その二つのうちのどちらが出てきたら…あるいは。 ここまできてしまったのだから開けるしかない。いや、むしろ開けたい。鍵を回して扉を開ける。 人はいつも自問自答を繰り返している。 やるかやらないか。 やはりやらない方がよかったと、後悔するのはいつもやった後の方。 僕は今、やはりやめておけばよかったと激しく後悔している。 「……。」 腐敗臭。 黒い皮膚。 焼きついた血の匂い。 「死ん…」 だけど、だけど、上下に左右に膨らんだり縮んだりを繰り返している。 「…今村、遅いよ。何してたんだ。」 細い声を出して、僕を睨めあげる。肩で息をしながら、死に損ないが腐った息を吐きながら。 「…誰?…お前。」 「今村…くんに、…頼まれました。」 「…はあ?」 僕の方こそ”はあ?”だった。 川の水の音にプツプツと叩きつける音がし始めて、僕にも降りかかってくる。 雨だ。 雨に気を取られていると目の前の男が僕めがけて何かを投げてつけてきた。 よく見ればウジムシの絡みついたガーゼの束。 僕は、一瞬にして吐いた。 消化しきれていない食べ物が形を変えて胃液と一緒にウジムシにビシャリビシャリとかかる。 「おい!何ぼーっとしてんだよ!」 初めて今村くんと会った時のことを思い出す。 「何しにきたんだ!テメェは!」 なぜ、こんな汚い気持ち悪いものを目の前にしなければならないんだ。 「知りません。」 「ふざけんな!テメェはなんだ!!何の用だ!」 「知りません!」 「バカヤロウ!」 おまけによく喋る。 だけど、おそらく動けない。片方の足がない。脚はあるけど。 僕は力づくで扉を閉めて鍵をかけた。 「どうせなら食い物置いていけ!!ふざけんな!!つーか!今村、今村はどうした!!」 扉の奥から聞こえる声が胸の奥を抉るようだ。 この人も今村くんも何に巻き込まれていて、僕も何に関わっているんだろう。 足元には僕のゲロ、ウジムシに血のついたガーゼ。 こんなもの、もしも誰かが見つけたら、何か事件だと思うだろう。 いや、事件が起きてる。 人が2人、何らかの事件に巻き込まれている。 「警察……わかんない。 何て話せばいい?…全然わかんない。」 手に取ったスマホ。どこにかけるべきなのか。番号が押せない。 「今村くん、全然わかんないよ。」 出直そう。 僕の率直な気持ちだ。
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