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17.大坂城落城
17. 大坂城落城
大手門には、政虎、清重、勝重の三人が、それぞれ手勢を連れて宗冬を待っていた。枡形の鉄砲狭間からは、しっかりと銃口が向けられているが、肝心な火薬の臭いがしない。
「堺と豊海は水と油、矢弾を買い入れる事も出来なんだ筈だ。福島正敏の話では、今ある僅かな弾を撃ち尽くしたら、野戦は矢か槍で戦うしかないだろうと」
大手門を囲むように聳える石垣の上部を睨みながら、清重が二人に教えた。
「俺は好かん。幾ら豊海が道を外れたとはいえ、育ての親をこうもあっさり見限るなど」
「私もですよ。とはいえ、家臣を持てば、泥舟と解って逃げぬわけにも行きませんし」
「ほう、城持ち女房持ちともなると、言う事が違うな、政虎」
勝重が揶揄うように政虎の肘を槍の鐺で突いた。
「悔しかったら、早く女房となる方を見つけたら如何です。いい加減、葛さんの事は諦めて下さいよ。似た人、なんてのもダメですからね。いるわけないんだから、あんな美人」
「確かに、男にしとくには勿体ないくらいに良い女だな、勝重」
「清重殿、日本語おかしいですよ」
そんな掛け合いを繰り返していると、やがて大手門がぎいと音を立てて開き、中から宗冬が、物見遊山の帰り道かのような軽い足取りで三人の元へ駆けてきた。政虎はすぐに馬から飛び降り、宗冬に駆け寄って抱きついたのだった。
石川一貴を始め、大坂城内の縄張りに詳しい者達の指揮により、和議の条件である外堀の埋め立てが即日に始められた。内堀は豊海方が埋める条件であったが、引き延ばすつもりか、のらりくらりと工事を中断した。将康はその度に大筒を撃ち込ませて何度でも脅迫し、とうとう奥川方の人足によってさっさと内堀も埋めてしまったのであった。
老獪な将康は、その間にも木津川まで出張っていた中国勢の毛利家と、茶々屋四郎兵衛を通じて会談を行い、豊海政権後も毛利家及び分家の家禄・家格を安堵する事を約束し、その場で第七女を分家の吉野家に嫁がせることまで話を進め、兵を引かせていた。
二週間余りの埋め立ての間に、日の本の外堀自体、もうすっかりと奥川方となって埋め尽くされ、豊海は孤立無援となっていたのである。
天守から全てを見守っていた秀敏は、怒りに任せて明野を打擲した。
「おまえのせいで、儂の夢の城が、儂の夢が……返せ、この馬鹿女が! 」
這って逃げようとする明野の足首を掴んで引きずったまま、秀敏は天守から下りて表御殿の千畳敷に姿を見せた。折しも野戦の陣容を組み立てていた龍成を始めとする武将達は、すっかり呆けた秀敏と、秀敏に引きずられて殆ど裸同然となり、全身を血に染めている明野の変わり果てた姿に戦慄した。
「は、母上! 」
半狂乱になって駆け寄る宗孝を、秀敏はあらぬ方向を見据えたまま一刀の元に斬り捨てた。紙人形のようにひらりと翻り、宗孝は母に触れる事もできぬままに死んでいった。
「おかか、おかかはどこじゃ……おかかがおらぬと、儂はダメじゃ」
もう斬って捨てねば自分達が危うい、そういきり立って刀に手をかける近習を制し、龍成が慎重に秀敏に近づいた。
「親父殿、堀は埋め立てられてしもうたが、ここからが真骨頂じゃ。親父殿得意の野戦に持ち込み、撃って出よう。奥川を退ければ、大坂の街も静かになり、おかか様をお迎えする事ができようぞ、のう、親父殿」
秀敏が掴んでいた明野の足首を離した。ことりと畳に落ちた明野の、腹部が膨れた体は、もう冷たくなっていた。
「岩佐龍成、おぬしが全軍を指揮致せ。儂は後詰を致す。存分に戦えい」
「……良いのか、親父殿。清隆らのように戦は上手うはないぞ」
「良いわ。最後くらい、思いのままにやってみせい。骨は拾うてやるわい」
かつての猛将ぶりを思わせる悪戯げな顔で、秀敏は豪快に笑い、龍成の肩を叩いた。
「承知! 」
龍成は咆哮を上げ、軍議に戻って己の考えていた陣容を明らかにしたのであった。
早暁、既に大筒を撃ち込まれて破壊された大手門を挟み、奥川方の宗冬、勝重らの主力軍と龍成の指揮する豊海軍とが睨み合った。奥川方の大筒や鉄砲を封じるであろう雨の恵みもない。いよいよ神仏にも見放たれた戦いかと、龍成は采配を握りしめた。
「者共、奥川方の先鋒はかの織田島宗冬じゃ、討ち取って手柄と致せ! 」
おお! とどよめきを合図に、豊海軍が大手門から溢れ出てきた。
「かかれ! 」
政虎の鉄砲隊が前を進み出て一斉に撃ち放った。倒れた兵を乗り越えて、後から後から兵が湧いてくる。じっと間合いを図っていた宗冬が、空に突き上げた手を前へと倒した。
大筒が大手門から内堀沿いに城を守る土塀を破壊した。人という人が吹き飛び、土煙が舞い上がる。宗冬ら先鋒の騎馬隊は面頬で顔を覆い、煙の中めがけて疾駆した。
「櫓は潰した、横矢は気にせず遮二無二走れ! 止まれば石落としにやられるぞ! 」
一の門を突破する敵を防ぐために横腹から射かける為の櫓を大筒が破壊し、二の門では上から降る石の雨だけを防げばよかった。騎馬隊は片手で簡易な盾を持っており、頭上に掲げたまま二の門を潜った。勝重の隊は馬首を転じ、二の門の狭間から矢を射かける兵を背後から潰し、後から潜ってきた清重の部隊を無傷で通した。清重隊はそのまま西の丸を目指し、外堀を超えて攻め入ってくる奥川西北軍と呼応し、この辺りに屋敷を構える城方の重臣軍の掃討に取り掛かることになっている。勝重は激戦の二の丸を見事に制圧した。
先に二の門を突破した宗冬は、桜門へ至る坂道を塞ぐ豊海の大筒の上をひらりと飛び越えた。大筒隊の背後に着地するも蒼雲が素早く馬首を翻し、反応が遅れた兵を足蹴にしていった。
「大筒を奪って、ついて参れ」
火器の扱いに慣れた者を擁する政虎隊は、勝重の援護を受けながら大筒を奪取し、そのまま宗冬に従いて桜門へのゆるい坂道を走った。
空堀を跨ぐ桜門への石橋の前で、宗冬は一旦止まり、渡った先の両側に広がる横矢の石垣の奥を探った。
「政虎殿、射程は」
「十分です。自軍の最後の二発で本丸の防御線を破られるとは……皮肉です」
「両脇に1発ずつ、私が出たら、橋の中腹まで押し出し、鉄砲で援護を頼む」
政虎の背後では、既に次の弾を装填し終えた鉄砲隊が指示を待っている。
慣れた手つきで、大筒隊の兵が狙いを定めた。
橋の向こうに見える桜門を守るように聳える両隣の高石垣。水平にではなく、それぞれが直角に張り出し、桜門の前で正面から射掛けられて足踏みをする敵を両側面からも攻撃して叩くための横矢掛りになっている。阿吽像のように桜門を守る石垣に向けて、大筒は発射された。自軍の弾によって、横矢は跡形もなく吹き飛んでしまうのであった。
「蒼雲、今じゃ」
宗冬は蒼雲に喝を入れ、一気に橋を渡り斬った。桜門からは長槍を持った歩兵が一斉に躍り掛かるが、宗冬はそのうち一本をまんまと奪い、豪快に振り回しながら押し通った。
その大筒による桜門突破を合図に、猫間川まで張り出していた将輝以下奥羽勢は、埋め立てられた外堀、内堀を超えて本丸の東の帯曲輪に迫っていた。夥しい火矢が射掛けられ、晴天の続いた初夏の風に煽られ、櫓から火柱が立ち上った。
表御殿の前で蒼雲から下りた瞬間、轟音と共に金蔵の屋根が吹き飛んだ。豊海の財宝を奪取すべく侵入した奥羽勢の兵諸共、火薬で吹き飛ばされたのである。宗冬が駆け込んだ表御殿にも粉々になった瓦屋根の欠片が降り注いできた。土埃に視界を阻まれ、思わず何かに蹴躓いて転んでしまった。
何に躓いたのかと面頬を取り去って顔を近づけた時、宗冬は息を呑んだ。明野と宗孝が、無残な姿を晒していたのである。
宗冬は手を震わせながら、宗孝の眼を閉じ、その手を胸の上で重ねてやった。そして明野の衣服を整え、親子が共に逝けるよう、隣に寝かせたのであった。織田島の名に関わらぬ生まれであったなら、このような死に様を晒すこともなかったのだ。
「許せ、宗孝。助けてやると言うたのに」
和議が整った時、明野を突き放してでも宗孝を連れて出るべきであったか……。
合掌して瞑目し、後悔を振り切るように大きく息を吐き出してから、宗冬は奥御殿そして天守へと走り出した。
本丸では既に、侵入した奥羽勢と石川勢が城方と交戦状態にあった。初夏の陽気に加え、櫓が燃え盛る炎によって、息が出来ない程の熱気に覆われている。おそらく、ここにはおるまいと、宗冬は更に北東へと進んだ。
和議を乞うきっかけとなった奥川軍の砲撃で、奥御殿は見るも無残な姿に変わり果てていた。足を乗せる場所とて失っている式台の前に、龍成が立ちはだかっていた。
「参られたな」
「殿下はその先か」
龍成は血脂でささらのようになっている刀を、それでも左半身となって脇に構えた。胴丸にも肩当てにも、折れた矢が突き刺さったままである。首筋や顔は、べっとりと返り血を浴びて朱に染まっており、壮絶な手負いの姿であった。
「西の丸も間も無く制圧されよう。そこで暮らしておった、城内で戦っている大名や旗本衆の妻子達は、無傷で城から出すとの将康様の仰せだ」
「間に合うと良いが……おそらく殆どの屋敷では、妻子が自害をしておろう。人質として残されておった者も、生き恥を曝す愚は犯すまい」
無論、龍成の家族も、である。西の丸には、龍成のように城に仕える上位の身分の者が屋敷を構えていた。無論、領地もあり、城もあるのだが、この大坂城こそが家族と四季を過ごした住処なのであった。
「何故じゃ、何故死なせる、殺す……何故、生きよと言うてやらぬのじゃ! 」
宗冬が、折れかかった柱に拳を叩きつけた。
「言うて何になる。どう死ぬかを選べるなど、それ程の幸甚はなかろう。おまえの親父を思い出せ。全てに飽いたとばかりに、愛人の男を抱いて首を掻き切ったのであろうが」
龍成の眼前で、宗冬のあの愛らしい顔立ちが見る間に夜叉と変わっていった。秀敏が畏れ崇め、多くの大名達を足元に平伏させて生殺与奪を握った、あの織田島宗近が、目の前に蘇った。
龍成は体重を乗せて踏み込み、宗冬の首筋を狙った。間一髪で体を逸らしつつ、そのまま後ろに蜻蛉を切りながら、宗冬はその刀を右手ごと蹴り上げた。刀を握りしめたまま朝から戦い続けてきた龍成の手は、あっさりと刀を飛ばされてしまった。
しかしすぐさま脇差を抜き、龍成は間合いから逃げもせずにそのまま突いてきた。着地した宗冬はそのまま横手に体を屈め地面を擦るように足を龍成へ伸ばした。体勢を崩した龍成の足首はまんまと絡め取られ、どうと音を立てて龍成は背中を地面に打ち付けた。
「立て、それでは話にならん」
全く息を乱さず、宗冬は片手正眼に構えて龍成を見下ろした。
「聞きしに勝る、強さだな」
衝撃を受けた体には重すぎる鎧を脱ぎ捨て、龍成はよろよろと立ち上がった。しかし、膝に両手をついて、下を向いて息を乱している。
「実はな、正敏や清隆のように、喧嘩は強うない。武術は苦手じゃ」
「世迷言を」
「僅か13で稲川照素を討った奴は、どんな熊か猪武者かと思うたら、花も手折れそうにない少女のような公達ときたものだ。天はこいつに幾つ与えたのだと臍を噛んだが……1つだけ、悔いがある」
「早う申せ」
「俺を斬るのが、織田島宗冬ではないと言うことだ」
龍成は再び、しっかりと脇差を掴み直した。
龍成の背後から、近習が二人、鉄砲を手に飛び出してきた。宗冬を狙っていたのか、既に火縄は煙を吐いている。
「この男を食い止めろ。仕留めればそれはそれで末代までの誉となろう」
恥を敢えて呑み込むように目を伏せ、龍成は銃口を向ける近習の奥へと逃げていった。
いや、逃げたのではない。必ずこの奥に秀敏がいる。秀敏を無事に死なせるために、龍成は武士の名誉を捨てたのだ……解りやすい男だと、宗冬は口元を歪めた。
「二人共、鉄砲は初めてか。それでは撃てぬぞ」
思わず二人が同時に銃の横腹の引き金を確かめた時、宗冬は一気に間合いを詰めて右、左と順に手首の神経を断った。銃の使い方も解らぬ者を斬るまでもない。ほんの戦が終わるまでの間、武器が持てなくなりさえすれば十分である。
和議の折に龍成に案内された道順を辿り、宗冬は天守に足を踏み入れた。
階段を上るにつれ、火薬の匂いが強くなる。まだこれだけの火薬を所持しておきながら、何故あれ程守備側の装備がお粗末であったのか。この火薬を防御に使用されていたら、奥川方はまだ大手門一つ突破できていなかったかもしれない。
ぎしり、と音を立て、龍成と酒を酌み交わした望楼に上がると、そこには火薬樽が三つ、火縄でつながれていた。その縄の先を握りしめる秀敏が、虫歯だらけの歯を見せて笑って座していた。胡坐をかくその股の間には、火打石が転がっている。
「ほほう、宗冬じゃ、宗冬じゃ! 」
その横では、龍成が高欄に立ち、遥か戦さ場を見下ろしていた。
「お覚悟を。この日の本を一つになされた男として、潔き御最期を」
「儂ゃのう、上様に言われた通りにしたまでじゃ。おい、猿、こうせい、ああせい。ははぁ……とまぁ、こんなとこじゃ。上様ならこう致す、ああ致す、その一念でここまでやってきたわい。将康の狸めにまんまと出し抜かれたが、こうしてこの大坂城の天守に座り、百姓上がりが殿下様じゃ。これほど愉快なことがあろうか」
「たわけが! 今更誰のせいにしておるかぁ! 」
大音声で怒鳴りつける宗冬の形相に、秀敏の顔が固まった。次の瞬間、涙という涙、涎という涎を垂らし、凄まじい音を立てて失禁しながら、宗冬から逃げ回った。
「権勢欲にかられ、人を利用し、騙し、弑るだけ弑て、何を世迷言を申しておる! 」
「上様、上様ぁ! 許してくだされ、お許しを! 猿めが、この猿が悪うござりました、叩かんでちょーでぇ、猿が、猿がまた城を一つ取って来ますで、上様ぁ」
宗冬は切っ先を下げた。城を攻めては一族郎党を飢え死にさせ、焼き払い、水に浸し、全てを薙ぎ倒すようにしてこの国を平定した男が、一度権力を手にしてまんまと魔力に呑み込まれたこの男が、全ては宗近の為だと嘯いている。
それでも初めは、出世をして寧子や家族を楽にしたいと思った筈だ。国が一つになれば戦はなくなると思った筈だ。権力とはかくも人を哀れに醜く変えてしまうものなのか。
人を殺したというなら、己も同じである。血に染まった己の手が綺麗になることはない。
宗冬は、天を仰いだ。目の前の秀敏の狂態は、未来の自分だ。罪の重さに耐えかねて、いつか発狂してしまうのかもしれない……宗冬は刀を落とし、両手で顔を覆った。
「殿下、親父殿、上様はあの世でお待ちじゃ。宗冬殿を苦しめてはならん」
龍成が動いた。高欄から滑るように秀敏の背後に跪くと、両腕を前に回して秀敏の脇差を抜き、その腹に深々と沈めた。
「さぁ親父殿、もう良い。逝ってくれ」
何事か喚き続ける秀敏の腹に刺さった脇差の柄を、龍成は皺だらけの秀敏の手で掴ませ、その上から 己の手を重ね、真一文字に裂いた。
「か、介錯は許さぬ。離れよ、龍成」
壮絶な苦しみに、悶絶していた秀敏の目に正気が宿った。龍成の手を払い除けると、脇差を抜き様、自分の頸部に刃を当てた。
「さらばじゃ、宗冬。ら、来世では、儂のものになれ」
にやりと笑い、頸部に当てた刃を思い切り引いた。
「……我らに来世があるものか」
皺だらけの首から血を吹き出しながら、秀敏は前のめりになった。晒された頸めがけ、宗冬は素早く兼定を拾い上げ、一気に振り下ろした。胴を離れた首は床の上を転がり、やがて顔を龍成に向けるようにして、ことり、と止まった。見事な切り口故に、倒れることも揺れることもなく、ただじっと龍成を見据えていた。
「来いと言うておるのだろう。今行くぞ、親父殿」
もはや生への執着は無くなったように座り込み、龍成は腕で汗を拭った。
「暑いな、火が回ったか……早く逃げろ、巻き込まれるぞ」
「貴方と戦う約束だ」
「今の俺に、宗冬殿に斬ってもらえる価値などない……最後の最後で主殺しじゃ」
「私とて、地獄行きを予約しておる半端者じゃ。遠慮は無用」
ぱちりと、木が熱に爆ぜるような音がした。階下から確かに熱が上がってきている。
「ここまでの忠義を、私は見たことがない。貴方は真、武士の中の武士ではありませぬか」
「泣かせることを……」
歯を食いしばり、唸り声をあげながら龍成は立ち上がった。精一杯、脇差を前に突き出し、もつれる足で宗冬の胸元に突進した。軽く半身でいなして背中を叩くだけで、龍成は顔からまともに床に突っ伏した。
「くそ、暑いな」
汗を拭う龍成と宗冬の間に陽炎が立ち上る。もう、炎がそこまできているのだ。引火すればたちまち、天守は吹き飛ぶだろう。
龍成は立ち上がった。早く斬られて、せめて宗冬を生かしたい。生きて欲しい……その殺気は宗冬に向けられるものではなく、己自身の命に向けられたものであった。
その覚悟を、宗冬もしかと受け取った。決して引くまい、そう刀を握り直した。
「行くぞ、織田島宗冬」
「是非に及ばず」
脇差を振り上げ、龍成は渾身の力で振り下ろした。宗冬は寸手で見極めて躱し様、膝を沈めて一気に逆袈裟に擦り上げ、咆哮と共に龍成の脇の下から左肩ごと首を断った。
刀を天に捧げたまま残心する間、切っ先から宗冬の額に龍成の血が滴った。
両肘に、龍成の骨を断った時に受けた衝撃によって、強い痺れが走っていた。
龍成の首を肩から斬り離し、重々しく血ぶりをくれて刀を収めた宗冬は、二人の首をそれぞれの鎧直垂の片袖を千切って丁寧に包み、両脇に抱えた。
階下に下りようと階段に足を踏み降ろした時、爪先を炎が炙った。階下はもう、火の海である。
宗冬は、龍成と酒を酌み交わした高欄に立った。遥か下を見下ろせば、本丸を制した奥川軍がこちらを見上げて何かを喚いている。その者達に向けて、宗冬は秀敏の首を投げ落とした。
「龍成殿、すぐに参る。そちらでまた、酒を酌み交わそう」
階下の千鳥破風が吹き飛び、地面で喚く者達の姿が見えなくなってしまった。
『生きよ……』
煙の中から、亡き父・宗近が死に際に投げつけた言葉が蘇った。
龍成の首を抱えたまま、宗冬は高欄から身を躍らせた……。
将康が大手門を潜り、桜門へ至る坂道に立った時、地響きと共に天守から火柱が立ち、やがて爆音を轟かせて初夏の空に砕け散っていった。
豊海の終焉をじっと見上げている将康の元に、政虎が血相を変えて駆け寄ってきた。
「天守が爆発しました。中に、中に宗冬殿が! 」
「何じゃと、確かか! 」
「本丸を制した我々に秀敏の首を投げて寄越され、その後すぐに火が周り、お助けする間も無く……そうしたら、あのように」
「探せ、あいつのことじゃ、きっと逃げておる、探せ、早う探さぬか! 」
将康は走り出した。半狂乱で桜門を潜ろうとするのを数人がかりで羽交い締めにされて止められた。この桜門にさえ天守の欠片や煤が降り落ちてくる。
「お下がりくだされ、お下がりを」
必死に止める家臣に抑え込まれ、将康はあられもない声をあげてその場にへたり込んだのであった。
1588年、5月。大坂城落城。豊海家は滅亡した。
既に三条橋家を通じて征夷大将軍の綸旨を得ていた将康は、かねてよりの計画を粛々と進め、幕藩体制を整えた。
江戸幕府の誕生である。武家諸法度が発布され、一つの国として、日の本が動き出した瞬間であった。
武蔵の古城に過ぎなかった江戸城は、大坂城を凌ぐ荘厳華麗な城に生まれ変わった。将康は築城費用を各大名に負担させることで、余力を削ぐことも忘れなかった。秀吉の建てた大坂城もやがて埋め立てられ、新たに西の旗印として威容に満ちた城となっていく。
その新しい大坂城の完成を待つまでもなく、将康はさっさと四男康忠に将軍職を譲ってしまい、生誕地である岡崎を瀟洒な隠居所として新たに手を加えて住むこととした。それまで大奥を仕切っていた側室たちも全て、岡崎へと移ってきたのである。
春を間近に控え、将康は上京することとなった。2代将軍康忠の三女を入内させるための地ならしが目的である。先年、正親町天皇の後継と目されていた東宮・誠仁親王が急死したため、入内の話は暫く立ち消えになってしまっていたのであった。
将康のお供には、今や城持ち妻子持ちとして幕府でも要職にある3人、酒匂清重と本戸勝重、そして喜井政虎が努めることとなった。
岡崎で合流した四人は、まるで物見遊山とばかりに馬に跨り、五街道の一つとして整備された東海道を、ゆるゆると進むことにしたのであった。
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