4.喜井谷の獅子

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4.喜井谷の獅子

 4 喜井谷の獅子 「遠乗りは如何であった。まだ桜は咲いてはおらなんだであろう」 「はい。しかしながら御領内の地形を知るには良い折にございました」 「勉強熱心じゃの。良いお子を持たれて、実に織田島殿が羨ましい」  1576年、春。岡崎城主・奥川将康(おくがわまさやす)は、34になったばかりではあるがその居住まいには城主としての威厳があった。小柄で、人好きのする丸顔ではあるが、目尻の垂れた優しげな目の奥は常に油断のない鋭さを含んでいた。 「しかしながら、国境はだいぶ賑やかになってきておる。如何に影伴がついておろうと、単身では最早動くまいぞ」 「はい。お言葉しかと」 「ま、気持ちはようわかる。儂とて、子供の頃に織田島家と稲川家にそれぞれ人質として預けられておったからな」 「聞き及んでございます」 「針の(むしろ)とは、よう言うたものじゃ……ん、そう来るか」  その双眸で碁盤を睨まれると、つい何か仕損じたかと身の震える思いがしながら、今日も澪丸(みおまる)改メ(あらため)織田島宗冬(おだじまむねふゆ)は将康と囲碁に興じていた。  宗冬の一手をしげしげと眺め、将康はつるりと額を撫で上げた。 「これは厳しい手だの、宗冬」 「昨日、御家老の柏原(かしわばら)様と殿の勝負を拝見しながら思い立ち、只今試してみましたが」 「これはしたり、儂の負けじゃ」  将康には、宗冬と変わらぬ年の息子がいるが、こうして碁の相手を務める事はない。生母が稲川頼将(いながわよりまさ)の異母妹・安佐(あさ)であるため、何かと駿河で過ごすことが多いのだという。  この本丸館の寝所からは庭の桜の古木を見ることができる。この城に来てから初めて見る満開の桜だが、あの桜を愛する葛は滝で再会して以来数日を経ても、まだ姿を見せない。 「遠江の国衆、喜井(きい)一族が我が方についたことで、稲川頼将めが国境に押し出してきておる。大きな戦には成り得まいが、喜井一族のこれまでの忍従に応えてやりたい。どうじゃ、行ってみるか」  戦に出てみるか、そう案に告げる将康に、宗冬は喜色も露わに頷き、頭を垂れた。 「北美濃を抑える織田島殿に助勢せねばならぬ、兵は千が良いところじゃぞ」 「稲川は相模との小競り合いも抱え、それほど大軍を差し向けてくるとは思えませぬ。喜井一族と合わせて二千にもなれば上々吉にございます」  将康は膝を打った。 「決まりじゃ。支度が整い次第出立せい」 「人質の我が身に兵をお預けくださること、誠に有り難く存じます」  声を詰まらせて謝意を述べる宗冬に、将康は深く頷いた。  私室に戻り、宗冬は自ら鎧を広げ、装束の支度に取り掛かった。  まだ真新しい桜威(さくらおどし)鎧兜(よろいかぶと)は、三条橋道実が奥川家入りする際に餞として送ってよこしたものであった。だが、酷薄(こくはく)な公家の当主がこのような気遣いをするはずもない。父が用意する事はまず考えられぬとしたら、思い当たるのは一人しかいないのだが、これを持参した碤三は頑としてその名を口にしようとはしなかった。  一度、奥川家の重臣たちの支度を手伝っただけで、誰から教わったわけでもない。記憶を頼りに支度を始めるが、やはり手際良くとはいかない。結い上げた元結を切るだけでも一苦労であった。  部屋中にばらばらに散らばるそれらを見つめ、宗冬は泣きたい思いで力なく座り込んでしまった。こんなことでは折角の機会を逸してしまう。 「さ、お立ちください。私にお任せを」  まさか、そんな事はあるはずないと、苦笑しながら庭に面した襖を振り返ると、そこに京風の艶やかな小袖に身を包んだ葛が、手をついて座していた。  途端に、それまで灰色でしかなかった部屋が色彩に溢れ、花の香りに包まれた。 「葛……」 「道実様からの添状がございます。表向きは守役・藤森市蔵としてお仕えいたしますが、奥向では市蔵の妹としてお身の回りのお世話を。拒まれても、私はここで働かなくてはなりませぬ故、お気を安く何なりとお命じくださりませ」  言葉は嫌味で意地悪ですらあるのだが、その甘やかに響く男声を聞き、宗冬は耐えきれずに泣いた。 「泣いている暇などございませぬぞ」 「……あのような事を申した故、もう来ぬと思うておった」 「あのくらいでいちいち滅入るほど、柔な私だとでも」  そう言いながらも手際よく宗冬に帷子を着せていき、瞬く間に見事な若武者を仕上げていった。 「湯漬けは召し上がりますか」  かなりの力仕事を終え、少し息を上げながらそう聞く葛に、宗冬は首を振った。 「そこに、座ってくれ」  畳床几に腰を下ろした宗冬は、自分のすぐ目の前を指して葛を促した。 「何でございましょう。私とて、支度がございます」  今だに口を尖らせるような言い方をする葛に、宗冬は静かに頭を下げた。 「すまぬ。許してくれ、この通りだ」 「何のことでございましょう。武将ともあろう方が腰元に頭を下げるなど」 「頼む、もうそのくらいにしてくれ。あの白糸の滝で、私は……本当はお前に会いたかった、ずっと会いたかったのだ。それなのに、あんな酷い事を言った。許せ」  そう切実に謝る宗冬の姿に、横を向いていた葛の口元が微かに崩れた。 「いえ、一瞬でもあなた様から離れてしまった私が悪いのです」  両目からポロポロと涙をこぼす宗冬を、葛は堪らずに抱きしめた。 「お辛うございましたね。ようここまで頑張って参られました。あとはお心安く、葛にお任せくだされ。もう二度と離れはいたしませぬ」 「うん、うん」 「13におなりでも、まだまだお子様でございますな」 「今は、良いのだ」 「左様でございますね」  クスッと笑い、宗冬が腕の中から上目遣いに葛を見上げた。何かを強請る時や言いにくいことを口にする時に見せる、殺傷力抜群の愛らしい表情である。その顔を見ると、憤りも迷いも何もかもどうでも良いくらいに蕩けてしまうのであった。 「本当は怒っておったろ」 「え、ええ、まぁ、それはちょっと……」 「やはりな。あれから何日も経っておるのに中々来ない故」 「私の方こそ、あなた様の大切なものを奪ってしまって……我ながら自制の効かぬことと、合わせる顔がなく……」  あ……と、宗冬が指先で自分の唇をなぞり、頰を赤らめた。 「葛はやはり……男、なのだな」 「ええ、まぁ」 「あんな風にされたら、女子はきっと誰でも、舞い上がってしまうのだろうな」 「若、どなたか、意中の女子でも」  探るように見据える葛に、宗冬は顔を赤らめて激しく首を振った。   この様子ではまだ誰とも契りを交わしていないのであろうと、子供のままの宗冬に少し安堵しつつ、葛は再び強く宗冬を抱きしめた。とはいえ、掌で包んだ宗冬の肩にはしっかりと筋肉がつき、若者らしい体格になりつつあった。 「碤三に叱られたよ。葛は多治見での戦で大怪我を負い、1年以上まともに動けなかったと。私の元に戻る為に、更に2年余り死ぬ思いで修行を重ねたと。自分のことばかり申して、本当に恥ずかしい。本当はね、久しぶりに会えた時、こうしてぎゅっと抱きしめて欲しかったのだ」 そういえば、会うなり叱ってしまったのだったと思い出し、葛は詫びながら宗冬の頰に自分の頰を寄せた。本当は、こうしたかったのだ、こうしたかったのは自分の方なのだと。 「よう、ここまでご辛抱なされました。ご立派です、ご立派でございます」  この体温は自分にとって何事にも代えがたいものだと、葛は改めて思い知ったのだった。  駿河と遠江の国境にほど近い山間に、喜井一族の領地があった。稲作には適さぬ土地ながら、君臣がよくまとまり、木材の加工・輸送、また染物などの工芸品などを港に収める事で利を上げていた。しかし常に稲川家の威光に振り回され、奥川家との間で際どい外交を続けて生き延びてきた。結果、稲川からの度重なる出陣要請に従っては前線に送り込まれ、一族に残されているのは女・子供、そして年寄ばかり。先だっての相模国への参陣でも見殺しにされるかのように当主・喜井直武(なおたけ)を始めとする一門を失い、跡を継いだ直獅郎(なおしろう)はとうとう稲川からの離反を決意したのであった。  岡崎城とは比ぶべくもない喜井家の城に入り、宗冬は広間で直獅郎(なおしろう)と対面を果たした。 「粗末な城で驚かれた事でございましょう」  柔らかな物腰で上座に座しているのは、どう見ても若き女性である。とはいえ、男物の直垂に身を包み、男のように胡座をかいて座っている。宗冬のすぐ後ろに控えている葛の方が、如何に黒装束の戦仕度とはいえ、余程所作も女らしい。  ただ、領内を案内されて驚いたことに、怪我人以外でまともに動ける男子が本当に見当たらない。槍衾やら鏃やら、戦支度をするのは女子供ばかりで、鎧らしきものを身につけて見回っているのは年寄りばかりである。  将康の命で従ってきた重臣・石川一貴(かずたか)は、呆れ顔で庭先に目を向けた。老兵が掛け声も勇ましく、槍の稽古をしていたのである。 「あれでは、のう」  これは味方に損害が出るは必定(ひつじょう)と、館に入る前に何度も耳打ちされた言葉であった。だが宗冬は意に介さず、直獅郎が広げた領内の絵図に見入っていた。 「麓のお寺には、僧兵が千人ほどおりますな。彼らを先鋒にするおつもりでございましょうが、折角の地の利、ギリギリまで奥深くに敵を攻め込ませ、このすり鉢状の丘で一気に叩きましょう。お持ちの鉄砲で」 「ほう、見抜いておられましたか」 「硝石の製法に通じておられる一族と承っております。稲川の狙いも元々はそこでございましょう」 「さて」 「交易でもなくば手に入らぬ硝石、どの大名も喉から手が出るほど欲しい筈。その硝石を、変わった製法で生み出せるとか」 「製法を所望ですか。援軍と引き換えに」  直獅郎の表情から笑みが消え、凄みすら感じる切れ長の目が背後を伺った。襖の向こうにはっきりと殺気が漲っている。返答によっては、襖を蹴破って躍り出てくる家来達に串刺しにさせるのであろう。宗冬の後ろに控える葛が、その殺気に反応して毛を逆立てる猫のように攻撃の態勢を取っている。あくまで静かな佇まいの下で。 「その事は今の状況に何ら関わりはございませぬ。それより、寺の僧兵は京から逃れてきた流れ者のようですが、訓練の程は」  さらりとかわした宗冬の返答に、直獅郎はまだ警戒を解く様子はない。真意を確かめるが如く、宗冬の表情から目を離さずにいる。 「元は、比叡山の強訴で鳴らした者達です。戦には慣れておる。和尚は私の叔父であり、皆、叔父を慕って付き従っている者達ばかり。士気も高い」 「それは良い。面白い戦いになりそうです」  宗冬がそう笑うと、直獅郎は整った顔を漸く綻ばせた。 「愉快じゃ。奥川殿がなぜ、年若い上に人質のあなたを寄越したか、得心がいきました。頭の固い古狸の如き武将では話にもならなかったでしょう」 「若輩者です。お指図を」  長い隊列がのろのろと街道を歩く様を、宗冬と葛は丘の上の大木の陰に身を屈めて見つめていた。 「小鼠をいたぶる虎のようじゃな」 「あの旗印は国境の国衆にございます。元はといえば喜井とも盟友関係。分断させて追い込むとは、意地汚うございますな」 「ところが、その小鼠は「獅子」ときている」 「直獅郎様にございますか。元はお名を獅尾(しお)姫様と申されるそうにございます」 「どちらにしても、獅子じゃな、あのお方は」 「ええ、並の男より男らしい」 「並の女より女らしい葛が褒めるとはな」 「まぁ、存じませぬ」  さして照れる風でもなく軽口を叩き、葛は筒眼鏡を宗冬に手渡した。 「今は藤森市蔵にござります、お間違いなく」 「おお、そうであったの。男の姿でも葛は実に美しい。葛のような男になりたい」 「紅を差すような男なんて、お勧めしませんよ……若、戯言はその辺りで」  街道に、一際派手に飾り立てた馬に乗った武将が現れた。これ見よがしに従者を従え、仰々しく胸を反らせて馬上から辺りを睥睨している。 「御大将のご登場ですな。稲川照素(てるもと)殿とか」 「稲川頼将の嫡男か」 「いえ、長男ではありますが妾腹の子。嫡子は四男の頼素(よりもと)と申す20歳にもならぬ青二才とか。あの照素は子供の頃から頼将の戦に付き従っております故、油断はなりませぬ」  そう解説をしつつ、葛は腰の刀を背に背負い、組み紐でしっかりと結びつけた。 「頼将の正室は四津寺(よつじ)家の出。その息子頼素は、三条橋家には及ばぬまでも歴とした公家の血筋故、阿呆といえども嫡子に据えられておるのだそうで」 「阿呆阿呆と、何やら私が言われているような気がするぞ」 「ならば、しっかりお働きなされませ」  それだけ言い捨て、葛は算段の通りに街道へ向けて崖を下っていった。  葛の後を、木々の合間を縫うように軽装備の徒の一団が追いかけていった。葛率いる藤森衆と、喜井一族の僧兵の一部である。身の軽い者達で形成された一団は、あっと言う間に街道手前まで駆け下り、宗冬の合図を待つべく身を伏せた。 「かかれ」  宗冬が采配を振るうと、予め積まれてあった巨岩や丸太を抑えていた綱が一斉に断ち切られ、ガラガラと地響きを立てて街道めがけて崩れ落ちていった。  細長い隊列で進んでいた稲川軍は瞬く間に寸断され、足軽隊などは直ぐに散り散りになって混乱の様相を見せたが、流石に騎馬隊は隊列を維持するべく檄が飛んでいた。 「伏兵じゃ! 」  しかし孤立した騎馬隊に横腹から葛達伏兵が飛びかかり、次々と馬上の武将を蹴り飛ばして馬を奪い、散々に徒部隊を荒らし回った。馬に踏み潰された死体から弾け飛ぶ血潮で、街道は瞬に朱に染まった。  やがて馬を奪った一団は喜井谷へと逃げ込む。無勢と見て立て直した本隊が、我先にとその一団を追いかけて喜井谷へと入り込んできた。  宗冬は奥川の手勢と喜井谷の畑地へと移動した。喜井家菩提寺でもある光宗寺の寺領を脇目になだらかな坂道を二里ほど進むと、そこから畑地、丘陵地へと道が急峻になっていく。畑地へと回れば幾分なだらかであり、その先に谷の衆が暮らしを営む里が拓けている。  葛率いる一団は真っ直ぐに窪地を目指した。途中畑地へ折れる分かれ道の入り口は木々で隠した。里人の手による稚拙な策ではあるが、葛達を血眼で追いかける稲川軍は気付く様子もなくまっしぐらに窪地への急峻な坂道を掛けていった。 「流石に本隊は来ませぬな」  照素を大将とする本隊は流石に慎重に、まずは光宗寺(こうそうじ)の攻略に取り掛かっていた。留守部隊である僧兵と矢の応酬を繰り広げ、粗方尽きたと見るや、雪崩を打って光宗寺の境内に雪崩れ込んだ。  しかし既に寺は(もぬけ)(から)で、次の瞬間、本堂、食堂、各所に積まれた藁めがけて火矢が放たれた。折からの乾燥で瞬く間に火は広がり、逃げようにも山門を外側から閉じられてしまい、寺に入り込んだ稲川兵は殆どが火に焼かれたか煙に巻かれたかして絶命した。  手薄になった本隊に、宗冬が奥川の手勢と共に突っ込んだ。この時若干二十七歳と若い大将・稲川照素は、流石に馬上で反りのある薙刀を振り回して応戦するものの、既に兵力の殆どを分散してしまった後だけに後詰となる兵がおらず、じりじりと追い詰められていった。 「織田島宗近が嫡男・宗冬、参る」 「ほう、貴様が宗冬か……ふん、人質風情が」  止める石川の手を振り払い、宗冬は刀を抜いて照素と対峙した。 「人質と女子供に討ち取られるのです、さぞ悔しかろう」 「何と」  ぎりぎりと歯を食いしばる照素に向け、宗冬が愛馬・蒼風の腹を蹴った。前足立ちに嘶くと、馬は宗冬を乗せて照素へと突進した。照素が跨る黒毛馬は、豪奢な鞍に俊敏な反応を阻まれたか、ただ足を踏み鳴らすだけで走り出す素振りも見せなかった。 「お覚悟! 」  頰を掠める薙刀の刃先に構わず、照素の喉笛だけを見据えて宗冬は刀を突き出した。  一撃目はただ首の皮一枚断ったに過ぎなかった。だが、切っ先にはべっとりと血脂が付いている。一旦間合いを取って馬を止め、馬首を巡らせつつ太腿で血脂を拭った。 「小童めが」  鮮血を滾らせながら、照素が薙刀を捨て、刀を抜いた。身の軽い宗冬に大振りの一撃を躱されて懐に入られることよりも、確実に組み合って打ち取る算段をしたのである。体格なら宗冬に利はない。  だが、照素の馬は最早戦う意思を失っている。火に怯え、主人の手綱捌きへの反応が遅い。宗冬の蒼風などはまだ鼻息を鳴らして突進する気概を見せている。  しっかりと、刀を握り直し、宗冬は掛け声と共に愛馬を急き立てた。  組み敷こうと身を乗り出してくる照素のその左脇の下に刀を突き立て、宗冬は体を屈めてすり抜けた。馬上で柔らかくしなる宗冬の体を掴めずに、照素の体は馬上から放り出されるようにして地面に叩きつけられた。主人を失った馬はただおろおろとその場を回り続けるばかりである。 「首級、頂戴つかまつる」  左脇に刀を突き立てたまま、照素は覆いかぶさってくる石川一貴を睨みつけた。  宗冬が馬首を巡らせている間に、石川は手際よく首を斬った。 「石川殿」 「これはあなた様のお手柄にござる。ただ、無為に苦しませることなく早々に引導を渡すのもまた、武士の作法にござる」  愛馬の背から滑り落ち、宗冬は首を失った照素の遺体のそばに膝を折った。 「光宗寺の僧に、(ねんご)ろに(とむろ)うてもらうが良い」  そして、物言わぬ遺体に、静かに手を合わせたのであった。  窪地に誘い込まれた稲川軍は、ぐるりと囲む崖の上から喜井一族による一斉射撃によって殲滅し、残党も光宗寺の僧兵や藤森衆の働きで程なく潰えた。  鉄砲衆を自ら指揮していた喜井直獅郎は、すぐさま遺体を荼毘に付して懇ろに弔うよう指示をし、馬に跨った。葛が慌てて駆け寄り、その轡を取った。 「直獅郎様、どちらへ」 「里の様子が気になる。照素の首級(みしるし)は、そちらで良きようになされよ」  それだけ言うと、直獅郎は馬を急かせて畑地へと消えていってしまった。  石川一貴に将康の室・安佐への言伝を依頼して駿河へ向かわせ、宗冬も直獅郎を追いかけて里へと向かった。直獅郎の近習の案内で畑地へ急ぐと、既に葛が藤森衆を総動員して剣戟を交わしていた。相手は大名の兵といった装備ではなく、どう見ても地侍の類である。 「若」  宗冬に気付いた葛が、目の前の敵を鮮やかに切り捨てて駆け寄ってきた。 「これは何とした」 「喜井家と隣り合う国衆・阿達時元の一党にございます。やつらは街道とは別の進入路をよく知っていたようで、本隊の旗色が悪いと見るや、間道を使って山間から回り込んだ様子。とはいえ流石に直獅郎様、備えをされていた様子にて、間も無く収まります」  しかし、丹精込めて育てた畑が、ひどく荒らされてしまっている。ここの収穫が谷の者達の命となろうに、これでは夏を越す備えもできまい。 「阿達時元(あだちときもと)をとらえたぞ!」   家が並ぶ集落の方からの叫び声に、葛は蒼風の轡を取って馬首を巡らせた。 「先に行く」  宗冬は蒼風を急き立てつつも、慎重に畦道を進んだ。  所々に死体が転がっている。泥にまみれたそれらは、しかしながら略奪者のものであり、里の者と思しき死体はそのうち数体にも満たなかった。  普段であれば肥と緑の匂いに包まれているであろう夕日の下、充満するのは血の匂いばかりである。  一際大きな茅葺き屋根の農家の庭先、里人が囲い込む中に縄目の時元が座していた。そのふてぶてしい髭面と向かい合うようにして、直獅郎がどこかのんびりと農家の縁側に腰を下ろしていた。その奥の座敷には、予め収穫しておいたであろう葉物や根菜がびっしりと藁敷きの上に並べられていた。 「殺せ! 」 「そう申されてもな。色々と話していただかなくてはならぬ事があります故」  喚き散らす時元にそう答えた直獅郎は、手近にあった人参をかぶりと口にした。 「おお、甘くできておる。良い出来じゃの、甚右衛門」  すると、人だかりの中にいた白髪の老人がにっこり笑って頷いた。 「そうじゃろて。姫様がお手づから育てた人参じゃ。戦の前に収穫しておいて良かったわい。それとのう」  好々爺とした老人の目が鋭く光ると、背後から縄目の中年男が二人突き出された。 「どんな他所者も受け入れるのが姫様の良いところじゃが、時々こういう輩がおってな。こやつらが、時元を手引きしたんじゃ」 「ち、ちがう、俺たちはただの食い詰めで……」 「食い詰めモンが、博打に大金賭けるか阿呆。お前のやっとることなど、筒抜けじゃ」  蒼風から降りて輪の中に入っていった宗冬は、直獅郎の国造り、自治の妙味に感心していた。決して圧する事なく、土地の者の心をしっかりとつなぐ事で連帯感を生み、異質なものをあぶり出す。かといって流れてきた者達を排除したり差別するのではない。ただ、ここの暮らしに馴染まない者もしくは馴染もうとしない者が、まずもって異質なのだ。 「宗冬殿、市蔵殿にはお助けいただきました」 「何のことがございましょう。しかしこの者の仕置はいかが致されます」 「そうよのう……」  直獅郎は立ち上がり、縄目の時元に顔を近づけた。 「稲川に尻尾を振る国衆(くにしゅう)はまだいるが、そろそろこんな埒も無い小競り合いはやめにしたい。どうじゃな時元殿、我ら国衆が一つにまとまれば相当の力となる。それが恐ろしゅうて、稲川はさんざんに我らを(はか)って分断いたすのじゃ。翻弄されるまま命を落とすなど、口惜しいと思わぬか」 「うるさいっ、女のくせに偉そうに」 「おやまぁ、口を開けば誰もがそれを申す」  直獅郎はおどけるが、宗冬は込み上がってくるものを抑えられず、刀を抜くなり時元の首筋に刃を当てた。 「うつけめ! この直獅郎様は見事な御差配にて民を守っておられる。このように卓抜した手腕からは学ぶことばかりじゃ。女、女と蔑む前に、己の不能を恥じ、人としての不明を恥じよ。女と侮っては、今にそこもとの地縁はこの世から消滅すると知れ」  怒りを滾らせる宗冬の手を、葛がそっと両手で包み込み刀を降ろさせた。 「もう、ようございましょう。直獅郎様にお任せを」  肩をかすかに震わせる宗冬を庇いつつ、葛はそっと直獅郎に黙礼をして人だかりから去った。  不機嫌なまま食事もろくに口にせぬ宗冬を何とか休ませ、葛は館の中庭を桜色に染める大木を見上げていた。 「休まれたか」  優しげな声に振り向くと、女物の小袖に着替えた直獅郎が徳利と盃を手に立っていた。 「ようやくに。疲れに逆らえずに休まれたとはいえ、おそらく夜半には目が覚めてしまわれることでしょう」 「大手柄であった故な。宗冬殿は、人を殺めたは初めてか」 「ええ。初陣ではお飾り同然のようでしたから、おそらく照素殿が初めてかと」 「それは眠れぬであろう」 「直獅郎様は。貴女様がおらぬでは、宴が盛り上がらぬのでは」 「男ばかりの宴は苦手でのう。しかも阿達殿が加わりここぞとばかりに乱痴気騒ぎをしておるわ」  直獅郎の背後、奥座敷の広間から男たちのどよめきが地鳴りのように響いてきた。 「男の振りはできても、男の飲み方はできぬ」  そう言うと、直獅郎は縁台に腰を下ろし、盃に酒を注いで葛を手招いた。 「私は人質である主人の、その家人にございます。到底……」 「誰も見てはおらぬ」  さらさらと、僅かに残っていた花弁までもが大木から舞い落ちてくる。葉桜になりかけているその木を一度振り仰ぎ、葛は地面を埋め尽くす花弁の上を爪先でそっと歩いた。そんな仕草は、家人の姿をしていても可憐ですらあり、直獅郎はそんな葛の様子を楽しそうに見つめていた。 「頂戴仕る」  隣に座した葛と盃を翳し合い、二人は同時に酒を飲んだ。無意識に、葛が親指で盃の縁をなぞり、袂の中の手巾で指を拭った。淀みのない美しい所作である。 「普段、紅をつけ慣れておるのだな」  しまったと、焦りを隠すように葛が咳払いをした。 「習い性とは恐ろしいな。侍の形をしていても、女の仕草が顔を出しておる。と言うても、その実、女というわけでもなさそうだな」 「お戯れを」 「女の私の目は欺けぬ。石川殿に聞いたが、宗冬の側には常に、美しい腰元が従っておるそうな。今は守役と称してそのようにしておるが、女の仕草の方が余程違和感がない」  空になった直獅郎の盃に酒を注ぎ、葛は笑った。 「敵いませぬな、獅尾(しお)姫様には」 「よう申すわ」  一気に飲み干し、直獅郎は豪快に笑った。 「そなたを見ておると、私がどれほど粗野なのかを思い知らされるようじゃ。粗野なら粗野なりに、独り身でこの家を守れれば良いのだが」 「そうも参りませぬか」 「うむ。私がこのような仕儀となるだけに、男の、次の世代の跡目がおらぬのじゃ」 「稲川頼将の度重なる出征の要請にて、主だった男子が戦死なされたと承りました」 「唯一残っておった私の従兄などは、(だま)し討ちにあった」  空の盃に、葛が再び酒を注いだ。徳利を傾ける指先が、何とも艶かしい。 「好いておられましたか」  伏し目がちに問いかける葛に、直獅郎は一瞬だけ口元を固く結んだ。 「さあな、もう覚えておらぬ」  豪快に笑う直獅郎だが、ふと、口を閉ざして苦々しげに酒を煽った。 「お辛うございましたな。それだけに貴方様の胆力は、並の男では太刀打ちできますまい」 「それが時々、ひどく疲れるのだ。男のふりをして命のやり取りをすることにも、谷の皆の命を預かって阿達殿のような連中と駆け引きをするのも」 「私に言わせれば、女の方がよほど強いと思いますが」 「何」 「男のふりなどする必要はございますまい。獅尾姫様のまま、谷を率いてゆけば良いのです。好いた男ができたら、子を成せば良い。そうやって代を継いで行かれれば良い。男を演じようと考えるから、疲れるのでございます」  直獅郎は、ぽっかりと口を開けたまま、そう言い切る葛の横顔を見つめていた。男の声で紡がれる言葉ながら、まるで美しい姉に言われているような錯覚を覚えたのだ。 「市蔵は、女を演じてはおらぬのだな」 「え……あ、まぁ、そうなりますか」 「なんじゃ、煮え切らぬな」 「分からぬのでございます。どちらも偽りない自分のようでもあり、偽りの自分のようでもあり……母がつけた名は葛と申します。腰元の時は、そのように名乗っております」 「葛、か。好いた男はおるのか」  葛が無言のまま桜を見上げた。その桜の花吹雪の中には誰がいるのかと覗こうとした直獅郎だが、葛が口元に手を当てて微笑したその仕草の美しさに気を削がれてしまった。 「普通、好いた女子は、ではありませぬか」 「それもそうだが、その姿で女を口説くより、女の姿で男を好いている方がしっくりするような気がしたのだ」  とうとう葛は声を上げて笑った。あくまで美しく。 「言い寄る男は、たんとおりますよ」 「ほら、やはり」 「しかしながら、今は宗冬様をお守りすることが何より大事……男に(うつつ)を抜かしている時ではございませぬ」 「ほら、やっぱり! 現を抜かす相手は、男、なのだろう」  答えを得たりと直獅郎が笑うと、葛が思わせぶりに直獅郎へ視線を流して見せた。色めく目尻の美しさにぞくりと体の芯が震えるような感覚を覚え、直獅郎は思わず蕩けたような溜息をついてしまった。 「男でも女でも、惚れさせてこその、玄人でございますから」  侍の姿のまま女声で答え、葛が柔らかくしなを作って微笑んだ。その余りの婀娜っぽさに、直獅郎は見惚れたまま盃を取り落としてしまった。 「このくらいはお出来になられた方が、何かと便利というものでございますよ」  御免くださりませ、と柔らかく腰をかがめ、葛が辞儀をした。 「何とも奥深いことじゃ……」  男にしては線の細い後ろ姿を見送りつつ、直獅郎は一人呟いた。                                            
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