星詠みの詩・断片

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 山間に広がる村の中、牧畜と農業、糸紬で成り立つささやかな世界。  小さなイトツムギたちに糸を吐かせ、その糸を紡いでいく。その作業は気が遠くなるようなものだが、その糸で作った織物はかなりの高値で売れる。  いつの頃からか、その生き物が紡ぎ出す糸が織物の素材としてだけではなく、他の利用価値があるのでは、と考えられ、研究されるようになった。  だが、その虫と糸には毒がある。この村以外の人間が触れれば、皮膚は焼けただれたようになり、その毒はやがて体内にゆっくりと侵入し、内臓を破壊していく。  糸はお湯で煮立てれば毒はなくなるので、使用はできる。だが、茹でる前の糸の美しさに比べればはるかに劣る。    繭を作るため、白く小さな生き物は糸を宙に繰り出していく様子は神秘的だった。  音もなく静かに行われる行為は伝承の歌の中の女神マンダリーナを思い出させた。  世界の始まりは混沌が渦巻いていたが、やがて光と闇、それがやがて陽の神と月の女神たちに分かれ、結ばれる。そして神々を生み出していった。  そこにはまだ”時”は存在せず、"言葉”もまた存在しなかった。  そして生まれたマンダリーナと舞の女神サリュース。そして音楽の神アルガーン。  マンダリーナが紡ぐ糸はやがて宇宙を綴り、作り出していく。  そして時が、やがて言葉が生まれる。  キアラには音楽も舞もできないが、糸を紡ぎ、織物を作り出すことはできる。  頭の中でどんな絵柄にするか考える時が一番心が弾む。  それを実際に形にしていくか。  その瞬間が最も力が漲るよう。  指先から伝わるしなやかな感触、ひそやかに温かみを感じる。  そこにはリズムがある。そう感じる。    心の中にぼんやりと浮かんだイメージ。  そこには見たこともない風景や人々。  長身でほっそりとした、銀髪を長く垂らした人々。  その姿は美しいと感じるのだが、皆似ている。  人々は鏡面のような壁に囲まれ、佇んでいる。    これは何だろう。  そのうち、一人がふと顔を上げた。男とも女ともつかないが、皆似たような印象だ。  まぶたがゆっくりと開かれていく。  銀色のまつげは、美しいというより老人のような違和感を与えている。  そのまつげの間から覗く瞳。  見る前から軽い戦慄を覚えた。  こわい。見てはだめ。  そんな考えで頭がいっぱいになるが、見ずにはいられない。  その瞳を見た、と思った瞬間。  目の前が真っ赤に染まった。唇から我知らず、悲鳴が洩れる。    ほおに何かあたる。 ほんの少し冷たい感触。  イトツムギの一匹が頬のあたりをつつくように触れていた。  キアラは床に倒れていた。  織物を織る道具が散らばっている。  窓から風がただそよそよと吹いていた。    起き上がったキアラはさきほどの感覚を思い出す。  あれは何だろう。  美しいような、おそろしいような。  手元のイトツムギの感触を思い出し、手のひらの小さな生き物を乗せた。  おまえが見せたものなの? 夢? それとも?  イトツムギの白い頭が持ち上がり、キアラに何かを伝えようとしているかのように見えた。 *****  イトツムギの生糸は村の者しか扱えない。  なぜならその糸は毒を含んでいる。  防護用の手袋をしても、毒に侵されてしまう。  触れただけで心を絡めとられ、やがて人ならざるものに変えられるとさえ言う。  だが、それはあくまでも噂に過ぎない。  イトツムギ本体は無毒で、むしろ村人にとって心を穏やかにする存在だった。  ただ、その生糸を取り出すだけでなく、保護すべき生き物であった。  その生糸には、不思議な力が宿っているという噂があった。  古代の神々の言葉を伝えるのだと。  それがどういう意味なのか、わからない。    キアラは星を見上げた。  夏とは言え、この山間部では夜は冷える。肌寒いほどに。  季節ごとに位置と見える星の連なりは神々の物語が紡がれている。  と、同時に地上の人間たちの運命を司る星たちでもあった。  遥か古代、あの星たちが彩る空の彼方から、神々は星舟で降り立った。  その星舟の遺跡の一つが、この村のむこう、山々を越えた奥地にあるのだ。  山の中に隠されるようにして埋もれていた星舟。  現在、その内部に描かれていた文字や絵を解読している。  今はまだその途中だが、どうやらそれは神々、あるいは神に似た者たちが乗っていたと思しき痕跡があるのだ。  そこには翼持つ者たちの壁画が舟の内部に描き込まれていた。  その遺跡を調査し、星舟を再度動かすことができれば、神々の国に行くことができるかもしれない。  女王の考えは、人々を熱狂させた。  その調査のために優秀な人材を集めることになっていた。老若男女問わずに。  遺跡調査には様々な職業があるが、星詠みはその一つだ。  すなわち天体を観測し、星々の動きの規則を作り出す。  あの光輝く星たちが神の国だったとしたら……その高揚感はキアラの心をいつも躍らせた。  この小さな村を離れ、王都に行きたい。  キアラはそう考えながら、黒いビロードを天蓋の空のきらめく星を眺めていた――。 (終わり)
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!