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山間に広がる村の中、牧畜と農業、糸紬で成り立つささやかな世界。
小さなイトツムギたちに糸を吐かせ、その糸を紡いでいく。その作業は気が遠くなるようなものだが、その糸で作った織物はかなりの高値で売れる。
いつの頃からか、その生き物が紡ぎ出す糸が織物の素材としてだけではなく、他の利用価値があるのでは、と考えられ、研究されるようになった。
だが、その虫と糸には毒がある。この村以外の人間が触れれば、皮膚は焼けただれたようになり、その毒はやがて体内にゆっくりと侵入し、内臓を破壊していく。
糸はお湯で煮立てれば毒はなくなるので、使用はできる。だが、茹でる前の糸の美しさに比べればはるかに劣る。
繭を作るため、白く小さな生き物は糸を宙に繰り出していく様子は神秘的だった。
音もなく静かに行われる行為は伝承の歌の中の女神マンダリーナを思い出させた。
世界の始まりは混沌が渦巻いていたが、やがて光と闇、それがやがて陽の神と月の女神たちに分かれ、結ばれる。そして神々を生み出していった。
そこにはまだ”時”は存在せず、"言葉”もまた存在しなかった。
そして生まれたマンダリーナと舞の女神サリュース。そして音楽の神アルガーン。
マンダリーナが紡ぐ糸はやがて宇宙を綴り、作り出していく。
そして時が、やがて言葉が生まれる。
キアラには音楽も舞もできないが、糸を紡ぎ、織物を作り出すことはできる。
頭の中でどんな絵柄にするか考える時が一番心が弾む。
それを実際に形にしていくか。
その瞬間が最も力が漲るよう。
指先から伝わるしなやかな感触、ひそやかに温かみを感じる。
そこにはリズムがある。そう感じる。
心の中にぼんやりと浮かんだイメージ。
そこには見たこともない風景や人々。
長身でほっそりとした、銀髪を長く垂らした人々。
その姿は美しいと感じるのだが、皆似ている。
人々は鏡面のような壁に囲まれ、佇んでいる。
これは何だろう。
そのうち、一人がふと顔を上げた。男とも女ともつかないが、皆似たような印象だ。
まぶたがゆっくりと開かれていく。
銀色のまつげは、美しいというより老人のような違和感を与えている。
そのまつげの間から覗く瞳。
見る前から軽い戦慄を覚えた。
こわい。見てはだめ。
そんな考えで頭がいっぱいになるが、見ずにはいられない。
その瞳を見た、と思った瞬間。
目の前が真っ赤に染まった。唇から我知らず、悲鳴が洩れる。
ほおに何かあたる。
ほんの少し冷たい感触。
イトツムギの一匹が頬のあたりをつつくように触れていた。
キアラは床に倒れていた。
織物を織る道具が散らばっている。
窓から風がただそよそよと吹いていた。
起き上がったキアラはさきほどの感覚を思い出す。
あれは何だろう。
美しいような、おそろしいような。
手元のイトツムギの感触を思い出し、手のひらの小さな生き物を乗せた。
おまえが見せたものなの? 夢? それとも?
イトツムギの白い頭が持ち上がり、キアラに何かを伝えようとしているかのように見えた。
*****
イトツムギの生糸は村の者しか扱えない。
なぜならその糸は毒を含んでいる。
防護用の手袋をしても、毒に侵されてしまう。
触れただけで心を絡めとられ、やがて人ならざるものに変えられるとさえ言う。
だが、それはあくまでも噂に過ぎない。
イトツムギ本体は無毒で、むしろ村人にとって心を穏やかにする存在だった。
ただ、その生糸を取り出すだけでなく、保護すべき生き物であった。
その生糸には、不思議な力が宿っているという噂があった。
古代の神々の言葉を伝えるのだと。
それがどういう意味なのか、わからない。
キアラは星を見上げた。
夏とは言え、この山間部では夜は冷える。肌寒いほどに。
季節ごとに位置と見える星の連なりは神々の物語が紡がれている。
と、同時に地上の人間たちの運命を司る星たちでもあった。
遥か古代、あの星たちが彩る空の彼方から、神々は星舟で降り立った。
その星舟の遺跡の一つが、この村のむこう、山々を越えた奥地にあるのだ。
山の中に隠されるようにして埋もれていた星舟。
現在、その内部に描かれていた文字や絵を解読している。
今はまだその途中だが、どうやらそれは神々、あるいは神に似た者たちが乗っていたと思しき痕跡があるのだ。
そこには翼持つ者たちの壁画が舟の内部に描き込まれていた。
その遺跡を調査し、星舟を再度動かすことができれば、神々の国に行くことができるかもしれない。
女王の考えは、人々を熱狂させた。
その調査のために優秀な人材を集めることになっていた。老若男女問わずに。
遺跡調査には様々な職業があるが、星詠みはその一つだ。
すなわち天体を観測し、星々の動きの規則を作り出す。
あの光輝く星たちが神の国だったとしたら……その高揚感はキアラの心をいつも躍らせた。
この小さな村を離れ、王都に行きたい。
キアラはそう考えながら、黒いビロードを天蓋の空のきらめく星を眺めていた――。
(終わり)
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