後編

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後編

 そろそろ成仏しましょうよ仲村さん、遅れて良いことなんて何もありませんよ。  そんな声が付きまとう様になり、仲村の苛立ちを誘う。2度3度ならば良いが、事あるごとに聞かされれば、誰でも不機嫌になるというものだ。 「しつこいぞお前! オレはまだ死ねねぇと言っただろ!」 「でもねぇ、もう死後2日目ですよ。各方面で待たせちゃってんですけど」 「それは悪いと思ってるよ。だから書いてやったろ、オレのサイン。お前の書きにくい服にデカデカと」 「エッヘッヘ。実は僕、仲村さんの大ファンでして。家族コントとかホント好きだったんですよ」 「そんなオレから書いてやったんだ。ちょっとくらいワガママさせろ」 「そうは言いますけど、目処が立たないんですもん。無茶ですよ、死んだ人が生者にギャグを披露するなんて。下手したら百年かけても叶わないですって」 「知るかよ。オレはずっと前人未到の人だったんだ。じゃあ、その無茶とやらも通してやるよ」 「こんな勝手な事してたら、保安部が飛んで来ちゃいますよ。始末書に減俸とか、マジ勘弁なんすけどぉ……」  死神が泣き笑いの顔で懇願するものの、仲村は取り合わない。せめて一度、仮にすべったとしても構わないから、渾身のギャグを知らしめたい。そして願わくば、笑って見送って欲しい。  だが、熱意だけでは生者の世界に干渉は出来ない。心霊現象に期待したのだが、どれだけカメラを覗き込もうとも、映る事は一度として無かった。 「チクショウ、全然ダメだな」 「ね、ね、ね? だから言ったでしょう。ここはもう、潔く諦めて成仏しちゃいましょ。仲村さんには、天界バラエティからのオファーが沢山来てて、リハが目前に……」 「なぁ死神よ。こういう事は出来ねぇのかい?」  粘りに粘る仲村には妙案があった。それを聞いた死神は反射的に拒絶するのだが、可能である事は、間もなく看破されてしまう。願いが叶った暁には成仏するという条件により、実行に移されるのだった。  ただ今、深夜すぎ。仲村は、高藤の枕元に立ち尽くした。隣で死神が「みんなには内緒で、特に保安部!」と、繰り返し聞かされる言葉を聞き流しては、奇跡の力を行使した。  高藤の夢の中に登場したのである。 「おいお前、仲村か? 仲村だよな!」  霧の立ち込める中、高藤が駆け寄ってくる。そうして近づくのは、笑みと涙の入り交じる、見飽きたと言っても良い相方の顔だ。  仲村はそんな高藤の額を、力いっぱいに叩いた。 「このバカ野郎! 何を泣いてやがんだ!」 「いってぇな! そりゃ泣くだろうよ、死んでんだぞ!?」 「お前よぉ、死んだ事もネタにしてこその芸人だろうがよ。それをメソメソしやがって。そんなんだから22年前の大事なコントでも死ぬ程スベるんじゃねぇか」   「またその話か! ネチネチしやがって、どっちがバカ野郎だオイ!」 「痛ぇな、お前が叩くんじゃねぇよ!」 「うるせぇ! 死んで少しは大人しくなったかと思えば、相変わらず嫌な野郎だな! 昔の失敗を持ち出すあたり変わんねぇ! 勝手に先を行っちまうのもな!」 「いくらでも思い出話をブチまけてやるよ。こちとら50年相方やってんだぞ、オメェのブサイクな嫁より長ぇんだ!」 「嫁さんを悪く言うな、ぶっ飛ばすぞ!」 「やるってのかオウ!」  それからは殴り合いだ。拳を繰り出しては叩きつける事を繰り返す。夢の中でも、不思議と痛覚はあり、それが実感を与えてくれた。死によって分かたれた2人が、今ばかりは向き合えている事に。 「ハァ、ハァ、もう止めようぜ。夢の中でもケンカとか、馬鹿馬鹿しい……」 「賛成だ。死んでからも殴り合いってよぉ。笑い話にもならねぇ。それより死んでも痛いって、どんな理屈だコレ」 「それはそうと、仲村。どうして夢に現れたんだ。お別れでも言いに来たのか?」 「そうだった。あのなぁ高藤。オレのギャグをテレビでやれ。死ぬ直前に閃いた新作のやつ」 「あァ!? オレはツッコミだぞ? やれと言われても出来ねぇっての!」 「頼むよ、お前が頼りなんだって。このまま皆に泣かれたんじゃ成仏できねぇんだ。笑ってくれんのが何よりの供養なんだよ」 「まぁ、それは分かるけどよ……」 「じゃあやろう。そうと決まれば練習だ、練習!」  既定路線であったかのように、仲村の動きは早かった。高藤から適度な距離をとり、指導を始める。 「良いか、前フリから大事だぞ。肩を落としてショボくれて……」 「こんな感じか?」 「そんで、すかさず両手を添えて、ポィイーーンって言う。顔もしっかり作って」 「ぽ、ぽぃいん?」 「恥を捨てろ恥を。真剣にやんなきゃ誰も笑わねぇぞ」 「ぽぃいーーん」 「まだ甘い。顔がゆるい。やり直し」  指導は執拗だった。さすがに伝説級の芸人だ、微塵の妥協も許さない。そのため、たった1つの動作の為に、何時間もの時をかけた。 「オレもそろそろ辛いな……ってポィイーーン!」 「ううん、いまいち。もう一回」 「オレもそろそろ辛いな……ってポィイーーン!!」 「そう、それ! もう一回やっとこう」 「オレもそろそろ辛いなぁ……ってポィイーーン!」 「あぁ間が長い! 一個前のやつが良かった!」  練習は繰り返し延々と続いた。  しかし時間は無限ではない。2人を包む霧が、鮮やかな色味を帯び始める。とうとう夜明けを迎え、夢から覚める時が訪れたのだ。 「仕方ねぇ時間切れだ。後は頼むぞ、高藤!」  仲村は強制的に追い出され、現実の世界へと舞い戻った。彼にとって最早珍しくもない、宙にフワリと浮遊した状態だ。  時を同じくして、高藤がベッドで身を起こすのも見えた。首を何度もひねる姿に不安を覚えるが、仲村は信じるしかない。相方に、焦がれるほどの熱い願いが、しっかり届いただろう事を。  それから迎えた昼。生放送のワイドショーに高藤は出演した。観覧席は満員御礼。しかし、やはりというか、空気は重たい。今日も今日とて、偉大なるコメディアンの死を取り扱うからだ。  日本はまだまだ、仲村の喪失感に苦しんでいた。 「本日のコメンテイターには、高藤さんをお招きしています。昨日からお忙しいと思いますが、よろしくお願いします」  そんな言葉から始まるワイドショー。明瞭な口調が、場の空気を引き締めてゆく。 「高藤さん。今もお辛いだろうなとは察して余るのですが、率直なお気持ちを聞かせてもらえたらと」  司会が沈鬱な顔で告げた。スタジオも、中継を見守るお茶の間も、一様に重たい。唯一騒がしいのは、宙空で見守る仲村くらいである。  仲村は、早くもチャンスだ、と思う。冒頭でガツンと強く打ち出せば、後々楽だ。1時間枠は和やかなものになり、そして、それこそが自分にとっての追悼だ。祈り半分で成り行きを見守るのだが。 「いえね、私らはもう歳じゃないですか。いつお呼ばれが来てもおかしくないな、とは思ってます。でもねぇ、やっぱり心の準備ってもんが要りますよ」 「おい高藤、真面目かお前は。そこでギャグ、昨日教えてやったやつ、ドカーーンとかませ!」 「不思議なもんでね。隣を見たら、仲村が座ってるんじゃないかなって、感じたりします。アイツはテレビが大好きでしたから。案外、まだスタジオん中をうろついてたり、するんじゃないかなぁって」 「居るよ、居るっつうのココに! それよりギャグをやれってんだよ!」  番組が進行していく最中、仲村はひっきりなしに抗議した。しかし、届かないものは届かない。  そんな徒労も同然の姿を見守る死神が、やんわりと声をかけた。 「仲村さん。やっぱり無理ですって。もう諦めて成仏しときましょうよ」 「何いってんだ。オレの目的が途中だろ。ひとっつも笑いなんか起きてねぇんだ」 「お気持ちは分かりますがねぇ。ホラ、最近の人間界は難しいと言うか、気を使うじゃないですか。何かあれば晒し者になって、すんごい批判を浴びてしまうんです」 「それってアレだろ。エス、エヌ……なんちゃら」 「そうですSNSです。昔とは違ってみんな徹頭徹尾、注意を払ってます。だから、こんな状況でギャグやるとか、不可能ですよマジで」 「その逆境を跳ね除けてこその芸人だろうがよ……」  仲村が恨みがましく睨む間も、番組は淀みなく進行していく。その最中でモニターには過去映像が、激しい劣化を晒しつつも映された。それはコントのワンシーン。ちょうど仲村と高藤が、不自然に硬直する所である。  高藤はコメントを求められると、目を細めながら答えた。 「これはね、私のセリフが飛んじゃったんです。ちょうど番組がゴールデン枠になったばかりで、大事な回だったんですがね」 「高藤さんにもそんな失敗があったのですね。やはり緊張なさっていた?」 「いえいえ。前日に仲村がね、前祝いだって言って連れ回すんですよ。それこそ朝まで。私はどちらかと言うと下戸なもんで。若い頃とは言え辛かったのを覚えてます」 「テメェこの野郎。遠回しにオレのせいにすんじゃねぇよ! つうかネタやれよオイ!」  仲村は聞こえない声で叫び、掠りもしない拳を振るう。もどかしさの極地であるが、干渉出来ないものは仕方がない。  やがて万策尽きて打ちのめされた頃、番組も終わりを迎えようとしていた。それは同時に、前人未到の挑戦の終わりを意味する。 「仲村さん、もうダメですタイムアップ。保安部に嗅ぎつけられたらしく、今こっちに向かってるみたいです」 「何だよそれ、やべぇのか?」 「ヤバイも何も大ピンチですよ! 不正がバレたらメッチャ叱られますし。それに僕の査定がドカンと下がります! だからホラ、人助けだと思って成仏しましょう。心をぉ安らかにぃ〜〜」 「安らかにぃ〜〜って出来るかよ! じゃあ分かった。せめて番組の最後まで見届けさせろ。そしたら成仏してみっから、な?」 「ンギギ……! じゃあ、本当にそこで終わりですよ、あと3分くらい!」  死神は七色に煌めくスマホを耳に当てて、ひたすら頭を下げた。彼にも事情というものがある。そして仲村も切実な願いを秘めている。  人知れず情念が渦巻く中、とうとう司会が締めの言葉を匂わせた。これがラストチャンスである事は、疑いようもない。 「それでは最後になりますが、高藤さん。何かコメントをいただければ幸いです」  ここでスタジオの人々、そしてお茶の間の視聴者が高藤に注目した。 「やっぱり、この歳になると覚悟しますよ。知り合いが1人、また1人と旅立って行くことを。仲村は百を越えても生きてそうだったのに、あんなに元気だったのに。人生ってのは残酷なもんですね」  前フリは重たく。それで良い、重要なのは緩急だ。仲村は届かぬ声をあげながら、成り行きを見守った。 「でもせめて、あと一度だけでも舞台に立ちたかった。アイツの笑いを、誰よりも傍で……見届けたかったのに……!」  仲村はふと、引き込まれるものを感じた。高藤に吸い寄せられる錯覚がある。これに逆らうべきではない。理屈ではなく直感で理解した。  不可思議な力に導かれるまま、高藤の背後に立った。その向こうには、固唾を飲んで見守る観客の姿が見える。すかさず、繰り返し練習したギャグの動きを試みた。目に見えない何かに操られている気分だ。しかし何故か、不快ではなかった。  すると次の瞬間、奇跡は起きた。仲村と高藤の動きが、寸分のズレもなく合致したのだ。指先から首の微細な角度までが完全一致だ。  それはすなわち、伝説級のギャグが披露された瞬間でもあった。 「オレもそろそろ辛いな……ってポィイーーン!!」  場の空気から逸脱したギャグ、そして不適切過ぎる笑顔。会場はすかさず凍りつき、時間が静止したかのように思われた。高藤が、脂汗を流したまま硬直するまで、大した時間は要らなかった。  しかし次の瞬間。観覧席からクスクスと笑いが込み上げる。そして笑い声は小波にも似た広がりを見せ、遂には大爆笑へと昇華した。それはスタジオだけに留まらない。全国のお茶の間までもが、笑いに包まれたのだ。  それは、笑い声が、暗く沈む日本の隅々にまで伝わった事を意味する。 「ありがとう高藤。お前はやっぱり、最高の相方だよ……!」  仲村は、この時になってようやく、涙が込み上げてきた。そして視界が白みだし、身体が宙に引っ張られる感触もあった。 「仲村さん、もういいですよね。成仏のお時間です。参りましょう」 「そうか。まぁ約束だしな、仕方ねぇさ」 「言っときますがね、向こうでも大忙しですよ。仲村さんには、天界バラエティやコントの出演依頼がワンサカ届いてますから」 「よく分かんねぇけど、退屈しないで助かるよ」 「ただし、ライバルは先輩ばっかですよ。それこそ天才の名をほしいままにした、大物芸人とか漫才師が数え切れないほど」 「そういう感じなのね。まぁ良いよ。むしろ、望むところだ!」  仲村はそこで視線を落とした。白く輝く地上は、ほとんどが視認できない。唯一見て取れたのは、照れ笑いを浮かべて頭を下げる、高藤の姿だけだ。 「あばよ相棒。あんまり急いで、オレの後を追うな。生きるのに飽きた頃、こっちに来い。そしたら……」  言葉に出せば一層自覚する。これが長い別れになる事実に。 「そしたら、また一緒にコントやろうぜ! あっちの観客も、腹がよじれるまで笑わしてやるんだ。何度だってな!」  間もなく、仲村の魂は光に包まれて、消えた。彼がその後どうなったかは、知るよしもない。しかしその芸人魂は、決して衰える事は無いだろう。  笑いに貪欲であったコメディアンが、星になった今でさえも。 ー終ー  
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