前編

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前編

 都内某所。西東京の一角にそびえる豪邸は、とある有名人が所有するものだ。しかしそれは本宅ではなく、別荘として活用される為、内装は酷く質素だった。  関係者は口を揃えて『ネタ出し御殿』と呼んだ。 「チクショウ……全然ダメだな」  広々とした、それでいて酷く殺風景な一室に、男が1人ただずむ。  床一面がカーペットで、壁には大きな鏡。さながらダンススタジオらしき部屋で、仲村は膝を叩いた。彼は連日に渡って別荘に籠もっているのだが、成果はまるで無く、一向にネタが浮かばなかった。  御年80歳。さすがに脳は衰え、動作も緩慢。かつては天才コメディアンと持て囃されたものだが、寄る年波には勝てない。どれだけ悪戦苦闘しても、老いた実感を突きつけられるのみであった。 「せめて肩がググッと上がれば……イタタタ!」  仲村は生きる伝説とも言える芸人だ。引退など全く考えてはおらず、今もテレビにラジオと忙しく働く。しかし基本的には、司会役やパーソナリティなどの、いわゆる『番組の顔』として起用される。その立場には世間も制作陣も、納得して任せてはいるのだが。  ただ1人、当人の仲村だけは不満を抱えていた。 「鼻こすってエイクシッ! エイクシッ! ダメだこんなんじゃ……」  仲村は笑わせたい。進行の仕事は嫌いでないのだが、自分の力で客を笑わせたい。スポットライトを一身に浴びて、観客の笑顔を独り占めしたい。  そんな想いから、若手顔負けのストイックさで励むのだ。この『ネタ出し御殿』に一人きり、人を遠ざけてまで籠もること半月余り。彼の熱意だけは、今も健在であった。 「芸人魂ってのは歳とらねぇんだ。絶対に錆びたりしねぇんだよ……!」  気合は十分。しかし、全身鏡に映る自分の姿は、目を背けたくなる程に老いぼれた。頬の皮はたるみ、背中は大きなカーブを描く。傍目からすれば明らかに老人であるし、往年のギャグを試してみても、キレの悪さから寂しさがつきまとう。  それを目の当たりにすると思い知る。いかなる栄光も、時間とともに色褪せていくのだと。 「オレもなぁ、とうとう小汚ぇジジイになっちまったし、やっぱ辛ぇわな……ポィイーーンってか!」  肩を落とした刹那、両手のひらをアゴに付けて笑顔を振りまくギャグ。それは思いつきの範疇であるものの、一定の手応えが感じられた。ネタで使用する部位が、肘関節と表情筋だけというのも使い勝手が良い。  これだ。仲村は豊富な経験と天才的感性から、成功の糸口を見た。 「ネタを詰める前に、どうすっかな。一度アイツに見てもらうか」  仲村はスマホを取り出すと、薄目になり、画面を顔から離すなどしながら操作した。通話相手は高藤。長年連れ添った相方である。  しかし今は夜10時を過ぎた頃だ。何度コールしても、応答する気配は無い。 「寝ちまったか、あの野郎。ジジイの夜は早いからな」  そう呟く仲村は、床につく気分ではない。なにせ千載一遇の閃きがあったのだ。眠りこける訳にはイカンと、ネタを磨きに磨いてゆく。 「出来た……これは絶対笑うだろ。お茶の間を笑いで包み込んでやる!」  仲村の脳裏にはハッキリと見えた。目にするものが皆、それこそ言語の通じない外国人相手でさえも、手を叩いて笑う姿が。  また1つ、自分を代表するギャグが生まれたのか。それも80もの齢を重ねた今に。フツフツと沸き立つ高揚感が腹の底から込み上げて、脳の隅々にまで血が巡るようである。 「やったぞ! これでドッカンドッカン笑わしてやる! あーーっはっは……ハ!?」  高笑いをあげた刹那、彼は良くない音を聞いた。耳から聞いたというより、内側から響いたような。まるで脳が破けたとしか言いようのない、不穏なものを。  続けて吐き気と目眩が押し寄せ、その場に倒れ伏した。世界は朱に染まり、視点も定まらずに回転を繰り返す。  しかしこれ程の異常であるのに、不思議と痛みを感じられない事が、一層恐ろしく思えた。 「何がどうして……誰か……」  呟きは誰の耳にも届かない。不運にも今は、人を遠ざけてしまっている。  仲村は意識を失い、深い闇へと落ちていった。それが一瞬の事だったか、あるいは永遠にも似た時間であったかは、彼自身にも定かではない。  やがてもう一度意識を取り戻した頃、視界の眩さに呻いた。窓の外からは暖かな日差しが降り注いでいる。 「いつの間にか寝ちまったのか……オレは」  身を起こして首を回してみる。違和感は無い。手を握りしめて開く、足踏みをする。妙にスムーズだ。それどころか、肩も高くあがる。まるで20代の頃に戻ったかのようで、酷く心地よかった。 「いったい、どうしちまったんだ……?」  その頃になってようやく気づく。家の中がやたらと騒がしい事に。本来ならば、屋敷に自分以外の人間が居る訳もないのだ。  もしかして空き巣や物取りかと思った。しかしそれにしてはウルサイし、何より人の気配が多すぎた。 「そういや今日、事務所の奴らが来る約束あったな。でも勝手に合鍵で入るとか、ちょっとやりすぎ……!?」  ドアノブを掴もうとして、手がすり抜ける。そしてつんのめって数歩よろめき、勢い余って室外へと出た。  だが、依然としてドアは閉められたまま。重厚な木の扉が、部屋の内外を遮断している。 「どゆこと! これ、どゆこと!?」  半ば錯乱状態になる仲村。そこへ、廊下の向こうから1人の警官が足早に歩いて来た。今となっては、なぜ家の中に警察が、などと考えもしない。 「ねぇお巡りさん、今の見た? アタシ、ドアをすり抜けちまってね……」  問いかけに反応はない。それどころか、歩調を落とさずに真っ直ぐ歩み寄ってくる。そして仲村の存在を否定するかのように、身体はすり抜けて、向こう側へと去っていった。 「何だってんだぃ、こりゃあ……」  理解を超えた現象が続いている。  仲村は途方に暮れつつも、顔を左右にせわしなく振った。するとその時、リビングの方でテレビが見えた。消し忘れていたようで、電気が点いたままだ。大きな画面には、昼のワイドショーが映し出されていた。  続けて目に飛び込んできたのは、画面下テロップの『あまりにも唐突な訃報! トリックスターズ仲村が死去!』という言葉だ。 「死去……。死んだ! オレ、死んだ!?」  すかさずテレビまで駆け寄り、画面に釘付けとなった。  リビングには仲村の知人や仕事仲間が数名、他にも見知らぬ者もチラホラ見える。その誰もが、家主に声をかけたりはしない。  もはや仲村も、無視される事に何も感じなかった。それよりも報道内容が気がかりである。 「全く予期せぬ、そして哀しい報せが飛び込んでまいりました。芸歴50年超。日本に暖かな笑いを与え続けてくれた、仲村さんが昨夜未明、亡くなられたとの事です」  スタジオで、司会者が沈鬱な顔で語った。  始めは他人事の様にすら聞いていた仲村にも、相応の実感はある。あの時感じた異変が命を奪ったのだと。  そして仲村はここでも不満だ。志半ばで死んだ事に、ではない。むしろ死んじまったものは仕方ないとすら思う。彼が厳しい目を向けるのは、コメンテイターとして集められた芸人たちである。ベテランから駆け出しまで、皆が目を赤く腫らしており、平静を保てたものは居なかった。 「何だコイツら。芸人の旅立ちを泣き顔で送るんじゃねぇよ! 持ちネタの1つでもやってみせろ!」  笑え、笑わせろ。泣き顔やめろ、涙なんてご法度だぞ。仲村はそんな言葉を画面に投げつけるのだが、今日まで可愛がった後輩たちは、期待外ればかりだ。 「仲村さんには、本当にお世話になって。あの人のコントを見て芸人になったんです。オレにとって、育ての親みたいなもんですよ……」 「もっとたくさん教えて欲しかった! いっぱい叱って欲しかった! もう僕に、肩を叩きながら、褒めてくれる人は居ないんです!」  どれもこれも悲痛な声。仲村としてはありがた迷惑な事である。特に彼のようなスタンスの芸人にとって、涙は営業妨害にも等しい。今後自分のコント映像が出たとして、笑ってくれる人が減りかねない。それは芸人魂の猛々しい仲村には、耐え難い事態だった。  しかし、ここで救世主とも呼べる人物が画面に映し出される。テロップには高藤長(たかふじおさむ)とあり、仲村が50年もの長きに渡ってコンビを組む相方だ。  さすがに高藤は理解していた。口角をあげて笑顔を作る仕草も見られる。表情こそ強張ってはいるが、仲村からすれば、及第点の対応である。  一方で高藤は、そんな評価など知る由もなく、静かに語りだした。 「観客並びに、お茶の間の皆さん。悲しくても、今はお手元のハンカチを置いてください。仲村は、笑って欲しいんです。人生かけて笑いを追求した芸人が、最期に泣かれるなんて、寂しすぎるじゃないですか」  スタジオの空気が少しばかり和らぐ。半世紀もの間、相方を務めた男の言葉だ。笑えという願いに説得力がある。この世で唯一、高藤にのみ許された言葉と言っても良い。 「だからね、楽しい時間をありがとうと、送ってやってください。私からのお願いは、それだけで……それだけ……グフゥ!!」  惜しくも高藤、最後まで保たない。口を掌で覆っては、大きな嗚咽を漏らしてしまう。  これが決定打だった。間もなく日本中は哀しみの渦に飲まれていった。番組では、伝説のコントを放送して軌跡を振り返るも、笑う姿は1つとしてない。皆が皆、目元を何度も拭う始末である。 「何やってんだバカ野郎! そういうのが一番いらねぇんだよ!」  堪えきれなくなった仲村は、急ぎ家を飛び出した。身体の制約もなく、むしろ飛行できるようになった今は、移動など容易い。  彼は、生前では考えられない速度で、スタジオに辿り着いた。 「おい高藤、この野郎! オメェがしっかりしねぇで誰がやるんだよオイ!」  相方の隣で、眼前で、耳元で叫ぶ。しかし一切反応はなく、全く気付かれていない事は明らかだ。 「どうしたら良いんだチクショウ。せっかく日本中を笑わかしてやろうと思ったのに……これじゃ真逆じゃねぇかよ」  再び途方に暮れる仲村。そこへ、尋常ならざる男が姿を現した。  黒いシルクハットにタキシード、20歳過ぎの若年。それだけなら出演者の1人かと思うのだが、仲村に向かって微笑みかけてくる。そして何よりも、空中浮遊しながら寄ってきた事が異様である。 「お待たせしてすみません! ようやくお迎えにあがりましたぁ!」 「ええと、どちらさま?」 「申し遅れました。私、魂縛管理センターの者でして。仲村さんを天界へお連れするために参りました」 「つうことは、何かい。アンタ死神ってやつ?」 「うぅん、まぁ、そんな解釈で大筋は宜しいかと。なので、取り急ぎ成仏しちゃいましょうか。もう割と遅れちゃってますし」  死神が揉み手になって要求した。しかしそれは、即決で拒絶されてしまう。  仲村はまだ成仏する訳にはいかない。日本中を笑いに包むまでは、おちおち死んでなどいられないのだ。 ーつづくー    
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