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エピローグ
「ソフトクリームをお供えするの? 水神様に?」
僕の声なんか無視して、じいちゃんは楽しそうにプラスチックのカップを用意する。
「ソフトクリームだけじゃ寂しいな。清太郎は何がいいと思う?」
「カラフルにするならエムアンドエムズとか?」
そんなものはこの店にはなくって、代わりに冷蔵庫に入っていた白玉団子や、シロップ漬けのみかん、餡子にウエハースが層になって敷き詰められた。最後にソフトクリームをのせ、てっぺんに真っ赤なドレンチェリーを飾った。独創的なパフェの出来上がりだ。
プラスチックのスプーンを手に、二人で急いで店を出た。
河原の端には何の変哲もない長い石が立ててあって、よく見ると『水神』と彫りこまれている。その前に、小さな湯飲みと枯れた花が置いてあった。じいちゃんは溶けかけている和風パフェみたいなカップを置き、手を合わせた。そして一瞬で顔を上げて「溶けるから早く食べろ」と渡してくる。これだからじいちゃんにはかなわない。
「ねえ、さっきの人何なの?」
「さあ……何なんだろうな」
じいちゃんは立ち上がった。つっかけを履いたまま水の中にどんどん入っていく。
「危ないよー」
これじゃどっちが子どもなんだか。なんてのんきに見ていたけれど、膝上の深さのところまで行くのを見てさすがに焦って立ち上がった。
「溺れちゃうよ! 戻ってきてよ!」
こちらの声がようやく耳に届いたのか、立ち止まって片手を上げてくれた。
じいちゃんは、突っ立っているだけでも姿勢がいい。小さい頃は身体が弱かったのに、高校で水泳の選手をやっていたという。なのに今その背中は頼りなく、目を離したらどこかに消えてしまいそうだった。
俯いて水面を見ている背中が震えている。どうしよう、引き戻した方がいいんだろうか。迷っていると、頭上から突然大きな声がした。
「おーい、昭ちゃん! またそんなところに入って」
びっくりして見上げると、土手の上にじいちゃんの顔なじみらしきおばあさんが自転車を引いて歩いていた。
「いい加減にしな。何十年たったと思ってるんだい。早く上がんな、あの子も心配するよ」
「ごめん、分かってる、分かってるよ。今あがるから」
じいちゃんは頭を振ってから、かがんでばしゃっと顔に水をかけると、シャツで拭った。振り返ると何事もなかったかのように僕のところに戻ってきた。目が少し赤かったけど気付かないふりをした。
「帰ろ?」
「そうだな」口ではそう言ってるのに、目は川を見ている。あまりに名残惜しそうだから思わず聞いてしまった。
「何を探してたの?」
ぎらぎらとまぶしい残照に目をすがめたじいちゃんは、顔をくしゃくしゃにする。
「何も見えないんだ。もう全然、何も見えない」
笑顔と泣き顔が入り混じったその顔は、迷子になってしまった子どもみたいにも見えた。結局何を探していたのかは答えてくれなかった。
「暗くなるから帰ろうよ」
頷いたまま、じいちゃんは所在なく立ち尽くしていた。力なく垂れた手を取ると川の水のように冷たかった。手を掴んで歩き出すと、ようやくついてきてくれた。途中目の端に入った湯飲みの後ろには、水神と彫られた石が置いてあった。
そうだ、店に戻ったら熱いお茶を入れよう。夏だけど、きっとそういうのが必要なんだろう。
もう川からは何も聞こえない。せせらぎも遠ざかり、リーリーと虫の鳴く声ばかりが耳にさわる。
「そういえば、あの橋から飛んだことある?」
「いや、俺は一回もできなかった。でも、一つ上の友達がよく飛んでたなぁ」
ぱしゃん、と遠くで音がした。川で魚でもはねたんだろうか。じいちゃんは遠くを見ていた。そして笑顔になって「かっこよかったなぁ、俺は高ちゃんになりたかった」と呟いた。
終わり
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